中山道歩き32の4(2017/6/24) 8月4日(金) [中山道を行く]
8月1日の大雨が明けた2日は小雨が降ったり止んだりの天気で涼しい一日でした。
昨日(3日)の朝は、Tシャツ1枚では寒くて、作務衣を着ていました。
昼間は気温が上がりましたが、それ程でもありませんでした。
湿度が高く、夕方の散歩は、汗びっしょりになりました。
梅雨のような天気が続くようです。
・
6月24日の道中記最終です。
いよいよ加納宿に入ります。
加納宿には加納城と言うお城がありました。
(織田信長の岐阜城とは違います)
加納城は関ケ原の戦いの後、家康の命によりこの地に作られました。
この辺りから見た加納城の光景を広重が版画にしています。
御鮨街道の分岐があります。
尾張街道は熱田まで続く街道で御鮨街道とも呼ばれています。
長良川で獲れた鮎をなれ寿司にして将軍家に納めるためにこの道を使ったらしいです。
江戸まで、5日ほどで届けたと言います。
そちらには行かず直進すると「だんごや」さんがあります。
事前に道順は調べて行きますが、細部はわかりません。
加納宿はこんな道順になります。
だんごやは右から来た最初の曲がり角です。
よく見ると道路の舗装が違います。
橋を渡ります。
橋の欄干にはこんなレリーフがついています。
2番目の曲がり角です。
よくわかります。
曲って直進します。
右手に秋葉神社がありました。
行事の案内が貼ってありますが、この神社の物ではありませんでした。
その向かいには!
クリーニング屋さんのようですが、店名が・・?
進んでいくと・・
どちらか少し迷いました。
一時停止の標識を左に曲がります。
左折して正面には善徳寺という浄土真宗のお寺がありました。
突き当りですので、右に曲がります。
広い通りを横断します。
通り沿いに専福寺というお寺がありました。
信長や、秀吉の朱印状が保管されており、朱印状は岐阜市重要文化財に指定されているそうです。
どちらに行くか説明不要ですね。
橋を渡ります。
紫陽花の季節でした。
加納城大手門跡の交差点に来ました。
手前を右に曲がります。
お昼を過ぎています。
元和六年(1620年)に旅籠を始めた二文字屋です。
今は鰻屋です。
この日は今年前半の最終とするつもりでしたので、ちょっと張り込んで、ここで昼食にしました。
丁度、席が空いていて待たずに案内されました。
「あなたの明日はうなぎ登りです。」・・そうであってほしいですね。
水分補給をきちんとしていましたので、あまりお腹は空いてなく、ご飯少な目でお願いしました。
(これが失敗)
注文してから焼くのでしばらく待ちます。
ちょっとご飯が少なすぎでした。
でもウナギは焼き立てで美味しかったです。
関西風で、蒸さないので皮がパリッとしていますが身は柔らかく美味でした。
帰るころには待っている人が5~6人いました。
ほどほどに(?)お腹を満たしました。
前へ進みます。
昨日(3日)の朝は、Tシャツ1枚では寒くて、作務衣を着ていました。
昼間は気温が上がりましたが、それ程でもありませんでした。
湿度が高く、夕方の散歩は、汗びっしょりになりました。
梅雨のような天気が続くようです。
・
6月24日の道中記最終です。
いよいよ加納宿に入ります。
加納宿には加納城と言うお城がありました。
(織田信長の岐阜城とは違います)
加納城は関ケ原の戦いの後、家康の命によりこの地に作られました。
この辺りから見た加納城の光景を広重が版画にしています。
御鮨街道の分岐があります。
尾張街道は熱田まで続く街道で御鮨街道とも呼ばれています。
長良川で獲れた鮎をなれ寿司にして将軍家に納めるためにこの道を使ったらしいです。
江戸まで、5日ほどで届けたと言います。
そちらには行かず直進すると「だんごや」さんがあります。
事前に道順は調べて行きますが、細部はわかりません。
加納宿はこんな道順になります。
だんごやは右から来た最初の曲がり角です。
よく見ると道路の舗装が違います。
橋を渡ります。
橋の欄干にはこんなレリーフがついています。
2番目の曲がり角です。
よくわかります。
曲って直進します。
右手に秋葉神社がありました。
行事の案内が貼ってありますが、この神社の物ではありませんでした。
その向かいには!
クリーニング屋さんのようですが、店名が・・?
進んでいくと・・
どちらか少し迷いました。
一時停止の標識を左に曲がります。
左折して正面には善徳寺という浄土真宗のお寺がありました。
突き当りですので、右に曲がります。
広い通りを横断します。
通り沿いに専福寺というお寺がありました。
信長や、秀吉の朱印状が保管されており、朱印状は岐阜市重要文化財に指定されているそうです。
どちらに行くか説明不要ですね。
橋を渡ります。
紫陽花の季節でした。
加納城大手門跡の交差点に来ました。
手前を右に曲がります。
お昼を過ぎています。
元和六年(1620年)に旅籠を始めた二文字屋です。
今は鰻屋です。
この日は今年前半の最終とするつもりでしたので、ちょっと張り込んで、ここで昼食にしました。
丁度、席が空いていて待たずに案内されました。
「あなたの明日はうなぎ登りです。」・・そうであってほしいですね。
水分補給をきちんとしていましたので、あまりお腹は空いてなく、ご飯少な目でお願いしました。
(これが失敗)
注文してから焼くのでしばらく待ちます。
ちょっとご飯が少なすぎでした。
でもウナギは焼き立てで美味しかったです。
関西風で、蒸さないので皮がパリッとしていますが身は柔らかく美味でした。
帰るころには待っている人が5~6人いました。
ほどほどに(?)お腹を満たしました。
前へ進みます。
「当分本陣跡」という石柱がありました。
当分本陣とは、幕末に参勤交代の制度が緩和され、往来が増えました。
本陣が足らなくなったため、宿場の有力者の家を当分の間本陣として使用しました。
ここでは宮田家が務めました。
この家は今でも宮田の表札が掛かっていました。
凄い豪邸です。
(屋根を見てください)
進みます。
加納宿は昔の面影はほとんどありません。
本陣跡はこれだけです。
でも横には大きな家がありました。
脇本陣跡もこれだけですが大きな家でした。
そのまま進むと広い通りに出ました。
右を見るとJR岐阜駅が見えます。
この日はここで終了です。
岐阜駅南口に着きました。
前日泊った賑やかな北口と違い、南口は静かな所でした。
岐阜駅から名古屋まで快速電車で行き、新幹線で横浜に帰りました。
6月23日、24日出歩いたのはここです。
(美濃太田~岐阜・・・約25km)
実際は半日ずつです。
23日 28,159歩
24日 27,908歩
今年は4月に木曽福島を出発して、ここまで来ました。
夏は暑いので現在休止中です。
2014年5月19日に日本橋を出発し、延べ32日で加納宿(岐阜)に着きました。
現在消化率77%です。
残りは約120kmです.(上図の青い線)
健康上の問題が発生しない限り、今年中に三条大橋に着くことが出来そうです。
再開は涼しくなってからです。
当分本陣とは、幕末に参勤交代の制度が緩和され、往来が増えました。
本陣が足らなくなったため、宿場の有力者の家を当分の間本陣として使用しました。
ここでは宮田家が務めました。
この家は今でも宮田の表札が掛かっていました。
凄い豪邸です。
(屋根を見てください)
進みます。
加納宿は昔の面影はほとんどありません。
本陣跡はこれだけです。
でも横には大きな家がありました。
脇本陣跡もこれだけですが大きな家でした。
そのまま進むと広い通りに出ました。
右を見るとJR岐阜駅が見えます。
この日はここで終了です。
岐阜駅南口に着きました。
前日泊った賑やかな北口と違い、南口は静かな所でした。
岐阜駅から名古屋まで快速電車で行き、新幹線で横浜に帰りました。
6月23日、24日出歩いたのはここです。
(美濃太田~岐阜・・・約25km)
実際は半日ずつです。
23日 28,159歩
24日 27,908歩
今年は4月に木曽福島を出発して、ここまで来ました。
夏は暑いので現在休止中です。
2014年5月19日に日本橋を出発し、延べ32日で加納宿(岐阜)に着きました。
現在消化率77%です。
残りは約120kmです.(上図の青い線)
健康上の問題が発生しない限り、今年中に三条大橋に着くことが出来そうです。
再開は涼しくなってからです。
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次回から普通の記事に戻ります。
本日もご訪問ありがとうございました。
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