中山道歩き35の5(2017/10/26) 11月8日(水) [中山道を行く]
昨日は、ちょっと外に出て歩いただけで汗ばむような天気でした。
少し薄手のカーデガンなどで十分でした。
(いったん仕舞った物を、また引っ張り出してきました)
楓並木の道を進んでいくと遭遇したのがこの警告です。
(前記事最後の写真です)
道はこんな道になりました。
少し不安になります。
幸い熊にも出会わず、200mほどで終わりました。
長比城は浅井長政が江濃国境を固めるために作った重要拠点です。
警告にも記載されていた神明神社の入り口です。
旧東山道の跡もありました。
律令時代の道です。
普通の道に出て踏切を渡ります。
柏原宿が近づきました。
16時ごろになりました。
色づいたモミジに夕陽が当たります。
照手姫笠掛地蔵という説明書きの横に小さな祠がありました。
右の小さなお地蔵様が笠地蔵です。
小栗判官助重が毒酒を飲まされ、死ぬ瀬戸際だった所地蔵に傘をかけて祈ったら治った
とかいう長い説明がありましたが、作り話のようなそうでないような・・・
この辺りが東見附だったところで、宿場町の始まりです。
中山道の宿場ではよく見たものです。
規格が統一されているのでしょうか???
進んでいくと、竜宝院跡という案内がありました。
この小さなお堂には秘仏が納められているとの事、どんな仏様でしょうね。
すぐ先に神社がありました。
八幡神社です。
境内に入ると、芭蕉の句碑がありました。
奥の細道の最終地は大垣です。
宿場の中心に近づきました。
少し薄手のカーデガンなどで十分でした。
(いったん仕舞った物を、また引っ張り出してきました)
楓並木の道を進んでいくと遭遇したのがこの警告です。
(前記事最後の写真です)
道はこんな道になりました。
少し不安になります。
幸い熊にも出会わず、200mほどで終わりました。
長比城は浅井長政が江濃国境を固めるために作った重要拠点です。
警告にも記載されていた神明神社の入り口です。
旧東山道の跡もありました。
律令時代の道です。
普通の道に出て踏切を渡ります。
柏原宿が近づきました。
16時ごろになりました。
色づいたモミジに夕陽が当たります。
照手姫笠掛地蔵という説明書きの横に小さな祠がありました。
右の小さなお地蔵様が笠地蔵です。
小栗判官助重が毒酒を飲まされ、死ぬ瀬戸際だった所地蔵に傘をかけて祈ったら治った
とかいう長い説明がありましたが、作り話のようなそうでないような・・・
この辺りが東見附だったところで、宿場町の始まりです。
中山道の宿場ではよく見たものです。
規格が統一されているのでしょうか???
進んでいくと、竜宝院跡という案内がありました。
この小さなお堂には秘仏が納められているとの事、どんな仏様でしょうね。
すぐ先に神社がありました。
八幡神社です。
境内に入ると、芭蕉の句碑がありました。
奥の細道の最終地は大垣です。
宿場の中心に近づきました。
建物の前には屋号、業種の札が付いています。
街灯に、夕陽が当たって点灯しているように見えました。
曲がり角を曲がると直ぐに柏原駅でした。
16時15分頃でした。
この日の宿泊は彦根です。
米原方面は16:30です。
「柏原駅」はJRには他にもあります。
ここは・かしわばら
大阪府・かしわら
兵庫県・かいばら
電車が来るのを待ちます。
米原で乗り換え、彦根に17時ごろ着きました。
・
街道歩きではほとんどビジネスホテルです。
ホテルを探すとき私はじゃらんのサイトをよく使います。
ここの宿泊代は5800円でしたが、予約する時にじゃらんのポイントが5000点使えました。
じゃらんは、時々有効期間が短いポイントプレゼントがあります。
と言うことでこの時は800円でした。
この日の歩数は約27000歩でした。
歩いた場所はこんなところです。
今日の記事に関係ありませんが、前回記事の石材屋さんのシャッターの絵。
グーグルマップのストリートビューで見ると広重の絵はありません。
日付は2014年11月でした。
・
次回更新はちがう記事を入れます。
中山道2日目(10/27)の記事は、次々回になります。
・
秋も深まりました。
立冬は過ぎましたが、相変わらず気温の上下が激しいです。
体調管理にはお気を付けください。
本日もご訪問ありがとうございました。
D7500
AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR