中山道歩き36の1(2017/10/27) 11月12日(日) [中山道を行く]
昨日、横浜では強風だったり、雨が降ったり、晴れて見たり不安定な天気でした。
今日からは良い天気らしいですが、気温の上下もあり、体調管理には注意です。
中山道の続きです。
10月26日は彦根で泊まり、翌朝柏原駅まで戻ってきました。
この日も上天気です。
伊吹山が綺麗に見えます。
駅から150m、中山道に戻ります。
朝9時ごろです。
宿場の中心地に近くなります。
この看板がかかっていました。
「蠟燭」、難しい字ですね、読めても書けません
問屋場の建物です。
ここにはこんな看板がついていました。
宿場町とは関係ありませんが、こんな建物がありました。
吉村公三郎は映画監督で多くの作品があるようです。
調べてみましたが、名前は知っていても、私はその映画は見たことがありませんでした。
この建物は本陣跡に建っています。
こんな石柱が立っていました。
荒物屋の看板がさがってますが、普通の住宅です。
ベンガラ塗りです。
ベンガラ塗りは防腐効果があるようです。
この地域に多く見られます。
雪の多いことに関連があるかも知れません。
小さな橋に来ました。
道の中央には溝のような箇所が見えますが、ここにはスプリンクラーが付いています。
橋を渡ると立派な屋敷がありました。
その向こうに続いている建物は、有名な艾(もぐさ)屋さんです。
「伊吹堂」(正式には亀屋佐京商店)で今でも営業しています。
(創業1661年)
中には大きな「福助」がある事で有名です。
残念ながら見ることは出来ませんでした。
私が持っているガイドブックによればこんな福助だそうです。
(本のコピーです)
広重はこの辺りを描いています。
向かいには造り酒屋跡に酒樽を置いて休憩所になっていました。
柏原宿は、約1.5kmと続き、比較的大きな宿場でした。
本陣1、脇本陣2、旅籠屋22、そのほかに約350軒の家があったそうです。
右側に柏原宿歴史館の建物が見えました。
染料関係で財を成した松浦家の建物です。(この建物は大正時代に建ったものです)
ここでは中に入って見ました。
(但し内部の写真はありません)
殆どの宿場には八幡神社がありますが、ここは日枝神社でした。
この神社の本殿は檜皮ぶきの様でした。
他の宿場と比べてお寺は少ないように感じました。
小さな土産物屋さんの建物ですが、荷車の車輪が飾ってあります。
こちらも造り酒屋の跡です。
水がいいので、幾つかあったようです。
「煮賣屋」とは魚、野菜、豆などを煮たものを売る店でした。
次第に、お茶や酒を出すようになり、居酒屋風になってきたそうです。
まだ町並みは続きます。
ここにも艾屋の看板がありました。
柏原宿には10軒以上の艾屋があったそうです。
柏原宿では年1回「やいと祭り」が開催されるそうです。
これは現代の建物です。
集会所などで使われている公の場所です。
火の見櫓も昔の雰囲気に合わせて作ったそうです。
長い街並みと言うだけあってまだ続きます。
可能ならば電柱はなくして欲しいですね。
常夜灯があり、その先の橋の向こうは家が無さそうです。
橋を渡ったところに、一里塚跡(復元)がありました。
115番目の一里塚です。
こんな所にありました。
桜の木ですから春は綺麗でしょう。
進む道はこちらです。
西見附跡の案内板がありましたので、柏原宿の西のはずれでしょう。
次回に続きます。
・
この日の道中記はまだ続きがありますが、本日、明日は10月27日の続きを歩いてきます。
次回更新は、11月15日(水)です。
皆様への訪問は後日になります。
・
本日もご訪問ありがとうございました。
・
D7500
AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
今日からは良い天気らしいですが、気温の上下もあり、体調管理には注意です。
中山道の続きです。
10月26日は彦根で泊まり、翌朝柏原駅まで戻ってきました。
この日も上天気です。
伊吹山が綺麗に見えます。
駅から150m、中山道に戻ります。
朝9時ごろです。
宿場の中心地に近くなります。
この看板がかかっていました。
「蠟燭」、難しい字ですね、読めても書けません
問屋場の建物です。
ここにはこんな看板がついていました。
宿場町とは関係ありませんが、こんな建物がありました。
吉村公三郎は映画監督で多くの作品があるようです。
調べてみましたが、名前は知っていても、私はその映画は見たことがありませんでした。
この建物は本陣跡に建っています。
こんな石柱が立っていました。
荒物屋の看板がさがってますが、普通の住宅です。
ベンガラ塗りです。
ベンガラ塗りは防腐効果があるようです。
この地域に多く見られます。
雪の多いことに関連があるかも知れません。
小さな橋に来ました。
道の中央には溝のような箇所が見えますが、ここにはスプリンクラーが付いています。
橋を渡ると立派な屋敷がありました。
その向こうに続いている建物は、有名な艾(もぐさ)屋さんです。
「伊吹堂」(正式には亀屋佐京商店)で今でも営業しています。
(創業1661年)
中には大きな「福助」がある事で有名です。
残念ながら見ることは出来ませんでした。
私が持っているガイドブックによればこんな福助だそうです。
(本のコピーです)
広重はこの辺りを描いています。
向かいには造り酒屋跡に酒樽を置いて休憩所になっていました。
柏原宿は、約1.5kmと続き、比較的大きな宿場でした。
本陣1、脇本陣2、旅籠屋22、そのほかに約350軒の家があったそうです。
右側に柏原宿歴史館の建物が見えました。
染料関係で財を成した松浦家の建物です。(この建物は大正時代に建ったものです)
ここでは中に入って見ました。
(但し内部の写真はありません)
殆どの宿場には八幡神社がありますが、ここは日枝神社でした。
この神社の本殿は檜皮ぶきの様でした。
他の宿場と比べてお寺は少ないように感じました。
小さな土産物屋さんの建物ですが、荷車の車輪が飾ってあります。
こちらも造り酒屋の跡です。
水がいいので、幾つかあったようです。
「煮賣屋」とは魚、野菜、豆などを煮たものを売る店でした。
次第に、お茶や酒を出すようになり、居酒屋風になってきたそうです。
まだ町並みは続きます。
ここにも艾屋の看板がありました。
柏原宿には10軒以上の艾屋があったそうです。
柏原宿では年1回「やいと祭り」が開催されるそうです。
これは現代の建物です。
集会所などで使われている公の場所です。
火の見櫓も昔の雰囲気に合わせて作ったそうです。
長い街並みと言うだけあってまだ続きます。
可能ならば電柱はなくして欲しいですね。
常夜灯があり、その先の橋の向こうは家が無さそうです。
橋を渡ったところに、一里塚跡(復元)がありました。
115番目の一里塚です。
こんな所にありました。
桜の木ですから春は綺麗でしょう。
進む道はこちらです。
西見附跡の案内板がありましたので、柏原宿の西のはずれでしょう。
次回に続きます。
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この日の道中記はまだ続きがありますが、本日、明日は10月27日の続きを歩いてきます。
次回更新は、11月15日(水)です。
皆様への訪問は後日になります。
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本日もご訪問ありがとうございました。
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D7500
AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR