甲州道中歩き旅 15の2(2018/12/15) 2月4日(日) [甲州道中を行く]
昨日は節分、豆まきはしないし、恵方巻も食べませんでした。
いわし(めざし)は食べました。
いわし(めざし)は食べました。
今日は立春、暦通りこれから春になるでしょうか。
昨日は朝から晴れ、暖かな日差しを受けながら散歩をすると汗ばむくらいでした。
ベランダの花たちは急に元気になりました。
鉢植の梅ですがどんどん開花しています。
クリスマスローズも続いて蕾が大きくなっています。
チューリップはこんなに伸びています。
このような穏かな天気が続くといいですね。
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甲州道中の続きです。
(昨年12月15日です)
前記事では日野宿の出口辺りまで来ました。
多摩モノレールが見えてきました。
昔は渡し舟でしたが、現代では日野の渡し場に近い所を橋を通って進みます。
右側の歩道が渡り終えた時に便利ですが、工事中で通行止めでした。
右端に建設機械が見えます。
とても良い天気でしたが風が強い日でした。
普段、野球帽を被って歩きますが、飛ばされそうで手に持って歩きました。
自転車の人もふら付きながら走って行きます。
多摩川の上流です。
奥多摩の山でしょう。
渡り終えてから、車の切れ目を見て反対の歩道に渡りました。
ここから川の土手を少し進みます。
日野市と立川市をつなぐ橋で立日橋と言います。
寒い中、川で釣りをしている人がいました。
土手歩きはわずかで土手から下ります。
散歩中の親子。
こんな学校がありました。
幼稚園から小中高の一貫教育の学校だそうです。
進んでいくと、日野の渡し場跡石碑がありました。
そしてモニュメントもありました。
下の石に彫ってあるのは
日野の渡しの出来たのは
いつの頃だか誰も知らない
江戸時代中期貞享年間
この地に渡しが移されたことは
確かであろう
かつて信濃甲斐相模への人々は
この渡しを過ぎると
遠く異境に来たと思い
江戸に向かう人々は
江戸に着いたと思ったという
更にこんな物も
多摩川の渡し跡なるわが住まひ 河童ども招びて酒酌まむかな 芳
芳って誰の事でしょう?
先に進みます。
こんな案内があり、間違えることはありません。
進んでいくと広い道と交差します。
新奥多摩街道です。
静かな、緩い坂道進みます。
今度は奥多摩街道に出ました。
この道が旧甲州街道でしょう。
新奥多摩街道が出来る前の道なんでしょう。
しばらく行くと、新奥多摩街道に合流します。
こんな道を歩いてきました。
上の写真は日野橋交差点の写真です。
ここから256号線を進むことになります。
標識に新宿の文字が出てきました。
この先で国立市になりました。
この辺りに住んでいる人なら国立(くにたち)でしょう。
なじみのない私は(こくりつ)に頭が行ってしまいます。
この看板はフリガナがついていました。
旧街道らしく、お寺や神社が多いです。
青柳稲荷神社と青柳地蔵堂です。
ここは立派な門だけが残っています。
お寺の看板にしては珍しい看板です。
こんなお寺でした。
こんな道が続くので、道に迷うことはありません。
大きな交差点に来ました。
南武線の矢川駅の近くです。
本日の記事はここまでです。(甲州道中、この先も見どころが続きます)
次回は1月28日の明月院の記事です。
本日もご訪問ありがとうございました。
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D7500
AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR