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中山道歩き40の1(2017/11/27) 12月20日(水) [中山道を行く]

晴天が続きます。

昨日は少し気温が上がりましたが、それほど上がったとは感じませんでした。

午後は風が強かったので体感温度は「寒い!」でした。
(年齢のせい?)

いつもは道中記の日の変わり目には違う記事を入れますが、今回は続きます。

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前日は武佐駅を出発したのが11時頃でしたので、予定した守山まで行けませんでした。

前日の曇天とは違い、晴れ渡った日でした。

守山駅前のホテルを出たのは8時過ぎでした。

左の建物が泊ったホテルです。

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守山駅から電車に乗り、隣の野洲駅で下車しました。

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野洲駅を8:20頃出発です。

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前日、終了した場所まで戻ります。

左の林の中は小さな神社があります。

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旅館のようですが、現在旅館業をしているかわかりません。

左の林は紅葉する木が混ざっています。

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昨日の遅れを取り戻さなければなりません。

先へ進みます。

これは?   酒屋かな

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宇野勝酒造と言う酒屋でした。

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中山道はJRのガード下を通ります。

守山から来るときにこの上を通ったはずです。

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しばらく進むと野洲川の手前にお堂がありました。

黄檗宗百足宗十輪院と言います。

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そして、野洲川を渡ります。

普段は仮橋、増水時は渡しだったようです。

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振返ると近江富士と言われる三上山が見えます。

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渡り終わると守山市に入ります。

狭い道が始まります。

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歩道もなく車の多い道です。

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幾つか車の多い道を横断すると静かな道になりました。

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この辺りは吉身と言うところで、守山宿の加宿として栄えた所です。

加宿とは


宿場に隣接する村などで宿場業務を担っていた村落です。

この川から先が守山宿本宿になります。

ここは蛍が生息しているとか。

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ところどころにベンガラ格子の家があります。

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お寺が多い所でした。

最澄が唐から帰る時に使った船の帆柱で作った十一面観世音菩薩があるそうです。


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こちらは願立寺と言うお寺です。

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緩やかな曲がり路が続きます。

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街灯も変わってきました。

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今でもこういうお店があるんですね。

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道が広くなりました。

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「うの家」と言うところがありました。

この家は、わずか69日、間総理大臣を務めた宇野宗佑の生家です。

今では守山市が管理しているようです。

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トイレを借りるため中に入りました。

中には守山宿のジオラマなどが展示されています。

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土産物コーナーがあり、こんなものを売っていました。

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滋賀県を歩くとあちこちで見かけます。

「子供飛び出し注意」の意味でしょう。

モデルはこの子です。

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お寺が多かった町ですが神社もありまあした。

守山天満宮です。

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向かいには本陣跡の案内がありました。

皇女和宮の降嫁の時にはここに宿泊したそうです。

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ここは明治時代からの油屋「筆忠」の建物で、いまは町屋ふれあい館と言う施設になっています。

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先に進むと古い道標がありました。

「右 中山道 并(ならびに) 美濃路」
「左 錦織寺四十五丁 こ乃者満ミち」と彫られています。

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しばらく行くと大きな提灯のお寺の山門がありました。

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東門院という天台宗のお寺です。
(正式には比叡山東門院守山寺といいます)

比叡山が近づいたので天台宗のお寺が増えてきました。

山門に境内撮影禁止と張り紙があったので。

山門の外から撮りました。

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赤に入ると、夜はライトアップするようで、照明器具が付いていました。

前日泊ったホテルは遠くないのでここまで来てみたらよかったです。

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進みます。

この端を渡ると守山宿の本宿は終わり、西の加宿である今宿地域に入ります。

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進むと江戸から128番目の「今宿一里塚」がありました。

一対の一里塚のうちこちらの南側だけが残っています。

昭和の中頃一度枯れたものの、脇芽がおおきくなってこのような大きな木になったそうです。

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小さな交差点を渡ります。

焔魔堂町というところだそうです。

近くに焔魔堂のある「十王寺」と言うお寺がありました。

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先に進むと栗東市に入りました。

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歩道がありませんので、道路沿いの公園を歩きます。

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ここには神社(大宝神社)がありました。

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珍しい地名がありました。

この周辺は昔から麻糸の産地でした。

機織り機に装着する麻糸の事を「綣」と呼んだことに由来するそうです。

綣は糸を丸めるという意味があるそうです。

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このマスコット、かわいいですね。

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中山道が通っている栗東市の部分ははわずか1kmしかありませんでした。

草津市に入ります。

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次回に続きます。



本日もご訪問ありがとうございました。



D7500
AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VRD7500

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