中山道歩き35の3(2017/10/26) 11月4日(土) [中山道を行く]
昨日は朝から暖かな晴天でした。
お出かけ日和でしたね。
行楽地は人が多かったでしょう。
サンデー毎日の私は近所の散歩位です。
今月は、雨ばかりだった先月のような天気でないことを祈ります。
++++++++++++++++++++++++
関ヶ原の駅前に案内所があるのですが、立ち寄らずに進みます。
車の流れが途切れたところで撮った宿場町の雰囲気です。
車が来るとこうなります。
歩道もガードレールもありません。
この辺りに住んでいる人は怖くないでしょうか??
しばらく進むと、旗が並んだところが見えてきました。
こんな所でした。
西首塚の案内がありました。
関ヶ原の戦いで亡くなった兵士の首、胴などが埋められているところです。
案内板によれば、明治になって東海道本線の工事では多くの白骨や、刀等が出て来たそうです。
この他に、東首塚もありますが、離れているため行きませんでした。
正面の木の根元には胴塚の碑が立っていました。
国道21号(中山道)を進んでいくと、道が分かれます。
約1.5km続いた国道21号線から分かれて静かな道になりました。
ほっとします。
9月頃から「関ケ原」と言う映画が上映されています。
(私も最近見ました)
そのせいか、案内図を持って古戦場巡りをしている人が結構いました。
お出かけ日和でしたね。
行楽地は人が多かったでしょう。
サンデー毎日の私は近所の散歩位です。
今月は、雨ばかりだった先月のような天気でないことを祈ります。
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関ヶ原の駅前に案内所があるのですが、立ち寄らずに進みます。
車の流れが途切れたところで撮った宿場町の雰囲気です。
車が来るとこうなります。
歩道もガードレールもありません。
この辺りに住んでいる人は怖くないでしょうか??
しばらく進むと、旗が並んだところが見えてきました。
こんな所でした。
西首塚の案内がありました。
関ヶ原の戦いで亡くなった兵士の首、胴などが埋められているところです。
案内板によれば、明治になって東海道本線の工事では多くの白骨や、刀等が出て来たそうです。
この他に、東首塚もありますが、離れているため行きませんでした。
正面の木の根元には胴塚の碑が立っていました。
国道21号(中山道)を進んでいくと、道が分かれます。
約1.5km続いた国道21号線から分かれて静かな道になりました。
ほっとします。
9月頃から「関ケ原」と言う映画が上映されています。
(私も最近見ました)
そのせいか、案内図を持って古戦場巡りをしている人が結構いました。
「このまち、まるごと、古戦場」と言うだけあって案内はきちんとしています。
不破関に近づきました。
不破関は壬申の乱(672年)の後、東山道の関所として設置されました。
不破関守の跡です。
資料館がありましたが、時間が無くなるのでパス。
先へ進みます。
国道に出るようです。
(実はこの道は間違っていました)
方向は正しいのでそのまま進みます。
この案内板のところで合流しました。
大谷吉継は徳川家康とも懇意でしたが、関ケ原の戦いでは西軍(三成軍)と共に東軍と戦いました。
合戦に敗れると自害しています。
間の宿であった山中地区に入ります。
元問屋場の建物です。
関ケ原地区では、関ケ原の戦いの1000年前、壬申の乱の戦場にもなっています。
壬申の乱のときはこの川が流血によって川底が黒くなったとの事で黒血川と呼ばれています。
違う流れですが、横には小さな滝があります。
鶯の滝といい、江戸時代には間の宿として店が並び休憩場所でした。
小さな祠が3つ並んでいました。
左は鶯滝地蔵菩薩、中央は黒血川地蔵と書いてあります。
進んでいくと常盤御前の墓の案内がありました。
こちらです。
(調べてみると常盤御前の墓と言われるものは群馬県、鹿児島県などにもあるようです)
しばらく進むと常盤地蔵の祠がありました。
関係ありませんが、ススキが綺麗だったので、パチリ。
いつのまにか家はなくなり、寂しい道路になりました。
踏切に出ました。
踏切を渡っている最中に踏切の警報が鳴り始めました。
米原行の電車が通過していきます。
道はしばらく線路に沿って進み、坂道になってきました。
寂しい道です。
先が少し明るくなりました。
ここは今須峠でした。
すぐに国道21号線に出ました。
注意して横断します。
(渡ってから撮った写真です・・・正面の細い道から来ました)
今須峠の案内板の通り一里塚跡がありました。
ここから今須宿に入っていきます。
次回に続きます。
・
本日もご訪問ありがとうございました。
・
D7500
AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
不破関に近づきました。
不破関は壬申の乱(672年)の後、東山道の関所として設置されました。
不破関守の跡です。
資料館がありましたが、時間が無くなるのでパス。
先へ進みます。
国道に出るようです。
(実はこの道は間違っていました)
方向は正しいのでそのまま進みます。
この案内板のところで合流しました。
大谷吉継は徳川家康とも懇意でしたが、関ケ原の戦いでは西軍(三成軍)と共に東軍と戦いました。
合戦に敗れると自害しています。
間の宿であった山中地区に入ります。
元問屋場の建物です。
関ケ原地区では、関ケ原の戦いの1000年前、壬申の乱の戦場にもなっています。
壬申の乱のときはこの川が流血によって川底が黒くなったとの事で黒血川と呼ばれています。
違う流れですが、横には小さな滝があります。
鶯の滝といい、江戸時代には間の宿として店が並び休憩場所でした。
小さな祠が3つ並んでいました。
左は鶯滝地蔵菩薩、中央は黒血川地蔵と書いてあります。
進んでいくと常盤御前の墓の案内がありました。
こちらです。
(調べてみると常盤御前の墓と言われるものは群馬県、鹿児島県などにもあるようです)
しばらく進むと常盤地蔵の祠がありました。
関係ありませんが、ススキが綺麗だったので、パチリ。
いつのまにか家はなくなり、寂しい道路になりました。
踏切に出ました。
踏切を渡っている最中に踏切の警報が鳴り始めました。
米原行の電車が通過していきます。
道はしばらく線路に沿って進み、坂道になってきました。
寂しい道です。
先が少し明るくなりました。
ここは今須峠でした。
すぐに国道21号線に出ました。
注意して横断します。
(渡ってから撮った写真です・・・正面の細い道から来ました)
今須峠の案内板の通り一里塚跡がありました。
ここから今須宿に入っていきます。
次回に続きます。
・
本日もご訪問ありがとうございました。
・
D7500
AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
2017-11-04 04:24
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コメント(22)
歴史の教科書を読んでいるようです。
by 斗夢 (2017-11-04 05:26)
古戦場で幾多の血が流れた場所
ですね 黒血川とはリアルな名前
ですね。それだけ激戦の兵どもの
夢の後を通過しましたね
by kazu-kun2626 (2017-11-04 07:01)
おはようございます^^
古戦場と言うと「稲村ヶ崎名将の剣投ぜし 古戦場~♪」を思い出します♪
さすが丸ごとと言うだけあって戦跡が詰まってますね。
最後の方のちょっと細い道。一人で歩くのは怖いような静けさですね。
by mimimomo (2017-11-04 07:14)
おはようございます!
旗やのぼりが随所にあって、まだ戦いが
終わってないようですね。
by Take-Zee (2017-11-04 07:26)
おはようございます。
ソレイユの丘のシニアの日は
横須賀市民でなくてもオーケーと
HPに書いてありましたよ!
是非出かけてみて下さいね。
by yoko-minato (2017-11-04 08:03)
おはようございます。
歴史の重みを感じます・・・
by yakko (2017-11-04 08:37)
↑ 確かに歴史の重みを感じます。
だだっ広い平原である米原は昔、迷い原と云ったとか。
by OJJ (2017-11-04 09:36)
映画やテレビの影響力は凄いものがありますね。町が力を入れるのも納得です。
by kuwachan (2017-11-04 14:44)
黒血川・・すごい名前の川ですね。
国道沿いの民家は、トラックの振動などが伝わって安眠できないでしょうね。
by なんだかなぁ〜!! 横 濱男 (2017-11-04 16:14)
首塚とか胴塚とか、わざわざ首と胴を分けて葬ったのでしょうか?
by Mitch (2017-11-04 18:12)
いよいよ「関ケ原」という文字が見えましたね。
by JUNKO (2017-11-04 19:15)
壬申の乱と関ヶ原の戦いと
二重の古戦場なのですね。
戦の肝となる交通の要所だったのでしょうね。
by そらへい (2017-11-04 20:13)
西首塚、やはり西軍関係の墓なんでしょうか...
みなさん指摘しておりますが、黒血川 なかなかのものですネ
常盤御前のお墓が、ここにあるのですネ 遠く鹿児島にもあるんダ
歩く道は、下り線を二回も横切るのですネ
by myossy (2017-11-04 21:33)
以前の街道を拡幅していない道路はガードレール付きの歩道整備ができないので、日本でもこういう道はかなり多いですよね。
田舎に住んでいた身としては、地方は歩く人のことは全く考えていない、とまでは言いませんが、現実的にはそれに近いところだと思います。(^^;
by kou (2017-11-04 21:59)
takenokoさんこんばんは。
中山道は、戦国時代色々な戦場になったところでもあるようで、歴史の深さを感じさせられますね。
by ネオ・アッキー (2017-11-04 23:32)
昔は賑わっていたようですがちょっと寂しいところですね
雰囲気でわかります。
横断は気をつけないと危ないですね
by きよたん (2017-11-04 23:34)
ススキや踏切の画像が見えたら なんだかホッとした気がしてしまいました。それまでは何気ないように感じたんですが 川の脇のトンネル前後の雰囲気は再び見かえしてみると なにか重い気分を感じてしまうような虚無感を感じちゃいました。^^;☆
by ゆうのすけ (2017-11-04 23:49)
その地その場の歴史を楽しみながらの旅は楽しいでしょう。
いろんな物が見られてカメラに収めながらの旅は羨ましいです。
by 旅爺さん (2017-11-05 08:19)
関ケ原は映画になりましたね。ご覧になったんですね。
映画は見ていませんが、司馬遼太郎の原作はよみました。
正にその舞台になったところ、史跡がたくさんあるんですね。
壬申の乱も !! 常盤御前もなんですね。歴史好きとしては一度行ってみたいところです。 ^^
by moz (2017-11-05 08:57)
掘ると白骨が出てくる土地で、寂しい道はちょっと怖いかも^^;
by さる1号 (2017-11-05 18:07)
古戦場も、今は静かな風景ですね。
夜はちょっと怖そうです。^^;
by rappi (2017-11-05 21:25)
斗夢さん
私もこの記事を作りながら歴史の勉強しているようなものです。
kazu-kun2626さん
何万もの戦士が戦いをした場所ですので壮絶な場になった事でしょう。
mimimomoさん
二度も歴史上の大きな戦いがあった場所という事に感心しています。
Take-Zeeさん
世界のあちこちで戦争は起こっています。平和が一番です。
yoko-minatoさん
ありがとうございます。行ってみたいと思います。
yakkoさん
歴史はあまり得意ではなかったのですが、だんだん興味が沸いてきました。
OJJさん
そうですか。初耳ですが、米原とは少し離れているようですが・・・
kuwachanさん
今回の映画だけでなく、徳川家康のドラマなどには必ず関ケ原が出ています。
なんだかなぁ~!! 横 濱男さん
ちょっとグロテスクですね。こういうところに住んでいる人は振動は普通の事でしょうね。
Mitchさん
首実見などで首のない遺体が沢山あったという事でしょう。
JUNKOさん
関ケ原町は案外広い町です。
そらへいさん
北国街道も近いし、交通の要所であった事は間違いなさそうです。
でも交通が頻繁になったのはこの二つの戦争の後です。
myossyさん
実態としては東、西の区分はなかったと思われます。
この踏切は単線に見えますが、50mぐらい離れて上り線があります。
kouさん
今はほとんど人の姿を見かけませんね。
ネオ・アッキーさん
中山道の中では、関ケ原が最も大きな合戦場です。
きよたんさん
国道を横切るにはタイミングを見て渡ります。
ゆうのすけさん
昔は壮絶な戦いがあったところです。暗くなるのも当然です。
旅爺さん
その代り、ずっと歩きっぱなしです。
mozさん
私は司馬遼太郎の小説は読んでいませんが、山岡荘八の徳川家康であらかた知っていました。
さる1号さん
この寂しい道は古戦場とはかなり離れているので大丈夫でしょう。
rappiさん
今は平和な光景が広がっています。
by takenoko (2017-11-06 04:29)