中山道歩き34の2(2017/9/30) 10月15日(日) [中山道を行く]
一昨日より気温が下がり、時々止むことはありますが雨が降っています。
秋雨前線の停滞で、肌寒い天気が続くようです。
もう半袖を出すことは無いでしょうね。
中山道道中記34日目が続きます。
東赤坂の駅を過ぎて休憩しました。(前記事最後の写真です)
分岐点ですがどちらかな?
よく見れば案内がありました。
赤坂宿は左の道を行きます。
静かな昔ながらの道を進みます。
進んでいくと小さな川があり、白山神社がありました。
神社を過ぎると、一里塚跡(110番目)の石柱が立っていました。
道を歩いているといろんなものが目につきます。
こんな所で山形のそば?
小さな神社がありました。
彦根の近くに多賀大社と言う有名な神社がありますが、関係あるでしょう。
今後の行程で立ち寄ってみたいところです。
この日は土曜日、どこかで運動会をしているような音が聞こえます。
この小学校のようです。
街灯に赤坂宿の看板ついています。
いよいよ赤坂宿に入ります。
赤坂と言う地名は東京の赤坂が有名ですが、全国に沢山あるようです。
赤坂宿と言う宿場は東海道にもあります。
東海道の赤坂宿を通過したのは7年前2010年8月4日でした。
(この頃はまだ若かったので・・60歳は過ぎていますが・・真夏でも街道歩きをしていました)
やがて杭瀬川という橋に差し掛かりました。
(写真を撮るのを忘れました)
橋を渡り街並みに入っていきます。
とても大きな屋敷がありました。
表札には会社名が書いてあります。
大きな火の見櫓が見えてきました。
拡大して見ると半鐘も付いていました。
小さな川があり、綺麗な建物が立っています。
ここは赤坂港という港があったところです。
ここは、昔、川を利用した水運の要所だったということです。
大きな常夜灯が立っています。
杭瀬川の本流はここだったようです。
この建物は明治8年に建てられた警察だったそうです。
数回移築されて利用されたようですが、ここに復元建築されて今は公民館です。
警察の赤ランプが付いています。
先へ進みます。
踏切が見えてきました。
ここで「鉄」のお話
赤坂宿の北には金生山という山があり、石灰石がとれます。
その石灰石を運ぶために、西濃鉄道という鉄道があります。
(西濃運輸とは関係なさそうです)
ここは西濃鉄道市橋線と言い、貨物列車が通るだけの鉄道です。
(一日に一往復程度と思われます・・しかも毎日ではない)
昼飯線は廃線になっています。
この踏切の南の方にJR美濃赤坂駅があります。
本数は少ないですが、人が乗れる電車が来ています。
(大垣から美濃赤坂までは地図で見ると東海道本線となっています。いわゆる盲腸線?)
全国JR線乗車を目指している仙台のJ氏は乗ったのかな
その南に、関ケ原の合戦の時に東軍(徳川家康)の本陣があった場所があります。
(合戦当日は関ケ原の桃配山へ移動します)
踏切から美濃赤坂方面を見た所です。
殆ど列車は通らないので草が生えて線路が見えません。
廃線跡かと思いました。
踏切を過ぎると、きれいな呉服屋さんがありました。
(この町には綺麗すぎる店・・昔ながらの呉服屋さんの方がピッタリだけど・・)
昔からの呉服屋さんでしょうね、大きな屋敷でした。
すぐに、赤坂宿本陣跡に着きました。
何も残っていません。
和宮降嫁の時はここが宿泊所だったようです。
ここで休憩です。
続きます
・
本日もご訪問ありがとうございました。
諸事情により次回(17日)の更新はお休みします。
19日は更新予定です。
・
D7500
AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
秋雨前線の停滞で、肌寒い天気が続くようです。
もう半袖を出すことは無いでしょうね。
中山道道中記34日目が続きます。
東赤坂の駅を過ぎて休憩しました。(前記事最後の写真です)
分岐点ですがどちらかな?
よく見れば案内がありました。
赤坂宿は左の道を行きます。
静かな昔ながらの道を進みます。
進んでいくと小さな川があり、白山神社がありました。
神社を過ぎると、一里塚跡(110番目)の石柱が立っていました。
道を歩いているといろんなものが目につきます。
こんな所で山形のそば?
小さな神社がありました。
彦根の近くに多賀大社と言う有名な神社がありますが、関係あるでしょう。
今後の行程で立ち寄ってみたいところです。
この日は土曜日、どこかで運動会をしているような音が聞こえます。
この小学校のようです。
街灯に赤坂宿の看板ついています。
いよいよ赤坂宿に入ります。
赤坂と言う地名は東京の赤坂が有名ですが、全国に沢山あるようです。
赤坂宿と言う宿場は東海道にもあります。
東海道の赤坂宿を通過したのは7年前2010年8月4日でした。
(この頃はまだ若かったので・・60歳は過ぎていますが・・真夏でも街道歩きをしていました)
やがて杭瀬川という橋に差し掛かりました。
(写真を撮るのを忘れました)
橋を渡り街並みに入っていきます。
とても大きな屋敷がありました。
表札には会社名が書いてあります。
大きな火の見櫓が見えてきました。
拡大して見ると半鐘も付いていました。
小さな川があり、綺麗な建物が立っています。
ここは赤坂港という港があったところです。
ここは、昔、川を利用した水運の要所だったということです。
大きな常夜灯が立っています。
杭瀬川の本流はここだったようです。
この建物は明治8年に建てられた警察だったそうです。
数回移築されて利用されたようですが、ここに復元建築されて今は公民館です。
警察の赤ランプが付いています。
先へ進みます。
踏切が見えてきました。
ここで「鉄」のお話
赤坂宿の北には金生山という山があり、石灰石がとれます。
その石灰石を運ぶために、西濃鉄道という鉄道があります。
(西濃運輸とは関係なさそうです)
ここは西濃鉄道市橋線と言い、貨物列車が通るだけの鉄道です。
(一日に一往復程度と思われます・・しかも毎日ではない)
昼飯線は廃線になっています。
この踏切の南の方にJR美濃赤坂駅があります。
本数は少ないですが、人が乗れる電車が来ています。
(大垣から美濃赤坂までは地図で見ると東海道本線となっています。いわゆる盲腸線?)
全国JR線乗車を目指している仙台のJ氏は乗ったのかな
その南に、関ケ原の合戦の時に東軍(徳川家康)の本陣があった場所があります。
(合戦当日は関ケ原の桃配山へ移動します)
踏切から美濃赤坂方面を見た所です。
殆ど列車は通らないので草が生えて線路が見えません。
廃線跡かと思いました。
踏切を過ぎると、きれいな呉服屋さんがありました。
(この町には綺麗すぎる店・・昔ながらの呉服屋さんの方がピッタリだけど・・)
昔からの呉服屋さんでしょうね、大きな屋敷でした。
すぐに、赤坂宿本陣跡に着きました。
何も残っていません。
和宮降嫁の時はここが宿泊所だったようです。
ここで休憩です。
続きます
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本日もご訪問ありがとうございました。
諸事情により次回(17日)の更新はお休みします。
19日は更新予定です。
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D7500
AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR