甲州道中歩き旅11の3(2018/11/29) 12月6日(木) [甲州道中を行く]
2日ほどポカポカ陽気の日が続きました。
今朝は雨が降っています。
今日は気温も上がらず、雨で寒い一日になるようです。
お出かけの方服装のコントロールが重要です。
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前回の写真です。
犬目宿に入っていきます。
開けた集落に出ました。
これが犬目宿の家並みです。
今朝は雨が降っています。
今日は気温も上がらず、雨で寒い一日になるようです。
お出かけの方服装のコントロールが重要です。
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前回の写真です。
犬目宿に入っていきます。
開けた集落に出ました。
これが犬目宿の家並みです。
(昭和45年、火事で大半の家は焼けたそうです)
立派な家があります。
(おそらく本陣跡)
雪つりが必要な場所なんですね。
宿場には殆どこの石碑が立っています。
甲州一揆を起こした犬目兵助の出身地です。
最後はこの地で亡くなり、近くにお墓があります。
宿場の真ん中あたりに宿場名の碑がありました。
こういう案内板もありました。
こういう案内板は各市町村の教育委員会の管轄ですが、市によって力の入れ方が違います。
犬目宿は300m位で終わります。
正面の白い建物は石垣エンジニアリングという会社で後ろの方に工場があります。
右に立っているアンテナは山梨放送のラジオ中継l局です。
右下は棚田になっていて傍らの紅葉が見事でした。
旧甲州道中は左の坂を上っていきます。
また集落に入りました。
宿場を思わせる雰囲気ですが正式な宿場ではありません。
犬目宿の脇宿として新田宿と呼ばれたそうです。
庚申供養塔、念仏石経塔が並んで立っています。
大きな蔵のあるお屋敷もあります。
立派な門構えの家です。
尾張藩主の定宿だったとか。
米山家のお屋敷です。
参勤交代で甲州道中を使ったのは、諏訪の高島藩、信濃高遠藩、飯田藩でした。
時には尾張藩も使ったようです。
ここの前からの富士山の眺めが素晴らしく、お気に入りだったそうです。
舗装してあった道も途切れ、土の道になります。
山道になります。
落ち葉でふかふかの道、こういう道が続くといいですね。
倒木で道がふさがっています。
特に危険でもなさそうなので跨いで通過します。
木の間から談合坂サービスエリアが見えます。
ここからちょっと怖い所です。
「座頭ころがし」と言い、昔盲人の一行が通過する時に落ちてしまったと言われています。
右下の道路は30mぐらいの崖です。
柵があっても足がすくみます。
グーグルのストリートビューで下から見た写真です。
左上の白い柵のところです。
竹藪の中に入りました。
竹の間からきれいな紅葉が見えました。
矢坪金毘羅神社参道の案内が立っていました。
矢坪とはこの辺りの地名です。
談合坂サービスエリアが近くに見えますがここから行ける距離ではありません。
これは上り線のサービスエリアです。
のどかな下り坂を下りて行きます。
庚申塔が立っています。
これには青面金剛像が彫られています。
再び暗い道に入ります。
やっと明るい道に出ました。
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この日は暗くなるまで歩きましたのでまだ続きがあります。
次回は鎌倉の記事を入れてその後に続きます。
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本日もご訪問ありがとうございました。
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D7500
AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR