中山道歩き39の2(2017/11/26) 12月16日(土) [中山道を行く]
12月はもう半分すぎました。
今年も後2週間余りになりました。
相変わらず寒い日が続きます。
あまり出かけないので、少し運動不足です。
・
<お断り>
前回の記事前半の一部で文字が見えなくなっているところがありました。
14日の夕方に気づき修正しました。
それまでにご欄になった方は不手際の記事になりました事お詫びいたします。
前記事の続きです。
遊佐の駅を出て約2時間、日野川の堤防で休憩しました。
ここには橋が架かっていないので、回り道になります。
川の土手を歩きます。
しばらく進むと橋が見えました。
振り向いて見ます。
川の狭くなった辺りが渡しのあった部分かな~~?
橋を渡ります。
橋が架け替えられたのでしょう。
この道はそれまでの道路だと思います。
広い歩道です。
橋を渡り終えると右の細い道に入ります。
少しの間ですが、誰も通る事のない道です。
これがあるとホッとします。
土手を下ると集落に入りました。
この集落も長くはなく、国道8号線に合流しました。
しばらく進むと道は分かれます。
古い街並みになりました。
この集落は、鏡の宿といい、武佐宿と守山宿の間が長いので「間の宿」として設けられました。
また国道に戻りますが、ここも鏡の宿の一部だったようです。
旅籠屋の跡です。
鏡の宿は平安時代の東山道の時にも宿駅でした。
源義経の元服の地と言われています。
歴史の好きな方は→こちら
間の宿は、本陣、脇本陣、旅籠は無いところが普通ですが、ここではあったようです。
義経が元服のお参りをしたとされる鏡神社があります。
この神社の前には義経が元服の時に自分の烏帽子を掛けた松の木があります。
明治時代に台風で折れて、根元だけ残っています。
「源義経 烏帽子掛の松」と言います。
神社の向いには道の駅がありました。
トイレ休憩です。
休憩の後、歩きだしてすぐに、義経が元服の時に水を汲んだ「元服之池」がありました。
国道から離れて細い道に入ります。
バス停がありましたが、この本数ではどれだけ利用するのでしょう。
お地蔵様は丁寧に維持されています。
再び国道に出ます。
平宗盛(平清盛の嫡男)の胴塚の案内がありました。
義経はこの地で平宗盛を殺害したとか。(詳しくは義経元服のリンクの説明を見てください)
平家終焉の地と言われています。
そのまま進みます。
左に池がありました。
平宗盛の首を洗った池があるそうですがこの池かどうかわかりません。
国道を横断して細い道に入ります。
ちいさな集落でした。
また国道に合流します。
今日の記事は江戸時代の中山道と言うよりさらに昔の東山道の道中記になりました。
次回に続きます。
本日もご訪問ありがとうございました。
・
D7500
AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
今年も後2週間余りになりました。
相変わらず寒い日が続きます。
あまり出かけないので、少し運動不足です。
・
<お断り>
前回の記事前半の一部で文字が見えなくなっているところがありました。
14日の夕方に気づき修正しました。
それまでにご欄になった方は不手際の記事になりました事お詫びいたします。
前記事の続きです。
遊佐の駅を出て約2時間、日野川の堤防で休憩しました。
ここには橋が架かっていないので、回り道になります。
川の土手を歩きます。
しばらく進むと橋が見えました。
振り向いて見ます。
川の狭くなった辺りが渡しのあった部分かな~~?
橋を渡ります。
橋が架け替えられたのでしょう。
この道はそれまでの道路だと思います。
広い歩道です。
橋を渡り終えると右の細い道に入ります。
少しの間ですが、誰も通る事のない道です。
これがあるとホッとします。
土手を下ると集落に入りました。
この集落も長くはなく、国道8号線に合流しました。
しばらく進むと道は分かれます。
古い街並みになりました。
この集落は、鏡の宿といい、武佐宿と守山宿の間が長いので「間の宿」として設けられました。
また国道に戻りますが、ここも鏡の宿の一部だったようです。
旅籠屋の跡です。
鏡の宿は平安時代の東山道の時にも宿駅でした。
源義経の元服の地と言われています。
歴史の好きな方は→こちら
間の宿は、本陣、脇本陣、旅籠は無いところが普通ですが、ここではあったようです。
義経が元服のお参りをしたとされる鏡神社があります。
この神社の前には義経が元服の時に自分の烏帽子を掛けた松の木があります。
明治時代に台風で折れて、根元だけ残っています。
「源義経 烏帽子掛の松」と言います。
神社の向いには道の駅がありました。
トイレ休憩です。
休憩の後、歩きだしてすぐに、義経が元服の時に水を汲んだ「元服之池」がありました。
国道から離れて細い道に入ります。
バス停がありましたが、この本数ではどれだけ利用するのでしょう。
お地蔵様は丁寧に維持されています。
再び国道に出ます。
平宗盛(平清盛の嫡男)の胴塚の案内がありました。
義経はこの地で平宗盛を殺害したとか。(詳しくは義経元服のリンクの説明を見てください)
平家終焉の地と言われています。
そのまま進みます。
左に池がありました。
平宗盛の首を洗った池があるそうですがこの池かどうかわかりません。
国道を横断して細い道に入ります。
ちいさな集落でした。
また国道に合流します。
今日の記事は江戸時代の中山道と言うよりさらに昔の東山道の道中記になりました。
次回に続きます。
本日もご訪問ありがとうございました。
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D7500
AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR