中山道歩き33の2(2017/9/29) 10月5日(木) [中山道を行く]
昨夜は中秋の名月でしたが、雲が多くほとんど見えませんでした。
夜9時ごろ雲の合間に何とか見えていました。
今朝は冷え込むという事でしたが、それほどでもありません。
今日の横浜は晴れの予報です。
中山道の続きです。
善人のtakenokoはすっきりして小紅の渡しに向かいます。
乙津寺の裏に乗り場があります。
長良川の堤防に上がります。
堤防にあがると河川敷が広いので川の水面は見えません。
ここはきちんと表示があるので間違いません。
階段を下りて河川敷を進みます。
乗り場に着きました。
しかし船は対岸にいます。
置いてある白い旗を振ると迎えに来てくれるそうですが、見落としたので船は来ません。
川幅は100mぐらいなので大声を出せば聞こえます。
なんとか通じました。
小紅の渡しとは(ネット情報より)
長良川を渡る岐阜市で唯一の渡し舟。県道(文殊茶屋新田線/173号)の一部となっています。
遊覧船とは違い、交通手段としてご利用できます。・・・無料です
史実に登場するのは元禄5年(1692年)です。
川下にあった河渡の渡しが中山道の表街道として、小紅の渡しが裏街道として栄えました。
・
下の地図をご覧ください。
赤い線が中山道です。
河渡の渡しは明治14年に橋が架けられるまで続いたとか。
舟が着き、救命胴衣を着けて岸を離れます。
先に見える橋は河渡橋です。
東海道、中山道どちらも渡しの川は多くありますが、実際に渡し舟に乗ったのは初めてです。
貴重な経験になりました。
こちらは反対側です。
船頭さんが今朝は御嶽山が見えていたけと言ってました。
渓斎英泉の版画です。
この辺りでも鵜飼いをしていたかどうかは知りません。
岐阜城が見えます。
川幅は100mあまりなので、2分位で着きます。
河渡の渡しの場所まで、堤防を歩きます。
大きなゴルフ練習場がありました。
平日なので打っている人は少なめでした。
舟から見た岐阜城は土手の上からもよく見えます。
西の方を見ると伊吹山が見えました。
こんな幟が立っていました。
10月の最終日曜日にお祭りがあるらしいです。
約20分位で、河渡橋が見えてきました。
河渡橋を越えた所から河渡宿が始まるのですが、わかりません。
右手の家が並んでいる場所です。
結局何も案内が無いまま進んで、土手の上からこの建物が見えたので階段を下りました。
馬頭観音堂があります。
荷駄役の人達が天保13年に銭百文づつ寄進し、道中と家内安全・五穀豊穣を祈願し建てたもの。
濃尾地震をはじめ、洪水、空襲で何度も壊れてしまったようです。
中にはこんな石像がありました。
ここから河渡(ごうど)宿が始まります。
こんなものが立っており、宿場の保存に力を入れているかと思いましたが、
・
その前にお腹が空いたので、こんなところでおにぎりを食べます。
お握り1個食べて、駅前で買ったパンを取り出しました。
大きなパンでずっしりと重いパンです。(120円)
たっぷりゴマがついて、中は餡子がたっぷりでした。
やっとまともな案内が立っていました。
本当は曲がり角にある方が助かります。
河渡宿は54番目の宿場町で、一番小さな規模の宿場町だったようです。
旧宿場の町並みは戦災でほとんど焼けてしまったようです。
宿場町の途中に一里塚があったようです。
奥には小さな祠が二つありました。
宿場町の町並みは300mぐらいしかなかったそうで、すぐ出口に来ました。
昔の名残は全くない所でした。
そのまま進む道は静かな道でした。
ここは歩道があります。
この案内をいくつか見かけましたが、分岐点にきちんとつけて欲しいです。
歩道のないところもあります。
幹線道路ではないですが、結構車が来ます。
午後2時過ぎにこんな店を見つけました。
休憩です。
ここはケーキ屋さんなので、ケーキも頂きました。
ケーキの横にはソフトクリームも付いています。
これから先は長いです。
次回に続きます。
・
本日もご訪問ありがとうございました。
・
D7500
AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
夜9時ごろ雲の合間に何とか見えていました。
今朝は冷え込むという事でしたが、それほどでもありません。
今日の横浜は晴れの予報です。
中山道の続きです。
善人のtakenokoはすっきりして小紅の渡しに向かいます。
乙津寺の裏に乗り場があります。
長良川の堤防に上がります。
堤防にあがると河川敷が広いので川の水面は見えません。
ここはきちんと表示があるので間違いません。
階段を下りて河川敷を進みます。
乗り場に着きました。
しかし船は対岸にいます。
置いてある白い旗を振ると迎えに来てくれるそうですが、見落としたので船は来ません。
川幅は100mぐらいなので大声を出せば聞こえます。
なんとか通じました。
小紅の渡しとは(ネット情報より)
長良川を渡る岐阜市で唯一の渡し舟。県道(文殊茶屋新田線/173号)の一部となっています。
遊覧船とは違い、交通手段としてご利用できます。・・・無料です
史実に登場するのは元禄5年(1692年)です。
川下にあった河渡の渡しが中山道の表街道として、小紅の渡しが裏街道として栄えました。
・
下の地図をご覧ください。
赤い線が中山道です。
河渡の渡しは明治14年に橋が架けられるまで続いたとか。
舟が着き、救命胴衣を着けて岸を離れます。
先に見える橋は河渡橋です。
東海道、中山道どちらも渡しの川は多くありますが、実際に渡し舟に乗ったのは初めてです。
貴重な経験になりました。
こちらは反対側です。
船頭さんが今朝は御嶽山が見えていたけと言ってました。
渓斎英泉の版画です。
この辺りでも鵜飼いをしていたかどうかは知りません。
岐阜城が見えます。
川幅は100mあまりなので、2分位で着きます。
河渡の渡しの場所まで、堤防を歩きます。
大きなゴルフ練習場がありました。
平日なので打っている人は少なめでした。
舟から見た岐阜城は土手の上からもよく見えます。
西の方を見ると伊吹山が見えました。
こんな幟が立っていました。
10月の最終日曜日にお祭りがあるらしいです。
約20分位で、河渡橋が見えてきました。
河渡橋を越えた所から河渡宿が始まるのですが、わかりません。
右手の家が並んでいる場所です。
結局何も案内が無いまま進んで、土手の上からこの建物が見えたので階段を下りました。
馬頭観音堂があります。
荷駄役の人達が天保13年に銭百文づつ寄進し、道中と家内安全・五穀豊穣を祈願し建てたもの。
濃尾地震をはじめ、洪水、空襲で何度も壊れてしまったようです。
中にはこんな石像がありました。
ここから河渡(ごうど)宿が始まります。
こんなものが立っており、宿場の保存に力を入れているかと思いましたが、
・
その前にお腹が空いたので、こんなところでおにぎりを食べます。
お握り1個食べて、駅前で買ったパンを取り出しました。
大きなパンでずっしりと重いパンです。(120円)
たっぷりゴマがついて、中は餡子がたっぷりでした。
やっとまともな案内が立っていました。
本当は曲がり角にある方が助かります。
河渡宿は54番目の宿場町で、一番小さな規模の宿場町だったようです。
旧宿場の町並みは戦災でほとんど焼けてしまったようです。
宿場町の途中に一里塚があったようです。
奥には小さな祠が二つありました。
宿場町の町並みは300mぐらいしかなかったそうで、すぐ出口に来ました。
昔の名残は全くない所でした。
そのまま進む道は静かな道でした。
ここは歩道があります。
この案内をいくつか見かけましたが、分岐点にきちんとつけて欲しいです。
歩道のないところもあります。
幹線道路ではないですが、結構車が来ます。
午後2時過ぎにこんな店を見つけました。
休憩です。
ここはケーキ屋さんなので、ケーキも頂きました。
ケーキの横にはソフトクリームも付いています。
これから先は長いです。
次回に続きます。
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本日もご訪問ありがとうございました。
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D7500
AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR