中山道歩き29の2(2017/6/9) 7月3日(月) [中山道を行く]
暑くなりました。
昨日は窓を開けても湿度が高くなるだけで、エアコンを使いました。
横浜の今日の最高気温は33度だそうです。
しかも湿度は70%以上、要注意ですね。
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前記事の続きです。
昨日は窓を開けても湿度が高くなるだけで、エアコンを使いました。
横浜の今日の最高気温は33度だそうです。
しかも湿度は70%以上、要注意ですね。
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前記事の続きです。
紐で囲ったお地蔵さんを過ぎます。
(前記事最後の写真)
後日調べたらここから1kmぐらい離れた所に北野神社という神社がありました。
道なりに進みます。
動物の糞の臭いがしてくるので養豚場でもあるかと思って思っていたら養鶏場でした。
この辺りには何体の馬頭観音があるのかわからないほど次々に出てきます。
木の葉に隠れてよく見えません。
平坦な道に出て進むと「弁財天の池」という池に来ました。
案内板によれば、
「左の方に小さき池あり、杜若(かきつばた)生いしげれり、池の中に弁財天の宮あり」
大田南畝、「壬戌紀行」(じんじゅつきこう)より
かきつばたやジュンサイの自生地になっています。
これが弁財天です。
池の表面は植物で覆われています。
白い花が咲いています。
後日調べてみると、ジュンサイの花は紫褐色という事ですのでジュンサイではないかもしれません。
足を勧めます。
空が広がり、気持ちの良いところを通りました。
所々に新しく出来た分かれ道があるので確かめながら歩きます。
この辺りの中山道は一里塚も昔のままに残っています。
奥之田一里塚です。
道の両側に一対で残っています。
こういう光景を見ると、1600年代から存在する道を歩いている実感がわきます。
しばらく進んでいくと自動車の甲高いエンジン音聞こええてきました。
近くに小さなサーキット場があるようでした。
通りすぎ、離れていくと静かになります。
道は緩やかな下り坂になりました。
また馬頭観音です。
三国見晴し台との表示もありますが、何処かわからないので行きませんでした。
ここらあたりで描いたと思われる広重の版画です。
舗装道路ではありますが、静かな山道が続きます。
右手の木の間から木曽御嶽山の姿が見られました。
木曽路の旅の中でも御嶽山遙拝所がいくつかありましたが、御嶽山の姿が見えたのは初めてです。
(遠くの雲と一緒に見える山です)
この先で急に視界は開け、何かの工場があり集落が見えてきます。
自販機があったので飲み物の補充とおにぎりを食べました。
ここから集落の中に入っていきます。
細久手宿の説明板がありましたが手書きで、字がかすれて読めませんでした。
この奥に庚申堂がありますが行きませんでした。
この横に高札場跡の案内がありましたので、ここから宿場町でしょう。
宿場町を進んでいきます。
案内板のある休憩所がありました。
細久手宿は大湫宿と御嵩宿の間が長く、1606年に仮宿として設けられました。
(1610年に正式な宿場となりました)
駐車場の横に大きなタイル画があります。
皇女和宮の行列を描いたものだと思われます。
大きな公民館もあります。
向かいには大井宿から御嵩宿の間にある、ただ一つの旅館大黒屋旅館です。
現在も営業しています。
泊ることのできる部屋は6部屋で街道歩きの人にとっては人気が高い旅館です。
気候の良い時はいつも満室です。
細久手宿は尾張藩が作った宿場で、大黒屋は尾張藩指定の旅籠でした。
実際の本陣、脇本陣もそれぞれ1軒ずつありましたが、今はこの石柱だけです。
足を進めます。
この建物は1854年に作られた商家「日吉屋」です。
宿場も出口に近づいたところの家の塀に、昔の宿場図が掛けてありました。
細かく書いてあります。
宿場町を出ると、村社「日吉愛宕神社」という神社がありました。
先に行くと道路端に観音様があります。
細久手の穴観音です。
99,000日って約270年ですが、言い伝えはオーバーですね。
広い道ですが、ほとんど車は来なく、静かな道が続きます。
津島神社という小さな祠がありました。
道路は狭くなり、「旧中山道くじ場跡」と彫った石柱がありました。
駕籠かきや人足が順番を決めるためくじ引きをしたところとか・・・
ツツジの花も咲き、静かな道が続きます。
やがて広い道路と合流し、平岩辻という交差点に下って行きます。
この先には上り坂、山道が待っています。
次回に続きます。
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本日もご訪問ありがとうございました。
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Nikon 1 V2
1 NIKKOR 10-30mm f3.5-5.6