中山道歩き35の2(2017/10/26) 11月2日(水) [中山道を行く]
朝晩は寒く感じますが、昼間は暖かい日が続いてます。
今日も昼間は20度くらいで秋の服装で丁度よい気温です。
この先も概ね良い天気が続きそうです。
明日から三連休の方も多いでしょう。
ニュースで見ましたが、日光の紅葉は本番らしいです。
・
中山道の続きです
垂井宿がある垂井町の隣は関ケ原町です。
この案内板は赤坂宿以降、見ていませんでしたが久しぶりに登場です。
「ここは関ケ原宿」となっていますが、関ケ原町に入ったばかりです。
相変わらず人の姿が見えない道を進んでいきます。
野上と言う集落に入りました。
中山道まつりと言うイベントがあるようです。
この日は10月26日です。
3日後にあります。
道端にはツワブキが沢山咲いていました。
旧街道に神社やお寺は沢山あります。
この神社は何処にお社があるんでしょう。
踏切を越えてその先にあるんでしょうね。
休憩所みたいなところに来ましたが、ここには井戸があり、「野上の七つ井戸」と言います。
防火用水、生活用水、農業用水として使われ、旅人の喉も潤したそうです。
近くには史跡があるようです。
この辺りはかなり昔から人が住んでいたようですね。
立派な家並みが続きます。
朝、家を出る時は気温が低くもう一枚着ていましたが、昼間は暖かくてこんな格好で歩いています。
大きな屋敷は立派な瓦ぶきです。
屋根には鯱が付いています。
松並木が見えてきました。
電柱には東軍の武士の説明板が付いています。
この辺りに山内一豊の陣がありました。
いよいよ関ケ原の合戦の雰囲気が高まってきます。
消火栓には石田三成の旗印「だいいちだいまんだいきち」と徳川家康の家紋三つ葉葵が描いてあります。
松並木が続きます。
中山道の松並木は、立科町の笠取峠の松並木以来、久しぶりです。
関ケ原町では天然記念物に指定し、防虫、補植により保護しているようです。
途中に広場があり、ベンチがあったので座ってお握りを頬張ります。
(丁度12時頃です)
公園の真ん中に小さな祠があり、お地蔵さんがいます。
六部地蔵と言います。
横にはこんな説明がありました。
松並木の道は続きます。
徳川家康は、赤坂宿から夜中に移動し、この辺りに陣を構えたと言われています。
関ケ原の合戦中は他の場所にも移動しています。
下図の右下がこの場所ですが、左中央に移動し、石田三成軍との決戦になりました。
杉並木の道は一旦途切れ、広い道に出ました。
しかし右に見える道路が旧中山道です。
再び静かな道になります。
また松並木がありまたが、ここは数本の松の木があるだけでした。
静かな道も終わりです。
関ケ原宿の中心地に近づいていきます。
関ケ原町は宿場町ではなく、古戦場を売り物にしているようです。
関ケ原の町の中山道は国道21号線と同じ道です。
(旧中山道がそのまま拡幅して国道になった)
街の至る所に旗が立っています。
左から石田三成、島津義弘、蒲生郷舎、徳川家康
宿場の中心地ですが、本陣跡とか他の宿場町である案内はありません。
関ケ原の合戦に関する場所の案内は沢山あります。
中山道は大型トラックが次々に通ります。
このまま帰るならば買って帰りますが、通過です。
道の向こうに見える建物は、永長元年創業(1096)の桝屋旅館です。
(関ケ原の合戦が1600年ですがその600年近く前に創業??)
建物は作り変えられていますが、今でも営業中です。
路地の奥にJR関ヶ原駅が見えました。
次回に続きます。
・
本日もご訪問ありがとうございました。
・
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AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
今日も昼間は20度くらいで秋の服装で丁度よい気温です。
この先も概ね良い天気が続きそうです。
明日から三連休の方も多いでしょう。
ニュースで見ましたが、日光の紅葉は本番らしいです。
・
中山道の続きです
垂井宿がある垂井町の隣は関ケ原町です。
この案内板は赤坂宿以降、見ていませんでしたが久しぶりに登場です。
「ここは関ケ原宿」となっていますが、関ケ原町に入ったばかりです。
相変わらず人の姿が見えない道を進んでいきます。
野上と言う集落に入りました。
中山道まつりと言うイベントがあるようです。
この日は10月26日です。
3日後にあります。
道端にはツワブキが沢山咲いていました。
旧街道に神社やお寺は沢山あります。
この神社は何処にお社があるんでしょう。
踏切を越えてその先にあるんでしょうね。
休憩所みたいなところに来ましたが、ここには井戸があり、「野上の七つ井戸」と言います。
防火用水、生活用水、農業用水として使われ、旅人の喉も潤したそうです。
近くには史跡があるようです。
この辺りはかなり昔から人が住んでいたようですね。
立派な家並みが続きます。
朝、家を出る時は気温が低くもう一枚着ていましたが、昼間は暖かくてこんな格好で歩いています。
大きな屋敷は立派な瓦ぶきです。
屋根には鯱が付いています。
松並木が見えてきました。
電柱には東軍の武士の説明板が付いています。
この辺りに山内一豊の陣がありました。
いよいよ関ケ原の合戦の雰囲気が高まってきます。
消火栓には石田三成の旗印「だいいちだいまんだいきち」と徳川家康の家紋三つ葉葵が描いてあります。
松並木が続きます。
中山道の松並木は、立科町の笠取峠の松並木以来、久しぶりです。
関ケ原町では天然記念物に指定し、防虫、補植により保護しているようです。
途中に広場があり、ベンチがあったので座ってお握りを頬張ります。
(丁度12時頃です)
公園の真ん中に小さな祠があり、お地蔵さんがいます。
六部地蔵と言います。
横にはこんな説明がありました。
松並木の道は続きます。
徳川家康は、赤坂宿から夜中に移動し、この辺りに陣を構えたと言われています。
関ケ原の合戦中は他の場所にも移動しています。
下図の右下がこの場所ですが、左中央に移動し、石田三成軍との決戦になりました。
杉並木の道は一旦途切れ、広い道に出ました。
しかし右に見える道路が旧中山道です。
再び静かな道になります。
また松並木がありまたが、ここは数本の松の木があるだけでした。
静かな道も終わりです。
関ケ原宿の中心地に近づいていきます。
関ケ原町は宿場町ではなく、古戦場を売り物にしているようです。
関ケ原の町の中山道は国道21号線と同じ道です。
(旧中山道がそのまま拡幅して国道になった)
街の至る所に旗が立っています。
左から石田三成、島津義弘、蒲生郷舎、徳川家康
宿場の中心地ですが、本陣跡とか他の宿場町である案内はありません。
関ケ原の合戦に関する場所の案内は沢山あります。
中山道は大型トラックが次々に通ります。
このまま帰るならば買って帰りますが、通過です。
道の向こうに見える建物は、永長元年創業(1096)の桝屋旅館です。
(関ケ原の合戦が1600年ですがその600年近く前に創業??)
建物は作り変えられていますが、今でも営業中です。
路地の奥にJR関ヶ原駅が見えました。
次回に続きます。
・
本日もご訪問ありがとうございました。
・
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タグ:関ケ原宿
中山道歩き35の3(2017/10/26) 11月4日(土) [中山道を行く]
昨日は朝から暖かな晴天でした。
お出かけ日和でしたね。
行楽地は人が多かったでしょう。
サンデー毎日の私は近所の散歩位です。
今月は、雨ばかりだった先月のような天気でないことを祈ります。
++++++++++++++++++++++++
関ヶ原の駅前に案内所があるのですが、立ち寄らずに進みます。
車の流れが途切れたところで撮った宿場町の雰囲気です。
車が来るとこうなります。
歩道もガードレールもありません。
この辺りに住んでいる人は怖くないでしょうか??
しばらく進むと、旗が並んだところが見えてきました。
こんな所でした。
西首塚の案内がありました。
関ヶ原の戦いで亡くなった兵士の首、胴などが埋められているところです。
案内板によれば、明治になって東海道本線の工事では多くの白骨や、刀等が出て来たそうです。
この他に、東首塚もありますが、離れているため行きませんでした。
正面の木の根元には胴塚の碑が立っていました。
国道21号(中山道)を進んでいくと、道が分かれます。
約1.5km続いた国道21号線から分かれて静かな道になりました。
ほっとします。
9月頃から「関ケ原」と言う映画が上映されています。
(私も最近見ました)
そのせいか、案内図を持って古戦場巡りをしている人が結構いました。
お出かけ日和でしたね。
行楽地は人が多かったでしょう。
サンデー毎日の私は近所の散歩位です。
今月は、雨ばかりだった先月のような天気でないことを祈ります。
++++++++++++++++++++++++
関ヶ原の駅前に案内所があるのですが、立ち寄らずに進みます。
車の流れが途切れたところで撮った宿場町の雰囲気です。
車が来るとこうなります。
歩道もガードレールもありません。
この辺りに住んでいる人は怖くないでしょうか??
しばらく進むと、旗が並んだところが見えてきました。
こんな所でした。
西首塚の案内がありました。
関ヶ原の戦いで亡くなった兵士の首、胴などが埋められているところです。
案内板によれば、明治になって東海道本線の工事では多くの白骨や、刀等が出て来たそうです。
この他に、東首塚もありますが、離れているため行きませんでした。
正面の木の根元には胴塚の碑が立っていました。
国道21号(中山道)を進んでいくと、道が分かれます。
約1.5km続いた国道21号線から分かれて静かな道になりました。
ほっとします。
9月頃から「関ケ原」と言う映画が上映されています。
(私も最近見ました)
そのせいか、案内図を持って古戦場巡りをしている人が結構いました。
「このまち、まるごと、古戦場」と言うだけあって案内はきちんとしています。
不破関に近づきました。
不破関は壬申の乱(672年)の後、東山道の関所として設置されました。
不破関守の跡です。
資料館がありましたが、時間が無くなるのでパス。
先へ進みます。
国道に出るようです。
(実はこの道は間違っていました)
方向は正しいのでそのまま進みます。
この案内板のところで合流しました。
大谷吉継は徳川家康とも懇意でしたが、関ケ原の戦いでは西軍(三成軍)と共に東軍と戦いました。
合戦に敗れると自害しています。
間の宿であった山中地区に入ります。
元問屋場の建物です。
関ケ原地区では、関ケ原の戦いの1000年前、壬申の乱の戦場にもなっています。
壬申の乱のときはこの川が流血によって川底が黒くなったとの事で黒血川と呼ばれています。
違う流れですが、横には小さな滝があります。
鶯の滝といい、江戸時代には間の宿として店が並び休憩場所でした。
小さな祠が3つ並んでいました。
左は鶯滝地蔵菩薩、中央は黒血川地蔵と書いてあります。
進んでいくと常盤御前の墓の案内がありました。
こちらです。
(調べてみると常盤御前の墓と言われるものは群馬県、鹿児島県などにもあるようです)
しばらく進むと常盤地蔵の祠がありました。
関係ありませんが、ススキが綺麗だったので、パチリ。
いつのまにか家はなくなり、寂しい道路になりました。
踏切に出ました。
踏切を渡っている最中に踏切の警報が鳴り始めました。
米原行の電車が通過していきます。
道はしばらく線路に沿って進み、坂道になってきました。
寂しい道です。
先が少し明るくなりました。
ここは今須峠でした。
すぐに国道21号線に出ました。
注意して横断します。
(渡ってから撮った写真です・・・正面の細い道から来ました)
今須峠の案内板の通り一里塚跡がありました。
ここから今須宿に入っていきます。
次回に続きます。
・
本日もご訪問ありがとうございました。
・
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不破関に近づきました。
不破関は壬申の乱(672年)の後、東山道の関所として設置されました。
不破関守の跡です。
資料館がありましたが、時間が無くなるのでパス。
先へ進みます。
国道に出るようです。
(実はこの道は間違っていました)
方向は正しいのでそのまま進みます。
この案内板のところで合流しました。
大谷吉継は徳川家康とも懇意でしたが、関ケ原の戦いでは西軍(三成軍)と共に東軍と戦いました。
合戦に敗れると自害しています。
間の宿であった山中地区に入ります。
元問屋場の建物です。
関ケ原地区では、関ケ原の戦いの1000年前、壬申の乱の戦場にもなっています。
壬申の乱のときはこの川が流血によって川底が黒くなったとの事で黒血川と呼ばれています。
違う流れですが、横には小さな滝があります。
鶯の滝といい、江戸時代には間の宿として店が並び休憩場所でした。
小さな祠が3つ並んでいました。
左は鶯滝地蔵菩薩、中央は黒血川地蔵と書いてあります。
進んでいくと常盤御前の墓の案内がありました。
こちらです。
(調べてみると常盤御前の墓と言われるものは群馬県、鹿児島県などにもあるようです)
しばらく進むと常盤地蔵の祠がありました。
関係ありませんが、ススキが綺麗だったので、パチリ。
いつのまにか家はなくなり、寂しい道路になりました。
踏切に出ました。
踏切を渡っている最中に踏切の警報が鳴り始めました。
米原行の電車が通過していきます。
道はしばらく線路に沿って進み、坂道になってきました。
寂しい道です。
先が少し明るくなりました。
ここは今須峠でした。
すぐに国道21号線に出ました。
注意して横断します。
(渡ってから撮った写真です・・・正面の細い道から来ました)
今須峠の案内板の通り一里塚跡がありました。
ここから今須宿に入っていきます。
次回に続きます。
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中山道歩き35の4(2017/10/26) 11月6日(月) [中山道を行く]
三連休のお天気も雨が降ることもなく行楽には良い天気でした。
私は近所の散歩以外は出かけることもなく家にいました。
昨日から気温が多少低くなり、いよいよ「秋深し」の感じになってきました。
・
中山道の続きです。
今須峠を越えて今須宿の入り口に来ました。
(14:45頃です)
(前記事最後の写真です)
石材屋さんだったと思いますが、シャッターに広重の今須宿が描いてあります。
町の中に入ります。
常夜灯があり、立派な家が並んでいます。
今須宿は本陣 1、脇本陣 2、旅籠屋 13の宿場だったそうです。
ここが本陣跡です。
ここの案内板です。
振返ると道路の高架下の向こうにお寺が見えます。
妙応寺と言う曹洞宗のお寺です。
立派なお寺でした。
正平15年(1360年)に今須領主長江重景が、亡き母・妙応のために創建したお寺です。
関ヶ原の戦いの翌日、徳川家康は今須に立ち寄り、座ったとされる石がありました。
元は今須宿本陣の家にあったものです。
街道に戻って進みます。
元問屋場(山崎家)の建物です。
美濃十六宿の中で当時のまま残っているのはここだけです。
ここの建物は特に説明もありませんでしたが、ベンガラ塗りの建物です。
ここから先、近江路に入ると多くのベンガラ塗りの建物が見られます。
塀の中にある常夜灯がありました。
横の説明板によると以下の通りです。
京都の問屋河内屋は大名の荷物を運ぶ途中、この今須宿で荷物を紛失した。
途方に暮れた河内屋は、金毘羅様に願をかけ、一心にお祈りしたら荷物が見つかった。
そのお礼にこの常夜灯を建立した。
秋なので午後3時を過ぎると影が長くなります。
お寺が多い街です。
真宗大谷派の真宗寺です。
道路はかなり日陰になりました。
緩い上り坂になります。
またお寺があります。
横町はありませんが法善寺です。
同じく真宗大谷派です。
鳥居がありました。
今須八幡神社です。
奥には常夜灯のような灯篭が立っています。
お社はここから1kmぐらい奥のようです。
宿場のはずれに来ました。
21号線を横切らなければなりません。
トラックが出てきた所に行かねばなりません。
ここは信号があるので安心して渡れます。
信号を渡ると左へ曲って踏切を渡ります。
オーツカと言う会社の工場の横を進みます。
従業員の駐車場の横に芭蕉の句碑があります。
正月も 美濃と近江や 閏月
隣の小さな方には
年暮れぬ 傘着て草履はきながら
奥の細道の一部が彫ってあります。
芭蕉の句碑から100m位進みました。
寝物語とは、川を挟んで旅籠があったので、旅人が寝ながら話をしたとか・・
その他いろんな話があります。
このくらいの幅ならば話は出来ますね。
広重もここで絵を描いています。
江濃両国境と描いてあります。
いよいよ近江の国に入りました。
先へ進みます。
昔ながらの建物が続きます。
寝物語が売り物ですね。
この案内板がありました。
ここには美濃側に5軒、近江側に20軒の家があったようです。
家が途切れて道の両側は山や畑になります。
道沿いにはモミジの木が多くなりました。
松並木、杉並木はよくありますが、楓並木は珍しいです。
大きな木もあります。
突然こんな警告です!!
この日は10月26日です。
ほんの1か月前の事です。
次回に続きます。
・
本日もご訪問ありがとうございました。
・
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私は近所の散歩以外は出かけることもなく家にいました。
昨日から気温が多少低くなり、いよいよ「秋深し」の感じになってきました。
・
中山道の続きです。
今須峠を越えて今須宿の入り口に来ました。
(14:45頃です)
(前記事最後の写真です)
石材屋さんだったと思いますが、シャッターに広重の今須宿が描いてあります。
町の中に入ります。
常夜灯があり、立派な家が並んでいます。
今須宿は本陣 1、脇本陣 2、旅籠屋 13の宿場だったそうです。
ここが本陣跡です。
ここの案内板です。
振返ると道路の高架下の向こうにお寺が見えます。
妙応寺と言う曹洞宗のお寺です。
立派なお寺でした。
正平15年(1360年)に今須領主長江重景が、亡き母・妙応のために創建したお寺です。
関ヶ原の戦いの翌日、徳川家康は今須に立ち寄り、座ったとされる石がありました。
元は今須宿本陣の家にあったものです。
街道に戻って進みます。
元問屋場(山崎家)の建物です。
美濃十六宿の中で当時のまま残っているのはここだけです。
ここの建物は特に説明もありませんでしたが、ベンガラ塗りの建物です。
ここから先、近江路に入ると多くのベンガラ塗りの建物が見られます。
塀の中にある常夜灯がありました。
横の説明板によると以下の通りです。
京都の問屋河内屋は大名の荷物を運ぶ途中、この今須宿で荷物を紛失した。
途方に暮れた河内屋は、金毘羅様に願をかけ、一心にお祈りしたら荷物が見つかった。
そのお礼にこの常夜灯を建立した。
秋なので午後3時を過ぎると影が長くなります。
お寺が多い街です。
真宗大谷派の真宗寺です。
道路はかなり日陰になりました。
緩い上り坂になります。
またお寺があります。
横町はありませんが法善寺です。
同じく真宗大谷派です。
鳥居がありました。
今須八幡神社です。
奥には常夜灯のような灯篭が立っています。
お社はここから1kmぐらい奥のようです。
宿場のはずれに来ました。
21号線を横切らなければなりません。
トラックが出てきた所に行かねばなりません。
ここは信号があるので安心して渡れます。
信号を渡ると左へ曲って踏切を渡ります。
オーツカと言う会社の工場の横を進みます。
従業員の駐車場の横に芭蕉の句碑があります。
正月も 美濃と近江や 閏月
隣の小さな方には
年暮れぬ 傘着て草履はきながら
奥の細道の一部が彫ってあります。
芭蕉の句碑から100m位進みました。
寝物語とは、川を挟んで旅籠があったので、旅人が寝ながら話をしたとか・・
その他いろんな話があります。
このくらいの幅ならば話は出来ますね。
広重もここで絵を描いています。
江濃両国境と描いてあります。
いよいよ近江の国に入りました。
先へ進みます。
昔ながらの建物が続きます。
寝物語が売り物ですね。
この案内板がありました。
ここには美濃側に5軒、近江側に20軒の家があったようです。
家が途切れて道の両側は山や畑になります。
道沿いにはモミジの木が多くなりました。
松並木、杉並木はよくありますが、楓並木は珍しいです。
大きな木もあります。
突然こんな警告です!!
この日は10月26日です。
ほんの1か月前の事です。
次回に続きます。
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中山道歩き35の5(2017/10/26) 11月8日(水) [中山道を行く]
昨日は、ちょっと外に出て歩いただけで汗ばむような天気でした。
少し薄手のカーデガンなどで十分でした。
(いったん仕舞った物を、また引っ張り出してきました)
楓並木の道を進んでいくと遭遇したのがこの警告です。
(前記事最後の写真です)
道はこんな道になりました。
少し不安になります。
幸い熊にも出会わず、200mほどで終わりました。
長比城は浅井長政が江濃国境を固めるために作った重要拠点です。
警告にも記載されていた神明神社の入り口です。
旧東山道の跡もありました。
律令時代の道です。
普通の道に出て踏切を渡ります。
柏原宿が近づきました。
16時ごろになりました。
色づいたモミジに夕陽が当たります。
照手姫笠掛地蔵という説明書きの横に小さな祠がありました。
右の小さなお地蔵様が笠地蔵です。
小栗判官助重が毒酒を飲まされ、死ぬ瀬戸際だった所地蔵に傘をかけて祈ったら治った
とかいう長い説明がありましたが、作り話のようなそうでないような・・・
この辺りが東見附だったところで、宿場町の始まりです。
中山道の宿場ではよく見たものです。
規格が統一されているのでしょうか???
進んでいくと、竜宝院跡という案内がありました。
この小さなお堂には秘仏が納められているとの事、どんな仏様でしょうね。
すぐ先に神社がありました。
八幡神社です。
境内に入ると、芭蕉の句碑がありました。
奥の細道の最終地は大垣です。
宿場の中心に近づきました。
少し薄手のカーデガンなどで十分でした。
(いったん仕舞った物を、また引っ張り出してきました)
楓並木の道を進んでいくと遭遇したのがこの警告です。
(前記事最後の写真です)
道はこんな道になりました。
少し不安になります。
幸い熊にも出会わず、200mほどで終わりました。
長比城は浅井長政が江濃国境を固めるために作った重要拠点です。
警告にも記載されていた神明神社の入り口です。
旧東山道の跡もありました。
律令時代の道です。
普通の道に出て踏切を渡ります。
柏原宿が近づきました。
16時ごろになりました。
色づいたモミジに夕陽が当たります。
照手姫笠掛地蔵という説明書きの横に小さな祠がありました。
右の小さなお地蔵様が笠地蔵です。
小栗判官助重が毒酒を飲まされ、死ぬ瀬戸際だった所地蔵に傘をかけて祈ったら治った
とかいう長い説明がありましたが、作り話のようなそうでないような・・・
この辺りが東見附だったところで、宿場町の始まりです。
中山道の宿場ではよく見たものです。
規格が統一されているのでしょうか???
進んでいくと、竜宝院跡という案内がありました。
この小さなお堂には秘仏が納められているとの事、どんな仏様でしょうね。
すぐ先に神社がありました。
八幡神社です。
境内に入ると、芭蕉の句碑がありました。
奥の細道の最終地は大垣です。
宿場の中心に近づきました。
建物の前には屋号、業種の札が付いています。
街灯に、夕陽が当たって点灯しているように見えました。
曲がり角を曲がると直ぐに柏原駅でした。
16時15分頃でした。
この日の宿泊は彦根です。
米原方面は16:30です。
「柏原駅」はJRには他にもあります。
ここは・かしわばら
大阪府・かしわら
兵庫県・かいばら
電車が来るのを待ちます。
米原で乗り換え、彦根に17時ごろ着きました。
・
街道歩きではほとんどビジネスホテルです。
ホテルを探すとき私はじゃらんのサイトをよく使います。
ここの宿泊代は5800円でしたが、予約する時にじゃらんのポイントが5000点使えました。
じゃらんは、時々有効期間が短いポイントプレゼントがあります。
と言うことでこの時は800円でした。
この日の歩数は約27000歩でした。
歩いた場所はこんなところです。
今日の記事に関係ありませんが、前回記事の石材屋さんのシャッターの絵。
グーグルマップのストリートビューで見ると広重の絵はありません。
日付は2014年11月でした。
・
次回更新はちがう記事を入れます。
中山道2日目(10/27)の記事は、次々回になります。
・
秋も深まりました。
立冬は過ぎましたが、相変わらず気温の上下が激しいです。
体調管理にはお気を付けください。
本日もご訪問ありがとうございました。
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東京モーターショー 11月10日(金) [お出かけ(東京)]
昨日は天気は良かったものの、強い風が吹いていました。
富士山は見えましたが、少し霞んでいます。
先月、一度白くなって消えた雪が昨日はまた降ったようです。
・
先日、東京ビックサイトで行われていた東京モーターショーに行ってきました。
今年で45回らしいですが、1回目は1954年に日比谷公園で行われたらしいです。
1954年と言えば私が小学校低学年の頃です。(歳がわかる)
今まで、一度も行った事はありませんでした。
今回、たまたまチケットをもらったので、行ってみることにしました。
行ったのは10月31日です。
京浜東北線大井町駅で臨海線に乗り換え、国際展示場前駅に着いたのは9時半頃でした。
入り口はかなりの人が行列をしていましたので、中に入ったのは10時15分頃になりました。
特に目的があって行ったのではないので適当に見て回ります。
入ったところはいきなりポルシェの展示ブースでした。
カッコいいと思うけど関係ありません。
小学生や、中学生などもたくさん来ていました。
一般は1600円ですが、小中学生は無料のようです。
平日なので、社会科見学なんでしょうか?
トヨタは違うところに展示ブースがありますが、レクサスは独自なんですね。
ここにはこんなお兄さんのモデルがいました。
三菱はドアミラーだけ、この色にしていました。
華やかなステージみたいです。
電気自動車の日産リーフ。
世界的にEVと言ってますが、それだけの電気を発電するのにどうするのでしょう??
同じ事のような気もしますがよくわかりません。
このところ話題になっている2社が並んでいました。
SUBARUのブース
私は基本的に、お姉さんたちを撮る事はしません。
ベストを着たおじさんは熱心に撮っていました。
こんな写真を撮っているほうが楽しいです。
横にあったマツダのブース。
一時、倒産しかけていたのですが、立ち直りましたね。
メルセデスのブースでは、説明員のお兄さんが、展示車の清掃をしています。
高級乗用車だけでなく、こんな車もあるんですね。
これはスエーデンのメーカーだそうです。
私は約170cmですが、SCANIAの文字が目の高さでした。
6輪駆動車のトラックです。
かなりの悪路でも走れそうですね。
パリダカールラリーでおなじみの日野レンジャー
迫力があります。
二輪車もあります。
私も一時こんな二輪車に乗ってあちこち行きました。
ホンダゴールドウィング
1800ccのエンジンです。
止まった時の取り回しが大変なのでバックも出来るんですよ。
ホンダブースにあった電気バイク。
私は昔シビックに乗っていましたが、小さな車でした。(CVCCのマークがついていました)
今はこんなに大きい車なんですね。
女性が好みそうな色のスズキの車。
人の力で動くもの以外で、初めて私が乗った乗り物はスーパーカブでした。
ひょっとしたら最後に乗るのはこれでしょうか。
その後に、他人様にお世話になる車いすになるでしょう。
トヨタのブースは少し離れた所にありました。
未来の車でしょうか。
この車は運転の楽しさではなく、後ろの座席でゆったり乗る車ですね。
このバスは燃料電池車で、来年2月から都バスに導入されるそうです。
富士山は見えましたが、少し霞んでいます。
先月、一度白くなって消えた雪が昨日はまた降ったようです。
・
先日、東京ビックサイトで行われていた東京モーターショーに行ってきました。
今年で45回らしいですが、1回目は1954年に日比谷公園で行われたらしいです。
1954年と言えば私が小学校低学年の頃です。(歳がわかる)
今まで、一度も行った事はありませんでした。
今回、たまたまチケットをもらったので、行ってみることにしました。
行ったのは10月31日です。
京浜東北線大井町駅で臨海線に乗り換え、国際展示場前駅に着いたのは9時半頃でした。
入り口はかなりの人が行列をしていましたので、中に入ったのは10時15分頃になりました。
特に目的があって行ったのではないので適当に見て回ります。
入ったところはいきなりポルシェの展示ブースでした。
カッコいいと思うけど関係ありません。
小学生や、中学生などもたくさん来ていました。
一般は1600円ですが、小中学生は無料のようです。
平日なので、社会科見学なんでしょうか?
トヨタは違うところに展示ブースがありますが、レクサスは独自なんですね。
ここにはこんなお兄さんのモデルがいました。
三菱はドアミラーだけ、この色にしていました。
華やかなステージみたいです。
電気自動車の日産リーフ。
世界的にEVと言ってますが、それだけの電気を発電するのにどうするのでしょう??
同じ事のような気もしますがよくわかりません。
このところ話題になっている2社が並んでいました。
SUBARUのブース
私は基本的に、お姉さんたちを撮る事はしません。
ベストを着たおじさんは熱心に撮っていました。
こんな写真を撮っているほうが楽しいです。
横にあったマツダのブース。
一時、倒産しかけていたのですが、立ち直りましたね。
メルセデスのブースでは、説明員のお兄さんが、展示車の清掃をしています。
高級乗用車だけでなく、こんな車もあるんですね。
これはスエーデンのメーカーだそうです。
私は約170cmですが、SCANIAの文字が目の高さでした。
6輪駆動車のトラックです。
かなりの悪路でも走れそうですね。
パリダカールラリーでおなじみの日野レンジャー
迫力があります。
二輪車もあります。
私も一時こんな二輪車に乗ってあちこち行きました。
ホンダゴールドウィング
1800ccのエンジンです。
止まった時の取り回しが大変なのでバックも出来るんですよ。
ホンダブースにあった電気バイク。
私は昔シビックに乗っていましたが、小さな車でした。(CVCCのマークがついていました)
今はこんなに大きい車なんですね。
女性が好みそうな色のスズキの車。
人の力で動くもの以外で、初めて私が乗った乗り物はスーパーカブでした。
ひょっとしたら最後に乗るのはこれでしょうか。
その後に、他人様にお世話になる車いすになるでしょう。
トヨタのブースは少し離れた所にありました。
未来の車でしょうか。
この車は運転の楽しさではなく、後ろの座席でゆったり乗る車ですね。
このバスは燃料電池車で、来年2月から都バスに導入されるそうです。
同じフロアにダイハツの展示ブースがありましたが、写真を摂り忘れました。
大勢の人が来ています。
私が買える車はここにありました。
トミカのミニカーです。
モーターショー限定モデルを買う人が40分待ちの行列でした。
と言うことで買わずに帰りました。
モータショウは来年もあるでしょうが、また来ることは無いでしょう。
・
本日もご訪問ありがとうございました。
・
次回は中山道36日目(10月27日)の記事になります。
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タグ:東京モーターショー
中山道歩き36の1(2017/10/27) 11月12日(日) [中山道を行く]
昨日、横浜では強風だったり、雨が降ったり、晴れて見たり不安定な天気でした。
今日からは良い天気らしいですが、気温の上下もあり、体調管理には注意です。
中山道の続きです。
10月26日は彦根で泊まり、翌朝柏原駅まで戻ってきました。
この日も上天気です。
伊吹山が綺麗に見えます。
駅から150m、中山道に戻ります。
朝9時ごろです。
宿場の中心地に近くなります。
この看板がかかっていました。
「蠟燭」、難しい字ですね、読めても書けません
問屋場の建物です。
ここにはこんな看板がついていました。
宿場町とは関係ありませんが、こんな建物がありました。
吉村公三郎は映画監督で多くの作品があるようです。
調べてみましたが、名前は知っていても、私はその映画は見たことがありませんでした。
この建物は本陣跡に建っています。
こんな石柱が立っていました。
荒物屋の看板がさがってますが、普通の住宅です。
ベンガラ塗りです。
ベンガラ塗りは防腐効果があるようです。
この地域に多く見られます。
雪の多いことに関連があるかも知れません。
小さな橋に来ました。
道の中央には溝のような箇所が見えますが、ここにはスプリンクラーが付いています。
橋を渡ると立派な屋敷がありました。
その向こうに続いている建物は、有名な艾(もぐさ)屋さんです。
「伊吹堂」(正式には亀屋佐京商店)で今でも営業しています。
(創業1661年)
中には大きな「福助」がある事で有名です。
残念ながら見ることは出来ませんでした。
私が持っているガイドブックによればこんな福助だそうです。
(本のコピーです)
広重はこの辺りを描いています。
向かいには造り酒屋跡に酒樽を置いて休憩所になっていました。
柏原宿は、約1.5kmと続き、比較的大きな宿場でした。
本陣1、脇本陣2、旅籠屋22、そのほかに約350軒の家があったそうです。
右側に柏原宿歴史館の建物が見えました。
染料関係で財を成した松浦家の建物です。(この建物は大正時代に建ったものです)
ここでは中に入って見ました。
(但し内部の写真はありません)
殆どの宿場には八幡神社がありますが、ここは日枝神社でした。
この神社の本殿は檜皮ぶきの様でした。
他の宿場と比べてお寺は少ないように感じました。
小さな土産物屋さんの建物ですが、荷車の車輪が飾ってあります。
こちらも造り酒屋の跡です。
水がいいので、幾つかあったようです。
「煮賣屋」とは魚、野菜、豆などを煮たものを売る店でした。
次第に、お茶や酒を出すようになり、居酒屋風になってきたそうです。
まだ町並みは続きます。
ここにも艾屋の看板がありました。
柏原宿には10軒以上の艾屋があったそうです。
柏原宿では年1回「やいと祭り」が開催されるそうです。
これは現代の建物です。
集会所などで使われている公の場所です。
火の見櫓も昔の雰囲気に合わせて作ったそうです。
長い街並みと言うだけあってまだ続きます。
可能ならば電柱はなくして欲しいですね。
常夜灯があり、その先の橋の向こうは家が無さそうです。
橋を渡ったところに、一里塚跡(復元)がありました。
115番目の一里塚です。
こんな所にありました。
桜の木ですから春は綺麗でしょう。
進む道はこちらです。
西見附跡の案内板がありましたので、柏原宿の西のはずれでしょう。
次回に続きます。
・
この日の道中記はまだ続きがありますが、本日、明日は10月27日の続きを歩いてきます。
次回更新は、11月15日(水)です。
皆様への訪問は後日になります。
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本日もご訪問ありがとうございました。
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今日からは良い天気らしいですが、気温の上下もあり、体調管理には注意です。
中山道の続きです。
10月26日は彦根で泊まり、翌朝柏原駅まで戻ってきました。
この日も上天気です。
伊吹山が綺麗に見えます。
駅から150m、中山道に戻ります。
朝9時ごろです。
宿場の中心地に近くなります。
この看板がかかっていました。
「蠟燭」、難しい字ですね、読めても書けません
問屋場の建物です。
ここにはこんな看板がついていました。
宿場町とは関係ありませんが、こんな建物がありました。
吉村公三郎は映画監督で多くの作品があるようです。
調べてみましたが、名前は知っていても、私はその映画は見たことがありませんでした。
この建物は本陣跡に建っています。
こんな石柱が立っていました。
荒物屋の看板がさがってますが、普通の住宅です。
ベンガラ塗りです。
ベンガラ塗りは防腐効果があるようです。
この地域に多く見られます。
雪の多いことに関連があるかも知れません。
小さな橋に来ました。
道の中央には溝のような箇所が見えますが、ここにはスプリンクラーが付いています。
橋を渡ると立派な屋敷がありました。
その向こうに続いている建物は、有名な艾(もぐさ)屋さんです。
「伊吹堂」(正式には亀屋佐京商店)で今でも営業しています。
(創業1661年)
中には大きな「福助」がある事で有名です。
残念ながら見ることは出来ませんでした。
私が持っているガイドブックによればこんな福助だそうです。
(本のコピーです)
広重はこの辺りを描いています。
向かいには造り酒屋跡に酒樽を置いて休憩所になっていました。
柏原宿は、約1.5kmと続き、比較的大きな宿場でした。
本陣1、脇本陣2、旅籠屋22、そのほかに約350軒の家があったそうです。
右側に柏原宿歴史館の建物が見えました。
染料関係で財を成した松浦家の建物です。(この建物は大正時代に建ったものです)
ここでは中に入って見ました。
(但し内部の写真はありません)
殆どの宿場には八幡神社がありますが、ここは日枝神社でした。
この神社の本殿は檜皮ぶきの様でした。
他の宿場と比べてお寺は少ないように感じました。
小さな土産物屋さんの建物ですが、荷車の車輪が飾ってあります。
こちらも造り酒屋の跡です。
水がいいので、幾つかあったようです。
「煮賣屋」とは魚、野菜、豆などを煮たものを売る店でした。
次第に、お茶や酒を出すようになり、居酒屋風になってきたそうです。
まだ町並みは続きます。
ここにも艾屋の看板がありました。
柏原宿には10軒以上の艾屋があったそうです。
柏原宿では年1回「やいと祭り」が開催されるそうです。
これは現代の建物です。
集会所などで使われている公の場所です。
火の見櫓も昔の雰囲気に合わせて作ったそうです。
長い街並みと言うだけあってまだ続きます。
可能ならば電柱はなくして欲しいですね。
常夜灯があり、その先の橋の向こうは家が無さそうです。
橋を渡ったところに、一里塚跡(復元)がありました。
115番目の一里塚です。
こんな所にありました。
桜の木ですから春は綺麗でしょう。
進む道はこちらです。
西見附跡の案内板がありましたので、柏原宿の西のはずれでしょう。
次回に続きます。
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この日の道中記はまだ続きがありますが、本日、明日は10月27日の続きを歩いてきます。
次回更新は、11月15日(水)です。
皆様への訪問は後日になります。
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本日もご訪問ありがとうございました。
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中山道歩き36の2(2017/10/27) 11月15日(水) [中山道を行く]
前記事でお断りした通り、11月12日、13日2日間中山道を歩いてきました。
2日間共良い天気で快適な旅が出来ました。
現在の記事は10月27日ですがこの日は鳥居本まで歩きました。
(今日の記事は柏原宿を出たところですが鳥居本宿まで2、3回続きます)
11月12日と13日は鳥居本宿から武佐宿まで歩きました。
(下図の黄緑の宿場です)
前記事の続きです。
柏原宿を出ると、家はなくなり、のどかな道に変ります。
時々車が通る程度で静かな道です。
右側は山、左側は田んぼ、畑が広がりその先には国道21号線が走っています。
右側に、松の木が植えてあります。
柏原宿制定400年で平成14年に植えられたものです。
ここには幕末には450本の松の木があったとか、
ここでは「松並木」ではなく「並び松」と言うそうです。
この先から小さな集落に入っていきます。
10軒ぐらいほど家が続き、途切れた所にCafeの看板が。
丁度よいので暖かいコーヒーを頂きました。
自転車で来た人としばらく街道談義など・・
長らく休憩する訳には行きません。
先に進みます。
この集落は「長沢」、「ながそ」と読むようです。
右・・旧中山道
左・・中山道
私としてはどちらも旧中山道ですが・・?
道は林の中に入ります。
150m位の暗い道でした。
出口にあった道標にカマキリがとまっています。
小さな小屋があり、お地蔵様がならんでいます。
どう考えても最初からこのようなものだったとは思えません。
新しい道路工事などで移設したのかもしれません。
この先、各所で見かけることになります。
国道21号線がすぐ横になりました。
幸い、21号線を歩かずに済みそうです。
気持ちの良い道になりますが、21号線は近くを通っていますので、騒音は聞こえます。
天気は良く、気温も高かったので、上着を脱ぎました。
9月の日焼けに上塗り(焼け)です。
気持ち良い景色が広がります。
横を流れる川は梓川といいます。
道の傍に、柿が置いてあります。
一瞬、考えましたが、持ち帰りませんでした。
昔は考えもしなかったであろう「旅籠?」の裏を通ります。
横道があったので見たら、21号線沿いの旅籠?でした。
道は川沿いに続いています。
松並木がありました。
ここでは松並木と言うようですね。
(先ほどの並び松の場所から2km位しか離れていません)
この後、川沿いの道は途切れて、国道21号線を横断し(信号はありませんでした)
国道の歩道を進みます。
しばらくすると左に分かれていきます。
再び静かな道になりました。
こんな案内はいいですね。
八幡神社がありました。
ここの注連縄は藁で作った物ではありませんでした。
一色の一里塚跡の石碑がありました。(116番目)
道は開けた所に出て、道路の右下には国道21号線、JR東海道線が走っています。
小さな小屋があり、中には井戸のような物があります。
仏心水と言う井戸です。
中山道を往来する人、馬の喉を潤した井戸です。
近くにはコンクリートブロックの小屋に閉じ込められた(?)石像たちがいます。
道は下り坂になり、角を曲がると醒井宿に入っていきます。
次回に続きます。
・
一昨日の夜は冷たい雨になりました。
昨日の朝は寒くなり、通学の子供たちも冬の装いになりました。
皆さま、暖かくしてお過ごしください。
・
本日もご訪問ありがとうございました。
・
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中山道歩き36の3(2017/10/27) 11月17日(金) [中山道を行く]
昨日は天気もよく気持ちの良い日でした。
私の部屋は南東を向いているので午前中は比較的暖かいです。
しかし昼過ぎると、日陰になり急に寒くなります。
着る物も増やし、ファンヒーターを動かさないと寒いです。
今日は昨日よりも気温が下がるようです。
暖かくして過ごしましょう。
醒井(さめがい)宿に入ります。
宿場町らしい雰囲気は少し匂いますが、建物は比較的新しい物ばかりです。
家の前にこんなものが並べてありました。
どういう意図があるか知りません。
ここは観光地の側面が強そうです。
近くにあるJRの駅名は「醒ヶ井」ですが、宿場名は「醒井」です。
左側の崖に神社がありました。
加茂神社と言うそうです。
神社のあるところから、道路の横にはきれいな川が始まります。
この辺りに何か所か水が沸くところがありきれいな水が流れています。
地蔵川と言ってとてもきれいな水が流れています。
7月~8月にはバイカモが咲いて、大勢の人が訪れるそうです。
水清き 人の心を さめが井や 底のさざれも 玉とみるまで 雨森芳洲
上の案内の横には地蔵堂がありました。
古くから延命地蔵尊として親しまれ、毎年8月23日、24日の地蔵盆は盛大に行われるそうです。
横には崖にお地蔵様達が・・・
お堂の前にはこちら
この川の左にはいくつかの建物があり、お休み処などがあります。
それぞれに小さな橋があります。
後ろを振り返るとこんな光景です。
ここには「ハリヨ」と言う珍しい魚が生息しているそうです。
バイカモが咲いている時期に再訪したい所です。
問屋場の跡が資料館になっていました。
醒井宿は本陣とか脇本陣の案内はなく、宿場町としてではなく単なる観光地と言う感じでした。
きれいな流れは売り物ですね。
道路の右側には観光客向けのお店もあります。
ここは醤油屋さんです。
しょうゆソフトに目が行きましたが、ちょっと腹の具合が調子よくありません。
この門の向こうは観光用駐車場でした。
了徳寺と言うお寺の隣に大銀杏の木がありました。
今頃は黄色くなっているでしょうね。
ちょうどお昼頃、このベンチでおにぎりを食べてちょっと休憩しました。
近くにはツワブキの花が綺麗に咲いていました。
宿場の中心部から離れると川の流れから離れます。
長い塀ですね。
お寺かと思いましたが、大きな屋敷でした。
西行水と言われるところに来ました。
東の国へ旅をする西行がここにあった茶屋に立ち寄りお茶を飲んだとか
道はやがて広い道に入り、・・・・この道は間違いでした。
ちょっと時間をロスしましたが、正しい道に戻ります。
ここから少し怖い国道21号線に入ります。
歩道のない国道歩きが始まります。
しばらくするとY字路になりました。
こちらです。
頑張って次の宿場目指して歩きましょう。
次回に続きます。
・
本日もご訪問ありがとうございました。
私の部屋は南東を向いているので午前中は比較的暖かいです。
しかし昼過ぎると、日陰になり急に寒くなります。
着る物も増やし、ファンヒーターを動かさないと寒いです。
今日は昨日よりも気温が下がるようです。
暖かくして過ごしましょう。
醒井(さめがい)宿に入ります。
宿場町らしい雰囲気は少し匂いますが、建物は比較的新しい物ばかりです。
家の前にこんなものが並べてありました。
どういう意図があるか知りません。
ここは観光地の側面が強そうです。
近くにあるJRの駅名は「醒ヶ井」ですが、宿場名は「醒井」です。
左側の崖に神社がありました。
加茂神社と言うそうです。
神社のあるところから、道路の横にはきれいな川が始まります。
この辺りに何か所か水が沸くところがありきれいな水が流れています。
地蔵川と言ってとてもきれいな水が流れています。
7月~8月にはバイカモが咲いて、大勢の人が訪れるそうです。
水清き 人の心を さめが井や 底のさざれも 玉とみるまで 雨森芳洲
上の案内の横には地蔵堂がありました。
古くから延命地蔵尊として親しまれ、毎年8月23日、24日の地蔵盆は盛大に行われるそうです。
横には崖にお地蔵様達が・・・
お堂の前にはこちら
この川の左にはいくつかの建物があり、お休み処などがあります。
それぞれに小さな橋があります。
後ろを振り返るとこんな光景です。
ここには「ハリヨ」と言う珍しい魚が生息しているそうです。
バイカモが咲いている時期に再訪したい所です。
問屋場の跡が資料館になっていました。
醒井宿は本陣とか脇本陣の案内はなく、宿場町としてではなく単なる観光地と言う感じでした。
きれいな流れは売り物ですね。
道路の右側には観光客向けのお店もあります。
ここは醤油屋さんです。
しょうゆソフトに目が行きましたが、ちょっと腹の具合が調子よくありません。
この門の向こうは観光用駐車場でした。
了徳寺と言うお寺の隣に大銀杏の木がありました。
今頃は黄色くなっているでしょうね。
ちょうどお昼頃、このベンチでおにぎりを食べてちょっと休憩しました。
近くにはツワブキの花が綺麗に咲いていました。
宿場の中心部から離れると川の流れから離れます。
長い塀ですね。
お寺かと思いましたが、大きな屋敷でした。
西行水と言われるところに来ました。
東の国へ旅をする西行がここにあった茶屋に立ち寄りお茶を飲んだとか
道はやがて広い道に入り、・・・・この道は間違いでした。
ちょっと時間をロスしましたが、正しい道に戻ります。
ここから少し怖い国道21号線に入ります。
歩道のない国道歩きが始まります。
しばらくするとY字路になりました。
こちらです。
頑張って次の宿場目指して歩きましょう。
次回に続きます。
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本日もご訪問ありがとうございました。
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中山道歩き36の4(2017/10/27) 11月19日(日) [中山道を行く]
昨日は朝から曇り空で、太陽の姿は一度も見ることがありませんでした。
その為、気温も低く一日中部屋の中で過ごしました。
そして、今朝は起きた時の室温が15度でした。
中山道の旅、続きます。
交通量の多い国道21号線を離れて静かな道になりました。
この辺りは、家並みが途切れることは無さそうです。
玄関の軒先にこんなものが吊るしてありました。
道の傍に水路が通っています。
やがて、国道21号線の信号が見えてきます。
国道に合流するのではなく、横切って道は進みます。
静かな道です。
立派な塀が続きます。
大きなお寺でした。
街道沿いには、大きい立派なお寺は度々見かけますが、大きな神社はほとんどありません。
しばらく歩きガード下を通ります。
この上は米原ジャンクションから分かれた北陸自動車道です。
この先に一里塚跡の石碑が建っていました。
少し寂しい道になりました。
こんな看板が立っています。
しばらくすると家があり、番場宿に入ってきました。
宿場町らしさはありません。
手作り看板です。
少し進むと交差点になり、宿場の中心地だったところに来ました。
番場(ばんば)宿は本陣1、脇本陣1、旅籠屋10の小さな宿場だったようです。
脇本陣と本陣は並んであったようです。
番場宿は米原に近く、琵琶湖までも4kmぐらいのところです。
その為、米原経由で琵琶湖の水運に通じる宿場として運送の要所であったようです。
歌川広重がこの辺りを描いています。
脇本陣跡は石碑が立っているだけです。
本陣跡には今はこの家があります。
これが立っています。
先に進みます。
なにやらいろいろな案内が立っています。
史跡蓮華寺といっても見えませんので通過します。
鎌刃城跡は国の史跡に指定されています。
築城年代は、はっきりしませんが応仁の乱のころではないかと言われています。
山城なのでこの山かもしれませんが、わかりません。
小さな宿場と言うけれど、家はまだ続いています。
神社があります。
この神社は北野神社でした。
街道沿いには神社が無数にありますが、北野神社は初めて出てきました。
奥に本殿があり、立派な建物の様でした。
この辺りは中山道と呼ばれる前、東山道の番場宿駅(宿場)だったようです。
こんな建物が並んでいます。
やがて家が無くなり、寂しい道になります。
正面は名神高速道路です。
ススキが綺麗だったのでワンショット。
道は名神高速道路に沿って緩い坂道を進みます。
名神高速道路は上の方に見えます。
振返ると、伊吹山が見えています。
(これ以後、中山道から伊吹山が見えるところはありませんでした)
緩い上り坂はまだ続きます。
この頃の太陽の日差しは弱く、日陰になると暗くなります。
やっと名神高速道路と同じ高さになりました。
小さな祠があり、横に水が湧いています。
道は下って行きます。
下りてきたところに道標がありました。
この先に摺針峠があります。
今の峠が摺針峠かと思っていたら、違いました。
(実名かどうかわかりませんが、「小摺針峠」と言うそうです)
その為、気温も低く一日中部屋の中で過ごしました。
そして、今朝は起きた時の室温が15度でした。
中山道の旅、続きます。
交通量の多い国道21号線を離れて静かな道になりました。
この辺りは、家並みが途切れることは無さそうです。
玄関の軒先にこんなものが吊るしてありました。
道の傍に水路が通っています。
やがて、国道21号線の信号が見えてきます。
国道に合流するのではなく、横切って道は進みます。
静かな道です。
立派な塀が続きます。
大きなお寺でした。
街道沿いには、大きい立派なお寺は度々見かけますが、大きな神社はほとんどありません。
しばらく歩きガード下を通ります。
この上は米原ジャンクションから分かれた北陸自動車道です。
この先に一里塚跡の石碑が建っていました。
少し寂しい道になりました。
こんな看板が立っています。
しばらくすると家があり、番場宿に入ってきました。
宿場町らしさはありません。
手作り看板です。
少し進むと交差点になり、宿場の中心地だったところに来ました。
番場(ばんば)宿は本陣1、脇本陣1、旅籠屋10の小さな宿場だったようです。
脇本陣と本陣は並んであったようです。
番場宿は米原に近く、琵琶湖までも4kmぐらいのところです。
その為、米原経由で琵琶湖の水運に通じる宿場として運送の要所であったようです。
歌川広重がこの辺りを描いています。
脇本陣跡は石碑が立っているだけです。
本陣跡には今はこの家があります。
これが立っています。
先に進みます。
なにやらいろいろな案内が立っています。
史跡蓮華寺といっても見えませんので通過します。
鎌刃城跡は国の史跡に指定されています。
築城年代は、はっきりしませんが応仁の乱のころではないかと言われています。
山城なのでこの山かもしれませんが、わかりません。
小さな宿場と言うけれど、家はまだ続いています。
神社があります。
この神社は北野神社でした。
街道沿いには神社が無数にありますが、北野神社は初めて出てきました。
奥に本殿があり、立派な建物の様でした。
この辺りは中山道と呼ばれる前、東山道の番場宿駅(宿場)だったようです。
こんな建物が並んでいます。
やがて家が無くなり、寂しい道になります。
正面は名神高速道路です。
ススキが綺麗だったのでワンショット。
道は名神高速道路に沿って緩い坂道を進みます。
名神高速道路は上の方に見えます。
振返ると、伊吹山が見えています。
(これ以後、中山道から伊吹山が見えるところはありませんでした)
緩い上り坂はまだ続きます。
この頃の太陽の日差しは弱く、日陰になると暗くなります。
やっと名神高速道路と同じ高さになりました。
小さな祠があり、横に水が湧いています。
道は下って行きます。
下りてきたところに道標がありました。
この先に摺針峠があります。
今の峠が摺針峠かと思っていたら、違いました。
(実名かどうかわかりませんが、「小摺針峠」と言うそうです)
もう一つの峠を越えればこの日の最終予定地である、鳥居本宿です。
次回に続きます。
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本日もご訪問ありがとうございました。
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中山道歩き36の5(2017/10/27) 11月21日(火) [中山道を行く]
この2,3日寒い朝が続いています。
昨日の朝はかなり寒く、昨日東京に出かけましたが、この冬はじめてマフラーをしました。
丸ビル前のイチョウは色は変わってはいましたが、まだ完全に黄色くはなっていませんでした。
中山道、10月27日の最後です。
摺針峠だと思っていた小摺針峠を越えて、本物の摺針峠に向かいます。
しばらくすると磨針の一里塚跡の標柱がありました。
こういうものにしては珍しい字体です。
道は緩い上り坂になってきました。
称名寺と言うお寺がありました。
称名寺と言うお寺は私の家の近く(横浜の金沢区、鎌倉)にもあります。
しかし宗派がちがいます。
道は峠の頂点に来ました。
昔の道は左の坂を上り鳥居の前を通っていたそうです。
家が建っているところに「望湖堂」というお茶屋があったそうです。
後で調べたら、鳥居の少し上の方から琵琶湖が見えるそうです。
(上がって見ればよかった)
広重はここで描いています。
道は下って行きます。
舗装した道路のよこにこんな案内が立っていました。
(ちょっとぶれています)
こんな細い道です。
林の中に入り、道がはっきりしません。
急な下り坂です。
やっと出口が見えてきました。
抜けるとここに出てきました。
民家の庭先のような所を通ります。
その先は国道に出ます。
今までは国道21号線と中山道はほぼ並行していましたが、これからは国道8号線になります。
橋を渡るとすぐに左に入り旧道になります。
もう彦根市に入ったようです。
大きなモニュメントが立っています。
説明が無いので定かではありません。
(彦根市役所のHP には旅人の像となっていました)
近江商人の旅姿、望湖堂で休憩中の旅人、虚無僧などでしょうか。
このモニュメントを過ぎると宿場町に入っていきます。
63番目の宿場鳥居本(とりいもと)宿です。
苔むした茅葺屋根の家がありました。
しかし軒のあたりは瓦です。
桝形の角に古くからの建物がありました。
懐中胃薬「赤玉神教丸」を製造販売している有川家の建物です。
今でも販売しているようです。
立派な建物です。
こんな家並みが続きます。
古い看板がある家がありました。
鳥居本は「合羽」が名産でした。
何が書いてるか読めません。
本陣跡は案内板だけでした。
この家の前には脇本陣跡の案内板があります。
脇本陣跡を曲がると近江鉄道鳥居本駅が正面に見えます。
ここに鉄道がとおった昭和8年に建てられた駅です
(一度建て替えられましたが元の形を残してあるそうです)
内部の様子です。
30分に1本ぐらいしか電車はありません。
私が乗る電車の反対方面行の電車が来ました。
洒落た服装のお婆さんが一人乗って行きました。
お~いお茶のラッピング電車でした。
私が乗る米原行の電車が来るまで、近くを通る夕暮れの新幹線を見ていました。
手前の電線が邪魔でした。
電車が来ました。
車内はガラガラでした。
この後米原駅から新幹線で帰ります。
米原に止まるひかり号指定席は満席。
自由席に乗りましたが、幸い岐阜羽島で座れました。
10月26日、27日の中山道道中記は終わりです。
10月26日 垂井駅~柏原駅 27,312歩
昨日の朝はかなり寒く、昨日東京に出かけましたが、この冬はじめてマフラーをしました。
丸ビル前のイチョウは色は変わってはいましたが、まだ完全に黄色くはなっていませんでした。
中山道、10月27日の最後です。
摺針峠だと思っていた小摺針峠を越えて、本物の摺針峠に向かいます。
しばらくすると磨針の一里塚跡の標柱がありました。
こういうものにしては珍しい字体です。
道は緩い上り坂になってきました。
称名寺と言うお寺がありました。
称名寺と言うお寺は私の家の近く(横浜の金沢区、鎌倉)にもあります。
しかし宗派がちがいます。
道は峠の頂点に来ました。
昔の道は左の坂を上り鳥居の前を通っていたそうです。
家が建っているところに「望湖堂」というお茶屋があったそうです。
後で調べたら、鳥居の少し上の方から琵琶湖が見えるそうです。
(上がって見ればよかった)
広重はここで描いています。
道は下って行きます。
舗装した道路のよこにこんな案内が立っていました。
(ちょっとぶれています)
こんな細い道です。
林の中に入り、道がはっきりしません。
急な下り坂です。
やっと出口が見えてきました。
抜けるとここに出てきました。
民家の庭先のような所を通ります。
その先は国道に出ます。
今までは国道21号線と中山道はほぼ並行していましたが、これからは国道8号線になります。
橋を渡るとすぐに左に入り旧道になります。
もう彦根市に入ったようです。
大きなモニュメントが立っています。
説明が無いので定かではありません。
(彦根市役所のHP には旅人の像となっていました)
近江商人の旅姿、望湖堂で休憩中の旅人、虚無僧などでしょうか。
このモニュメントを過ぎると宿場町に入っていきます。
63番目の宿場鳥居本(とりいもと)宿です。
苔むした茅葺屋根の家がありました。
しかし軒のあたりは瓦です。
桝形の角に古くからの建物がありました。
懐中胃薬「赤玉神教丸」を製造販売している有川家の建物です。
今でも販売しているようです。
立派な建物です。
こんな家並みが続きます。
古い看板がある家がありました。
鳥居本は「合羽」が名産でした。
何が書いてるか読めません。
本陣跡は案内板だけでした。
この家の前には脇本陣跡の案内板があります。
脇本陣跡を曲がると近江鉄道鳥居本駅が正面に見えます。
ここに鉄道がとおった昭和8年に建てられた駅です
(一度建て替えられましたが元の形を残してあるそうです)
内部の様子です。
30分に1本ぐらいしか電車はありません。
私が乗る電車の反対方面行の電車が来ました。
洒落た服装のお婆さんが一人乗って行きました。
お~いお茶のラッピング電車でした。
私が乗る米原行の電車が来るまで、近くを通る夕暮れの新幹線を見ていました。
手前の電線が邪魔でした。
電車が来ました。
車内はガラガラでした。
この後米原駅から新幹線で帰ります。
米原に止まるひかり号指定席は満席。
自由席に乗りましたが、幸い岐阜羽島で座れました。
10月26日、27日の中山道道中記は終わりです。
10月26日 垂井駅~柏原駅 27,312歩
10月27日 柏原駅~鳥居本駅 32,067歩
・
中山道歩きは11月12日、13日にも行ってます。
次回は他の記事を掲載し、中山道歩きは続きます。
本当は今日、明日にさらに続きを歩くつもりでしたが、ホテルがどこも満室で止めました。
京都のホテルが一杯になると、草津、近江八幡まで満室になります。
本日もご訪問ありがとうございました。
・
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中山道歩きは11月12日、13日にも行ってます。
次回は他の記事を掲載し、中山道歩きは続きます。
本当は今日、明日にさらに続きを歩くつもりでしたが、ホテルがどこも満室で止めました。
京都のホテルが一杯になると、草津、近江八幡まで満室になります。
本日もご訪問ありがとうございました。
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晩秋の散歩 11月23日(木) [フォト散歩]
昨日の午後から降り出した冷たい雨は降り続いています。(午前5時)
今日は祭日、明日休めば4連休ですね。
(今は関係ありませんが)
お出かけ予定の方は」あいにくの雨ですね。
勤労感謝の日、ゆっくりお休みください。
・
中山道の記事が続きましたので、久しぶりに、近所のフォト散歩です。
11月19日(日)です。
近くにツワブキに群生しているところがありますが、遅すぎました。
芙蓉の花も枯れ花になってしまいました。
久しぶりに瀬上池に向かいます。
花を切らない紫陽花はこんな状態です。
一方、山茶花の花は秋の色に華やかさを感じます。
モミジは赤くなり始めていましたが、もう少しです。
寒い日でしたが、瀬上の池も寒々しい中でも色づいた木が見られます。
常緑樹も多いので、それほどの色にはなりません。
肝心のいつも紅葉を撮る木はどうでしょう。
まだ早いですね。
それでも少し赤くなった枝もあります。
紅くなるのは12月の初旬でしょうか。
このところの冷え込みで早まるかな~
もう少し待ちましょう。
池を離れます。
このモミジはいつも黄色くなってから赤くなるはずです。
山茶花の咲いているところに来ました。
白い八重の山茶花です。
毎年この山茶花は撮っています。
少し青空が出てきました。
でもここは谷戸なのであまり陽辺りはよくありません。
ススキも綿毛になり、枯れていくでしょうね。
帰り道、元気の良いのは皇帝ダリアでした。
今年は花の咲くのが遅い気がします。
これからは日増しに寒くなるでしょう。
外に出る時はカイロが欲しくなりました。
・
次回は11月12日の中山道を鳥居本からスタートします。
・
本日もご訪問ありがとうございました。
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今日は祭日、明日休めば4連休ですね。
(今は関係ありませんが)
お出かけ予定の方は」あいにくの雨ですね。
勤労感謝の日、ゆっくりお休みください。
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中山道の記事が続きましたので、久しぶりに、近所のフォト散歩です。
11月19日(日)です。
近くにツワブキに群生しているところがありますが、遅すぎました。
芙蓉の花も枯れ花になってしまいました。
久しぶりに瀬上池に向かいます。
花を切らない紫陽花はこんな状態です。
一方、山茶花の花は秋の色に華やかさを感じます。
モミジは赤くなり始めていましたが、もう少しです。
寒い日でしたが、瀬上の池も寒々しい中でも色づいた木が見られます。
常緑樹も多いので、それほどの色にはなりません。
肝心のいつも紅葉を撮る木はどうでしょう。
まだ早いですね。
それでも少し赤くなった枝もあります。
紅くなるのは12月の初旬でしょうか。
このところの冷え込みで早まるかな~
もう少し待ちましょう。
池を離れます。
このモミジはいつも黄色くなってから赤くなるはずです。
山茶花の咲いているところに来ました。
白い八重の山茶花です。
毎年この山茶花は撮っています。
少し青空が出てきました。
でもここは谷戸なのであまり陽辺りはよくありません。
ススキも綿毛になり、枯れていくでしょうね。
帰り道、元気の良いのは皇帝ダリアでした。
今年は花の咲くのが遅い気がします。
これからは日増しに寒くなるでしょう。
外に出る時はカイロが欲しくなりました。
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次回は11月12日の中山道を鳥居本からスタートします。
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タグ:瀬上池
中山道歩き37の1(2017/11/12) 11月25日(土) [中山道を行く]
昨日は天気もよく、気温もまずまずでした。
久しぶりに北鎌倉に行ってきましたが、紅葉も進み多くの人が来ていました。
しばらく混雑するでしょうね。
・
久しぶりに北鎌倉に行ってきましたが、紅葉も進み多くの人が来ていました。
しばらく混雑するでしょうね。
・
中山道の記事に戻ります。
37日目になりました。
11月12日、13日の二日間かけて行ってきました。
今回の予定は鳥居本から武佐までです。
いつもの通り、小田原から新幹線に乗ります。
天気は良く富士山も綺麗に見えました。
この時はこんな姿でしたが、今はもっと白いでしょう。
本題から外れますが、昨夕の富士山はこんな姿でした。
頂上付近だけ小さな雲が見え、強い風が吹いているようです。
37日目になりました。
11月12日、13日の二日間かけて行ってきました。
今回の予定は鳥居本から武佐までです。
いつもの通り、小田原から新幹線に乗ります。
天気は良く富士山も綺麗に見えました。
この時はこんな姿でしたが、今はもっと白いでしょう。
本題から外れますが、昨夕の富士山はこんな姿でした。
頂上付近だけ小さな雲が見え、強い風が吹いているようです。
この日は米原まで行きます。
9:40頃、伊吹山の姿が見えると米原です。
米原で近江鉄道に乗り換え、鳥居本駅に着いたのが10時過ぎでした。
身支度を整えて出発です。
駅前の家は古い家ですが、その先には新しい現代風の家が建っています。
駅から100m足らずで中山道に戻ります。
鳥居本(とりいもと)宿の脇本陣跡です。
中山道を歩き始めます。
このような建物はほとんど二階部分に虫籠窓(むしこまど)がついています。
前々回の記事にもありましたがまた合羽屋さんがありました。
昔は合羽を製造販売していたようですが、戦後は縄づくりをしていたようです。
合羽の形の看板ですが、包紙紐荷造材料となっています。
玄関にはこれも架かっていました。
街道にはお地蔵さん等が入った小さな祠がよくあります。
これは檜皮葺きの屋根です。
とても珍しいです。
こんな道を進みますが、鳥居本宿までの道と違い、車が多く思うように歩けません。
(車が切れた時に撮っています)
また合羽屋さんがありました。
最盛期には18軒あったそうです。
合羽は、和紙に柿渋を塗って、さらにその上に油を塗った紙からできています。
これはただの飾りでしょう。
この建物は国有形文化財のプレートが貼ってありますが、特に説明はありませんでした。
立派な家です。
専宗寺と言うお寺がありました。
聖徳太子開祖と言われてます。(?)
元々、佐和山(彦根駅付近)の下にあったようですが移転されました。
このような建物が幾つも続きます。
石の道標がありました。
彦根道の分岐です。
昔、朝鮮通信使が何度も通ったので朝鮮人街道とも呼ばれていたそうです。
家並みが途切れ眺めの良い街道歩きになります。
ただし、先には集落が見えます。
直ぐ傍には東海道新幹線が通っています。
反対側には名神高速道路があります。
秋らしい景色です。
ここで新幹線が来るといいですが。
頻繁に通りますが、待っていると来ません。
しばらく進むと、小野と言う集落に入っていきます。
中山道以前の東山道の宿駅だったそうです。
ここには江戸時代から伝わる太鼓踊りがあり、5年前に76年ぶりに復活しました。
進んでいくと、一軒の家からお婆さんが出てきました。
玄関の前にお地蔵さんがあり、線香を持って出てきたところでした。
これから出かけるのか、お化粧もされていました。
ちょっと立ち話、「このお地蔵さんのおかげで元気です」等・・
90歳だそうです。
進みます。
大きな灯篭がありました。
八幡神社です。
太鼓踊りはこの神社に奉納されるそうです。
社殿は新幹線の奥の方にあるようです。
小さな地蔵堂がありました。
小野小町はこの地で生まれたとのことですが、全国各地に誕生の地、お墓があるので・・・?
昔はここにお茶屋があったとか
お多賀さんというのは多賀大社の事です。
中山道が続きます。
次回に続きます。
明日から出かけますので、次回更新は28日の予定です。
・
本日もご訪問ありがとうございました。
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中山道を歩き始めます。
このような建物はほとんど二階部分に虫籠窓(むしこまど)がついています。
前々回の記事にもありましたがまた合羽屋さんがありました。
昔は合羽を製造販売していたようですが、戦後は縄づくりをしていたようです。
合羽の形の看板ですが、包紙紐荷造材料となっています。
玄関にはこれも架かっていました。
街道にはお地蔵さん等が入った小さな祠がよくあります。
これは檜皮葺きの屋根です。
とても珍しいです。
こんな道を進みますが、鳥居本宿までの道と違い、車が多く思うように歩けません。
(車が切れた時に撮っています)
また合羽屋さんがありました。
最盛期には18軒あったそうです。
合羽は、和紙に柿渋を塗って、さらにその上に油を塗った紙からできています。
これはただの飾りでしょう。
この建物は国有形文化財のプレートが貼ってありますが、特に説明はありませんでした。
立派な家です。
専宗寺と言うお寺がありました。
聖徳太子開祖と言われてます。(?)
元々、佐和山(彦根駅付近)の下にあったようですが移転されました。
このような建物が幾つも続きます。
石の道標がありました。
彦根道の分岐です。
昔、朝鮮通信使が何度も通ったので朝鮮人街道とも呼ばれていたそうです。
家並みが途切れ眺めの良い街道歩きになります。
ただし、先には集落が見えます。
直ぐ傍には東海道新幹線が通っています。
反対側には名神高速道路があります。
秋らしい景色です。
ここで新幹線が来るといいですが。
頻繁に通りますが、待っていると来ません。
しばらく進むと、小野と言う集落に入っていきます。
中山道以前の東山道の宿駅だったそうです。
ここには江戸時代から伝わる太鼓踊りがあり、5年前に76年ぶりに復活しました。
進んでいくと、一軒の家からお婆さんが出てきました。
玄関の前にお地蔵さんがあり、線香を持って出てきたところでした。
これから出かけるのか、お化粧もされていました。
ちょっと立ち話、「このお地蔵さんのおかげで元気です」等・・
90歳だそうです。
進みます。
大きな灯篭がありました。
八幡神社です。
太鼓踊りはこの神社に奉納されるそうです。
社殿は新幹線の奥の方にあるようです。
小さな地蔵堂がありました。
小野小町はこの地で生まれたとのことですが、全国各地に誕生の地、お墓があるので・・・?
昔はここにお茶屋があったとか
お多賀さんというのは多賀大社の事です。
中山道が続きます。
次回に続きます。
明日から出かけますので、次回更新は28日の予定です。
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本日もご訪問ありがとうございました。
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中山道歩き37の2(2017/11/12) 11月28日(火) [中山道を行く]
昨日まで出かけていました。
昨日は暖かい日で気持ちよく歩けました。
中山道も残り3%位になりました。
記事のアップが遅れ気味です。
(今日の記事は11月12日です)
前回記事の続きです。
昨日は暖かい日で気持ちよく歩けました。
中山道も残り3%位になりました。
記事のアップが遅れ気味です。
(今日の記事は11月12日です)
前回記事の続きです。
鳥居本宿を出て、紅葉の中山道を続けます。
東海道新幹線のガード下を通ります。
しばらく新幹線沿いに進むと集落に入り、家並みが続きます。
ある民家の軒下に彫刻のような物が見えました。
この家だけでしたので、ちょっと珍しい感じがしました。
神社の前を通りました。
通り過ぎてから撮った写真です。
鳥居の下に、こんな石碑が建っています。
神社の中に句碑があるそうです。
中までは入りませんでした。
名神高速道路の彦根インターチェンジの近くまで来ました。
五百らかんの石柱が立っています。
どこかにあるかと思って周りを見ましたがありません。
(後で調べたら、ここから1kmも離れていました)
名神高速道路の本線から料金所に向かう道路の下を通ります。
大きな常夜灯が立っています。
多賀大社のものです。
交差点を横切ります。
この日は日曜日混雑していました。
交差点の先にコンビニがありました。
飲み物を補給です。
細い道が続きます。
車が近づくと写真は撮りませんが、結構通ります。
所々で綺麗な紅葉が見られます。
この辺りは「地蔵」と言うようです。
特に有名な地蔵とかはありません。
芹川と言う川を渡ります。
向こう側が琵琶湖です。
川を渡ったところに小さな公園があり、休憩です。
綺麗な紅葉の下で昼食を食べます。
こんな所ではゆっくり休みたいですがそうも言っておられません。
ここの傍らに地蔵堂があり、横にはお地蔵さんが勢ぞろいです。
休憩を終わり出発しました。
是より多賀みちと読めますがこの方向には行きません。
石清水神社の入り口がありました。
綺麗な紅葉です。
唯称寺と言うお寺がありました。
室町時代から続く、由緒あるお寺のようです。
立派な山門です。
家の途切れたところからきれいな景色が見えます。
近江鉄道の踏切を渡ります。
しばらく行くと広い通りを横断し、渡ったところに地蔵堂が立っています。
木之本分身地蔵といい、木之本の浄信寺にある眼病の御利益のあるお地蔵様の分身と言われています。
(木之本とは湖北にある地名です)
中には木で作られたお地蔵様があるようです。
ここにも石のお地蔵様が並んでいました。
民家の玄関にパンフレットが置いてありました。
いよいよ高宮宿に入ったようです。
うだつのある家が並びます。
中に灯りが点くのかどうかわかりませんが、あちこちに付いています。
地元の神社、高宮神社です。
ここでは春の大祭には太鼓祭りと言う賑やかなお祭りがあるようです。
17町より太鼓や鉦が集まります。
高宮は室町時代から有名になっていた高宮上布の集散地として有名です。
高宮上布の問屋だった建物を利用した、コミュニティスペースです。
休憩所のようですが、臨時休業の札が出ていました。
街角にちょうちん屋さんがありました。
ガラスのショーウィンドウの中に入っているので写り込みで写真が撮れません。
ここから多賀大社の参道があり、大きな鳥居が立っています。
多賀大社は、ここから約3km先にあります。
次回に続きます。
本日もご訪問ありがとうございました。
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中山道歩き37の3(2017/11/12) 11月30日(木) [中山道を行く]
昨日は暖かく天気も良くお出かけ日和でした。
こういう日に限って、病院の通院と重なります。
明日から12月、今年も残り1ヵ月になりました。
健康に注意し、元気に新年を迎えましょう。
多賀大社の大鳥居の前を通ると高宮宿の中心部に入ります。
(前記事最後の写真です)
中山道を歩いていると、芭蕉の句碑があちこちに見られます。
芭蕉にちなんだ場所の一つ、紙子塚です。
説明板の拡大です。
同じような建物ですが、脇本陣跡に建っている建物です。
高宮宿は江戸から64番目の宿場町です。
本陣1、脇本陣2、旅籠数23の大きな宿場町だったようです。
多賀神社の門前町でもありずいぶんにぎわったそうです。
又、特産物の高宮上布の集散地として経済力豊かな宿場町だったとの事。
こちらは本陣跡で、門だけ残っています。
本陣の建坪は約百坪だったそうです。
本陣跡の向かいに立派なお寺がありました。
中に入って見ました。
浄土真宗の円照寺と言うお寺です。
宿場町を進みます。
和菓子屋さんが目につきます。
(この他にもありました)
翌日も歩くので、ここで土産を買うわけにはいきません。
宿場町の町並みは終わり、犬上川と言う川に来ました。
案内板がありました。
天保のはじめ、彦根藩はこの地の富豪達に呼びかけ、橋をかけることを命じた。
当時、川渡しや仮橋が有料であったが、この橋は渡り賃をとらなかった。
そのため「無賃橋(むちんばし)」とよばれた。
橋のたもとに小さな地蔵堂と石柱が立っていました。
橋を渡ります。
こちらは下流側の光景です。
上流側は鈴鹿山脈の山が見えます。
丁度新幹線が通って行きました。
この辺りの光景を広重は描いています。
背負っている籠のような物は、この地の特産の高宮上布です。
橋を渡ると、少し広い道になり、旧街道の雰囲気とは異なります。
(恐らく、旧街道を拡張して作られた道だと思います)
やがて家並みは途切れ、視界が広がりました。
左側には、刈り取りの終った田んぼが広がっています。
漫画のような街道案内図がありました。
進んでいくとお寺がありました。
地福寺地蔵堂(月通寺)と言うそうです。
門の前にはこういう石柱が立っています。
酒、肉、五辛の臭いが付いた者入るべからずという意味でしょうか。
五辛とは、大蒜(にんにく)、韮(にら)、葱(ねぎ)、辣韭(らっきょう)、野蒜(のびる)です。
仏教ではこれらの物を食べるのは避けるようです。
この石柱は他のお寺の前でも見ました。
街道を進んでいくとこんな建物があります。
説明書きによれば、この奥に小さな祠があるようです。
お寺が並びます。
還相寺と言うお寺です。
街道の前面に鐘楼があるのも珍しいです。
道は松並木になります。
彦根市はこの辺りで終りみたいです。
彦根市の入り口にも同じようなものが立っていました。
左の石柱には、「またおいでやす」と彫ってあります。
休憩所のような物がありましたが、何も説明がありませんでした。
街の中に入っていきます。
このような塀の家が沢山あります。
この塀はどうやって固定しているのでしょう。
乗せてあるだけのような気がします。
家並みが途切れ、白いきれいな建物が現れました。
昭和12年、ヴォーリス設計の豊郷小学校が建てられました。
平成11年頃、建て替え問題で当時の町長リコール問題まで起きた校舎です。
現在は、改修されて、教育委員会や図書館になっています。
中も入れるそうですが、電車の時間の問題で正面からの写真だけです。
(校内の様子は、私の記事にいつもコメントいただいているkuwachanさんの記事にあります)
kuwachanさんの記事はこちらです。
すぐ横に一里塚がありました。
この日の予定は愛知川宿まで行く予定でしたが、電車の都合でここで打ち切りました。
中山道から離れ、5分位で豊郷駅に着きました。
この時午後3時20分です。
こんなダイヤなので15時26分の電車に乗らないと1時間後になります。
こういう日に限って、病院の通院と重なります。
明日から12月、今年も残り1ヵ月になりました。
健康に注意し、元気に新年を迎えましょう。
多賀大社の大鳥居の前を通ると高宮宿の中心部に入ります。
(前記事最後の写真です)
中山道を歩いていると、芭蕉の句碑があちこちに見られます。
芭蕉にちなんだ場所の一つ、紙子塚です。
説明板の拡大です。
同じような建物ですが、脇本陣跡に建っている建物です。
高宮宿は江戸から64番目の宿場町です。
本陣1、脇本陣2、旅籠数23の大きな宿場町だったようです。
多賀神社の門前町でもありずいぶんにぎわったそうです。
又、特産物の高宮上布の集散地として経済力豊かな宿場町だったとの事。
こちらは本陣跡で、門だけ残っています。
本陣の建坪は約百坪だったそうです。
本陣跡の向かいに立派なお寺がありました。
中に入って見ました。
浄土真宗の円照寺と言うお寺です。
宿場町を進みます。
和菓子屋さんが目につきます。
(この他にもありました)
翌日も歩くので、ここで土産を買うわけにはいきません。
宿場町の町並みは終わり、犬上川と言う川に来ました。
案内板がありました。
天保のはじめ、彦根藩はこの地の富豪達に呼びかけ、橋をかけることを命じた。
当時、川渡しや仮橋が有料であったが、この橋は渡り賃をとらなかった。
そのため「無賃橋(むちんばし)」とよばれた。
橋のたもとに小さな地蔵堂と石柱が立っていました。
橋を渡ります。
こちらは下流側の光景です。
上流側は鈴鹿山脈の山が見えます。
丁度新幹線が通って行きました。
この辺りの光景を広重は描いています。
背負っている籠のような物は、この地の特産の高宮上布です。
橋を渡ると、少し広い道になり、旧街道の雰囲気とは異なります。
(恐らく、旧街道を拡張して作られた道だと思います)
やがて家並みは途切れ、視界が広がりました。
左側には、刈り取りの終った田んぼが広がっています。
漫画のような街道案内図がありました。
進んでいくとお寺がありました。
地福寺地蔵堂(月通寺)と言うそうです。
門の前にはこういう石柱が立っています。
酒、肉、五辛の臭いが付いた者入るべからずという意味でしょうか。
五辛とは、大蒜(にんにく)、韮(にら)、葱(ねぎ)、辣韭(らっきょう)、野蒜(のびる)です。
仏教ではこれらの物を食べるのは避けるようです。
この石柱は他のお寺の前でも見ました。
街道を進んでいくとこんな建物があります。
説明書きによれば、この奥に小さな祠があるようです。
お寺が並びます。
還相寺と言うお寺です。
街道の前面に鐘楼があるのも珍しいです。
道は松並木になります。
彦根市はこの辺りで終りみたいです。
彦根市の入り口にも同じようなものが立っていました。
左の石柱には、「またおいでやす」と彫ってあります。
休憩所のような物がありましたが、何も説明がありませんでした。
街の中に入っていきます。
このような塀の家が沢山あります。
この塀はどうやって固定しているのでしょう。
乗せてあるだけのような気がします。
家並みが途切れ、白いきれいな建物が現れました。
昭和12年、ヴォーリス設計の豊郷小学校が建てられました。
平成11年頃、建て替え問題で当時の町長リコール問題まで起きた校舎です。
現在は、改修されて、教育委員会や図書館になっています。
中も入れるそうですが、電車の時間の問題で正面からの写真だけです。
(校内の様子は、私の記事にいつもコメントいただいているkuwachanさんの記事にあります)
kuwachanさんの記事はこちらです。
すぐ横に一里塚がありました。
この日の予定は愛知川宿まで行く予定でしたが、電車の都合でここで打ち切りました。
中山道から離れ、5分位で豊郷駅に着きました。
この時午後3時20分です。
こんなダイヤなので15時26分の電車に乗らないと1時間後になります。
高架の線路は東海道新幹線です。
電車は定刻に来ました。
また「お~い茶」の電車です。
約20分程で彦根駅に着きました。
今回は10月に泊まったホテルとは違い駅の反対側のホテルに泊まります。
駅を出ると近江鉄道の古い電車などが並んでいます。
こんな電気機関車も並んでいました。
そしてこんな電車も
ホテルはすぐ近くです。
秋の日暮れは早いです。
直ぐに暗くなりました。
・
本日もご訪問ありがとうございました。
次回の記事は、11月24日に行った北鎌倉の記事です。
(12月2日更新予定)
中山道の続きは12月4日になります。
・
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