中山道歩き37の3(2017/11/12) 11月30日(木) [中山道を行く]
昨日は暖かく天気も良くお出かけ日和でした。
こういう日に限って、病院の通院と重なります。
明日から12月、今年も残り1ヵ月になりました。
健康に注意し、元気に新年を迎えましょう。
多賀大社の大鳥居の前を通ると高宮宿の中心部に入ります。
(前記事最後の写真です)
中山道を歩いていると、芭蕉の句碑があちこちに見られます。
芭蕉にちなんだ場所の一つ、紙子塚です。
説明板の拡大です。
同じような建物ですが、脇本陣跡に建っている建物です。
高宮宿は江戸から64番目の宿場町です。
本陣1、脇本陣2、旅籠数23の大きな宿場町だったようです。
多賀神社の門前町でもありずいぶんにぎわったそうです。
又、特産物の高宮上布の集散地として経済力豊かな宿場町だったとの事。
こちらは本陣跡で、門だけ残っています。
本陣の建坪は約百坪だったそうです。
本陣跡の向かいに立派なお寺がありました。
中に入って見ました。
浄土真宗の円照寺と言うお寺です。
宿場町を進みます。
和菓子屋さんが目につきます。
(この他にもありました)
翌日も歩くので、ここで土産を買うわけにはいきません。
宿場町の町並みは終わり、犬上川と言う川に来ました。
案内板がありました。
天保のはじめ、彦根藩はこの地の富豪達に呼びかけ、橋をかけることを命じた。
当時、川渡しや仮橋が有料であったが、この橋は渡り賃をとらなかった。
そのため「無賃橋(むちんばし)」とよばれた。
橋のたもとに小さな地蔵堂と石柱が立っていました。
橋を渡ります。
こちらは下流側の光景です。
上流側は鈴鹿山脈の山が見えます。
丁度新幹線が通って行きました。
この辺りの光景を広重は描いています。
背負っている籠のような物は、この地の特産の高宮上布です。
橋を渡ると、少し広い道になり、旧街道の雰囲気とは異なります。
(恐らく、旧街道を拡張して作られた道だと思います)
やがて家並みは途切れ、視界が広がりました。
左側には、刈り取りの終った田んぼが広がっています。
漫画のような街道案内図がありました。
進んでいくとお寺がありました。
地福寺地蔵堂(月通寺)と言うそうです。
門の前にはこういう石柱が立っています。
酒、肉、五辛の臭いが付いた者入るべからずという意味でしょうか。
五辛とは、大蒜(にんにく)、韮(にら)、葱(ねぎ)、辣韭(らっきょう)、野蒜(のびる)です。
仏教ではこれらの物を食べるのは避けるようです。
この石柱は他のお寺の前でも見ました。
街道を進んでいくとこんな建物があります。
説明書きによれば、この奥に小さな祠があるようです。
お寺が並びます。
還相寺と言うお寺です。
街道の前面に鐘楼があるのも珍しいです。
道は松並木になります。
彦根市はこの辺りで終りみたいです。
彦根市の入り口にも同じようなものが立っていました。
左の石柱には、「またおいでやす」と彫ってあります。
休憩所のような物がありましたが、何も説明がありませんでした。
街の中に入っていきます。
このような塀の家が沢山あります。
この塀はどうやって固定しているのでしょう。
乗せてあるだけのような気がします。
家並みが途切れ、白いきれいな建物が現れました。
昭和12年、ヴォーリス設計の豊郷小学校が建てられました。
平成11年頃、建て替え問題で当時の町長リコール問題まで起きた校舎です。
現在は、改修されて、教育委員会や図書館になっています。
中も入れるそうですが、電車の時間の問題で正面からの写真だけです。
(校内の様子は、私の記事にいつもコメントいただいているkuwachanさんの記事にあります)
kuwachanさんの記事はこちらです。
すぐ横に一里塚がありました。
この日の予定は愛知川宿まで行く予定でしたが、電車の都合でここで打ち切りました。
中山道から離れ、5分位で豊郷駅に着きました。
この時午後3時20分です。
こんなダイヤなので15時26分の電車に乗らないと1時間後になります。
こういう日に限って、病院の通院と重なります。
明日から12月、今年も残り1ヵ月になりました。
健康に注意し、元気に新年を迎えましょう。
多賀大社の大鳥居の前を通ると高宮宿の中心部に入ります。
(前記事最後の写真です)
中山道を歩いていると、芭蕉の句碑があちこちに見られます。
芭蕉にちなんだ場所の一つ、紙子塚です。
説明板の拡大です。
同じような建物ですが、脇本陣跡に建っている建物です。
高宮宿は江戸から64番目の宿場町です。
本陣1、脇本陣2、旅籠数23の大きな宿場町だったようです。
多賀神社の門前町でもありずいぶんにぎわったそうです。
又、特産物の高宮上布の集散地として経済力豊かな宿場町だったとの事。
こちらは本陣跡で、門だけ残っています。
本陣の建坪は約百坪だったそうです。
本陣跡の向かいに立派なお寺がありました。
中に入って見ました。
浄土真宗の円照寺と言うお寺です。
宿場町を進みます。
和菓子屋さんが目につきます。
(この他にもありました)
翌日も歩くので、ここで土産を買うわけにはいきません。
宿場町の町並みは終わり、犬上川と言う川に来ました。
案内板がありました。
天保のはじめ、彦根藩はこの地の富豪達に呼びかけ、橋をかけることを命じた。
当時、川渡しや仮橋が有料であったが、この橋は渡り賃をとらなかった。
そのため「無賃橋(むちんばし)」とよばれた。
橋のたもとに小さな地蔵堂と石柱が立っていました。
橋を渡ります。
こちらは下流側の光景です。
上流側は鈴鹿山脈の山が見えます。
丁度新幹線が通って行きました。
この辺りの光景を広重は描いています。
背負っている籠のような物は、この地の特産の高宮上布です。
橋を渡ると、少し広い道になり、旧街道の雰囲気とは異なります。
(恐らく、旧街道を拡張して作られた道だと思います)
やがて家並みは途切れ、視界が広がりました。
左側には、刈り取りの終った田んぼが広がっています。
漫画のような街道案内図がありました。
進んでいくとお寺がありました。
地福寺地蔵堂(月通寺)と言うそうです。
門の前にはこういう石柱が立っています。
酒、肉、五辛の臭いが付いた者入るべからずという意味でしょうか。
五辛とは、大蒜(にんにく)、韮(にら)、葱(ねぎ)、辣韭(らっきょう)、野蒜(のびる)です。
仏教ではこれらの物を食べるのは避けるようです。
この石柱は他のお寺の前でも見ました。
街道を進んでいくとこんな建物があります。
説明書きによれば、この奥に小さな祠があるようです。
お寺が並びます。
還相寺と言うお寺です。
街道の前面に鐘楼があるのも珍しいです。
道は松並木になります。
彦根市はこの辺りで終りみたいです。
彦根市の入り口にも同じようなものが立っていました。
左の石柱には、「またおいでやす」と彫ってあります。
休憩所のような物がありましたが、何も説明がありませんでした。
街の中に入っていきます。
このような塀の家が沢山あります。
この塀はどうやって固定しているのでしょう。
乗せてあるだけのような気がします。
家並みが途切れ、白いきれいな建物が現れました。
昭和12年、ヴォーリス設計の豊郷小学校が建てられました。
平成11年頃、建て替え問題で当時の町長リコール問題まで起きた校舎です。
現在は、改修されて、教育委員会や図書館になっています。
中も入れるそうですが、電車の時間の問題で正面からの写真だけです。
(校内の様子は、私の記事にいつもコメントいただいているkuwachanさんの記事にあります)
kuwachanさんの記事はこちらです。
すぐ横に一里塚がありました。
この日の予定は愛知川宿まで行く予定でしたが、電車の都合でここで打ち切りました。
中山道から離れ、5分位で豊郷駅に着きました。
この時午後3時20分です。
こんなダイヤなので15時26分の電車に乗らないと1時間後になります。
高架の線路は東海道新幹線です。
電車は定刻に来ました。
また「お~い茶」の電車です。
約20分程で彦根駅に着きました。
今回は10月に泊まったホテルとは違い駅の反対側のホテルに泊まります。
駅を出ると近江鉄道の古い電車などが並んでいます。
こんな電気機関車も並んでいました。
そしてこんな電車も
ホテルはすぐ近くです。
秋の日暮れは早いです。
直ぐに暗くなりました。
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本日もご訪問ありがとうございました。
次回の記事は、11月24日に行った北鎌倉の記事です。
(12月2日更新予定)
中山道の続きは12月4日になります。
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D7500
AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR