甲州道中歩き旅11の5(2018/11/29) 12月12日(水) [甲州道中を行く]
寒い日が続きました。
急に寒くなったので寒さが堪えます。
やっと体が慣れてきました。
昨日は年賀状の準備をしていました。
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甲州道中の続きです。
急に寒くなったので寒さが堪えます。
やっと体が慣れてきました。
昨日は年賀状の準備をしていました。
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甲州道中の続きです。
臨済宗建長寺派の西光寺の前を通り、野田尻宿に向かいます。
宿場の入り口に野田尻村鎮守の犬嶋神社があります。
ここから野田尻宿が始まります。
右からの横書きの案内です。
上を見ると「野田尻簡易郵便局」これも右からの横書きです。
(このポストには郵便は出せませんと注意書きが・・)
こんな小屋みたいな郵便局でした。
左のポストの入れてくださいという事ですね。
明治19年に火災でほとんどの家が焼失したため、古い家はありません。
元は旅籠だった?
案内板があります。
上野原市の宿場にはこのような石碑が立っています。
本陣があったっ場所でしょう、明治天皇が休憩したところです。
何処でも同じですが人の姿が見えません。
左に「和智組」と言う看板が見えますが、和智と言う家が多い所でした。
道端にあった花梨の木に大きな実が沢山ついていました。
人もいないのにこんな大きな家には誰が住んでいるでしょう。
ここも元旅籠だったようです。
和智さんです。
ほんの500m位で家は途切れます。
この道を通る車も少なく、静かな所でしょう。
集落は無くなり、また高速道路の近くに来ました。
高速往路を越えます。
左へ曲って高速道路の横を進みます。
珍しく、ここで人とすれ違いました。
街道歩きの人ではありませんでした。
進んでくと右側にこんな石碑がありました。
戦国期に上野原の加藤丹後守が築いた砦があったと言われます。
すぐ横にある中央高速の場所にあったと言われています。
ちょうどベンチがあったので少し休憩です。
芭蕉の句碑もありました。
「古池や蛙飛び込む池の音」ですが殆ど読めません。
少し進むと、高層道路から離れ小さな集落の中に入っていきます。
紅葉したモミジに囲まれた家などもあります。
この大きな石は標札代わりでした。
名前が彫ってあります。
午後3時になりました。
日暮れが早いので急ぎます。
観音堂が見えてきました。
大椚観音堂です。
大日如来、千手観音が安置されているとの事。
横の高い所には吾妻神社があります。
観音堂の横に大きな杉の木がありました。
吾妻神社のご神木と言うわけではないようです。
この辺りは大椚(おおくぬぎ)と言う地名です。
大椚宿発祥の地とありますが、甲州道中の宿場にはありません。
おそらく間の宿だったのではないかと思います。
これを越えると鶴川宿に近づきます。
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次回に続きます。
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甲州道中、この記事ではまだ上野原の辺りです。
今年中に日本橋まで行こうと、実際はかなり進んでいます。
12月7日(金)に小仏峠を越えて東京都に入りました。
小仏峠
12月9日(日)に高尾駅から日野駅まで歩きました。
国道20号線の黄葉。
次回で11月29日の記事の最後です。
道中記はまだまだ続きます。
本日もご訪問ありがとうございました。
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D7500
AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR