甲州道中歩き旅 15の1(2018/12/15) 2月2日(土) [甲州道中を行く]
昨日から月が替わり2月になりました。
一昨日の夜は雪が予想さていましたが、我が家の周辺では雨でした。
久しぶりに雨らしい雨が降ったように思います。
昨日は朝から快晴で、丹沢の山は雪化粧に変っていました。
もちろん富士山も綺麗に見えていました。
+++++++++++++++++++++++++++
甲州道中記事が続いています。
1月29日の記事では、中央線の日野駅まで来ました。
一昨年の12月には、私の誕生日に合わせて中山道のゴールをしました。
今年も誕生日ゴールを目指していました。
10月から11月にかけて入院を2回もしたので間に合いませんでした。
日野駅から歩き始めたのは12月15日(土)です。
12月15日の予定は日野駅から調布まで歩く予定です。
約15kmあります。
日野駅に着いたのは朝9時頃でした。
日野駅の駅舎は藁ぶき屋根をトタンでカバーした建物に似ていますね。
実際はどんな屋根なんでしょう。
1月29日の記事の最後は宝泉寺と言うお寺でした。
歴史的なものを撮り忘れていました。
宝泉寺の前を通って中央線の線路の近くにお地蔵さんがあります。
坂下地蔵と言い日野市の有形文化財に指定されています。
この案内板の後ろの地蔵堂に安置されています。
番兵の様に、石のお地蔵様が並んでいました。
宝泉寺の前を通り甲州道中を進みます。
白壁の中は宝泉寺の境内です。
細い通りを通ります。
進んで行きみぎへ曲ると交通量の多い道になります。
日野宿の中心地のようです。
道路の右手に八坂神社がありました。
日野の総鎮守で、新撰組ゆかりの神社としても有名です。
社殿の形が変わっています。(後ろの建物は何でしょう)
昔からこんな形だったようです。
昔の写真が貼って在りました。
街道沿いには土蔵のような建物が時々見られます。
道路の右側にベンガラ色の門がありました。
「藤屋」と言う看板があります。
こんな大きい屋敷でした。
色々調べてみましたが、この建物は何かよくわかりません。
さらに進んでいくと、
日野宿には本陣と脇本陣が並んでいたそうです。
この建物は元々脇本陣だった建物ですが、幕末頃には両方とも本陣と呼んでいたとか・・
この地の名主佐藤家の住居でした。
日野宿は1849年に大火で被災し、1864年に再建竣工したそうです。
玄関です。
門も立派な門ですが、元は長屋門だったようです。
ここには、この家の当主佐藤彦五郎が近藤周助に師事して開いた「佐藤道場」がありました。
後に新撰組の近藤勇、土方歳三、沖田総司等が練習していたそうです。
左上から太陽の光がまともに来ますので画像が悪いです。
隣の白いマンションの敷地が元の本陣跡地で隣り合わせだったそうです。
どちらも佐藤家で、「上佐藤」「下佐藤」と呼び分けていたとか、
12月中旬ですが、モミジの紅葉が綺麗でした。
石造りの建物がありましたが、ほったらかしの状態です。
久しぶりに雨らしい雨が降ったように思います。
昨日は朝から快晴で、丹沢の山は雪化粧に変っていました。
もちろん富士山も綺麗に見えていました。
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甲州道中記事が続いています。
1月29日の記事では、中央線の日野駅まで来ました。
一昨年の12月には、私の誕生日に合わせて中山道のゴールをしました。
今年も誕生日ゴールを目指していました。
10月から11月にかけて入院を2回もしたので間に合いませんでした。
日野駅から歩き始めたのは12月15日(土)です。
12月15日の予定は日野駅から調布まで歩く予定です。
約15kmあります。
日野駅に着いたのは朝9時頃でした。
日野駅の駅舎は藁ぶき屋根をトタンでカバーした建物に似ていますね。
実際はどんな屋根なんでしょう。
1月29日の記事の最後は宝泉寺と言うお寺でした。
歴史的なものを撮り忘れていました。
宝泉寺の前を通って中央線の線路の近くにお地蔵さんがあります。
坂下地蔵と言い日野市の有形文化財に指定されています。
この案内板の後ろの地蔵堂に安置されています。
番兵の様に、石のお地蔵様が並んでいました。
宝泉寺の前を通り甲州道中を進みます。
白壁の中は宝泉寺の境内です。
細い通りを通ります。
進んで行きみぎへ曲ると交通量の多い道になります。
日野宿の中心地のようです。
道路の右手に八坂神社がありました。
日野の総鎮守で、新撰組ゆかりの神社としても有名です。
社殿の形が変わっています。(後ろの建物は何でしょう)
昔からこんな形だったようです。
昔の写真が貼って在りました。
街道沿いには土蔵のような建物が時々見られます。
道路の右側にベンガラ色の門がありました。
「藤屋」と言う看板があります。
こんな大きい屋敷でした。
色々調べてみましたが、この建物は何かよくわかりません。
さらに進んでいくと、
日野宿には本陣と脇本陣が並んでいたそうです。
この建物は元々脇本陣だった建物ですが、幕末頃には両方とも本陣と呼んでいたとか・・
この地の名主佐藤家の住居でした。
日野宿は1849年に大火で被災し、1864年に再建竣工したそうです。
玄関です。
門も立派な門ですが、元は長屋門だったようです。
ここには、この家の当主佐藤彦五郎が近藤周助に師事して開いた「佐藤道場」がありました。
後に新撰組の近藤勇、土方歳三、沖田総司等が練習していたそうです。
左上から太陽の光がまともに来ますので画像が悪いです。
隣の白いマンションの敷地が元の本陣跡地で隣り合わせだったそうです。
どちらも佐藤家で、「上佐藤」「下佐藤」と呼び分けていたとか、
12月中旬ですが、モミジの紅葉が綺麗でした。
石造りの建物がありましたが、ほったらかしの状態です。
下にこんな写真が貼ってあります。
(明治26年の撮影)
この写真の左の石垣のところが、有山家の場所だそうです。
この建物は有山家が興した日野銀行の建物だそうです。
有山家の子孫は後の日野市長を務めたそうです。
甲州道中はこの先多摩川を渡りますが、昔は渡し船でした。
今は橋を渡らなければいけないので橋の方へ曲ります。
直ぐにお地蔵様がありました。
ここは「東の地蔵」と言われ日野宿の東の入り口です。
冒頭のお地蔵様は「西の地蔵」と呼ばれていたそうです。
他の石像なども並んでいました。
日野用水と言われる水路があちこちにあります。
旧街道とは思えない道を進みます。
花水木の赤い実が光っていました。
ハート形の車止め。
進んでいくと、右側から多摩モノレールの高架が伸びて来ました。
渡船場の跡はこの先にありますが案内板だけなので行きません。
次回に続きます。
今日の記事はこの辺りでした。
本日もご訪問ありがとうございました。
・
D7500
AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
この写真の左の石垣のところが、有山家の場所だそうです。
この建物は有山家が興した日野銀行の建物だそうです。
有山家の子孫は後の日野市長を務めたそうです。
甲州道中はこの先多摩川を渡りますが、昔は渡し船でした。
今は橋を渡らなければいけないので橋の方へ曲ります。
直ぐにお地蔵様がありました。
ここは「東の地蔵」と言われ日野宿の東の入り口です。
冒頭のお地蔵様は「西の地蔵」と呼ばれていたそうです。
他の石像なども並んでいました。
日野用水と言われる水路があちこちにあります。
旧街道とは思えない道を進みます。
花水木の赤い実が光っていました。
ハート形の車止め。
進んでいくと、右側から多摩モノレールの高架が伸びて来ました。
渡船場の跡はこの先にありますが案内板だけなので行きません。
次回に続きます。
今日の記事はこの辺りでした。
本日もご訪問ありがとうございました。
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D7500
AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR