中山道歩き22-4(2016/10/31) 12月3日(土) [中山道を行く]
昨日は晴れ、今日からもしばらく晴れの日が続くようです。
鎌倉の紅葉はこの週末がピークになり、混雑するでしょう。
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中山道の続きです。
11月29日の記事に掲載していますが、中山道中間地点を10月31日13時ごろ通過しました。
これから先、260kmあります。
頑張って歩きましょう。
5分ほど歩くとここで横に入っていきます。
よそ見していたら真っすぐ行ってしまいそうです。
細い道を進みます。
さらに進むと、左の細い道に案内があります。
昔の道はなくなっているようで、人が通れるだけの道です。
すると広くなり、古い石が道端にあります。
間違いなさそうです。
開けた場所に出ました。
さらに進むと小さな川に出ました。
木曽川に注ぐ支流です。
今は橋が架かっていますが、昔はこの流れを渡ったのでしょうか。
私は橋を渡ります。
この橋の基礎はこの石です。
渡った先はこんなところで、どちらに行けばよいか迷いましたが、
まっすぐ進むのが正しい道でした。
マンホールの蓋が木曽福島になりました。
そのまま進むと、小さな集落に入り静かな道が続きます。
二十三夜と彫ってある大きな石が立っていました。
隣の建物は薬師堂でした。
隣には鳥居があって、階段の上に神社があります。
木曽義仲を養育した中原兼遠が義仲の学問の神として勧進したと伝えられています。(案内板より)
手習天神と呼ばれています。
再び静かな道を進みます。
この先すぐに国道に出ました。(この辺りは旧道は消滅していてここを歩くしかないです)
国道19号線に出て10分ほど歩くと出尻の一里塚跡(69番目)がありました。
ここから案内に沿って国道を離れます。
この坂を下ると
こんな道に出ました。
しばらく進むと、上の道は国道です。
国道を進むと、後ろから追い越されました。
この時、14時頃です。
朝から、コンビニでパンを一個、途中でおにぎりを一個しか食べていません。
この先に蕎麦屋があるのでそこで遅めの昼食を摂るつもりでした。
蕎麦屋に着きましたが、
なんと!!! ここでも裏切られました。
木曾義仲館、宮ノ越本陣、宮ノ越宿の田中家(休憩所)に次いで4回目、最悪の日でした。
仕方ないので進みます。
国道の向かいに何か立っていますが、車が多いので横断は出来ません。
経塚といい、この地の代官である、山村義忠が立てた物だという事です。
先に進みます。
先ほど追い越して行った人はかなり先を歩いています。
その後、また国道と合流し、進んでいくとトンネルがあります。
私はトンネルでなく、右の木曽福島の町の方に向かいます。
木曽福島の入り口が見えてきました。
関所跡に通じる道を進みます。
私も関所を通ります。
次回に続きます。
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本日もご訪問、ありがとうございました。
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中山道歩き22-5(2016/10/31) 12月5日(月) [中山道を行く]
比較的穏やかな天気が続いています。
週末の鎌倉はかなりの人出だったようです。
昨日、いつもの瀬上池に行ってきました。
紅葉はしていましたが、例年ほど赤くなっていませんでした。
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中山道の続きです。
木曽福島の関所まで来ました。
中山道の浮世絵は歌川広重と渓斎英泉の合作で書かれています。
福島宿の絵は歌川広重のこの絵です。
ここは見学していく事にしました。
この先が元々番所があったところです。
そこを越えて進みます。
昭和52年に当時の関所が復元され、昭和54年、国の史跡に指定されました。
現在は関所資料館として公開されています。
入場料を払って中に入ります。
番所が復元されています。
江戸時代には全国に関所がありました。
東海道の箱根、新居、中山道の碓氷に並んでこの福島の関所は四大関所と言われました。
「入鉄砲」と「出女」を厳しく通行の取り締まりが行われました。
中は資料館になっています。
通行手形などが展示してあります。
火縄銃などもありました。
番所を中から見ています。
㊀は木曽代官山村家の紋です。
関所の提灯なども展示してあります。
その他いろいろありました。
関所跡を出て木曽福島の町に向かいます。
高いところにあるので、下り坂を下ります。
道の左にはいくつか小さな小屋のようなものがあり、石仏が納められていました。
資料館内にジオラマがありましたが、関所は木曽川の断崖にあったそうです。
資料館のジオラマ(パンフレット写真)
下の画像の左上が関所があったところです。
ここは崖を切り崩して道路にしたそうです。
右側は木曽川です。(ストリートビュー画面より)
街の中に入っていきます。
シャッターに絵が書いてあります。
今までこういうところはよく見ました。
地元の酒屋、七笑酒造のお店です。
そして、その先の細い路地を入っていきます。
こんな公園がありましたが何かわかりません。
この地域で代官である山村氏と共に、盟主であった千村家の屋敷跡だとか?
先に進むと角を曲がり、坂を上ります。
上の段と言われる地区で、昔の風情が残った一帯です。
古い民家がほとんど食事処になっています。
白壁土蔵はBarになっています。
ちょっと覗いてみたくなりますが、まだ4時にもなっていません。
奈良井宿のような街並みでした。
通りは100m余りしかありませんでした。
坂を下ります。
さらに下って、ここを曲がると
こんな通りになりました。
この辺りかどうかわかりませんが福島宿は昭和初期に火事で多くの建物が焼失しました。
先ほど通った坂の上の通りは火災から逃れ残った地域だという事です。
しばらく行くと、ここまで来ました。
この坂を上ると木曽福島の駅です。
この日はここで終了です。
これで福島宿まで歩いたことになります。
ここから木曽福島の町を眺めながら山村代官屋敷に寄り旅館に向かいました。
(次回の記事掲載予定)
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前記事で「蕎麦屋の定休日」に同情のコメントを沢山いただきました。
結局、何も食べずここまで来てしまいまいました。
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本日もご訪問、ありがとうございました。
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中山道歩き22の6(2016/10/31) 12月7日(水) [中山道を行く]
昨日は暖かい良い天気でした。
久しぶりに北鎌倉に行きましたが、紅葉はピークを過ぎて散り始めていました。
例年真っ赤になる紅葉も、黄色っぽい色が多かったです。
午後からは天気予報どおり、冷たい風が吹き始めました。
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中山道の続きです。
木曽福島の駅手前で、この日の街道歩きを終了し、宿に向かって歩きます。
食料品店跡地のシャッター絵です。
木曽福島のお祭りの絵でしょうね。
地元新聞の号外が貼ってありました。
見ると10月31日発行で、貼られたばかりです。
後でニュースで知ったのですがこの日に11月場所の番付が発表されたそうです。
木曽福島の隣にある上松町出身の御嶽海が小結になったと言うニュースでした。
通りの商店には、早速祝賀ポスターが貼ってありました。
ちなみに11月場所の成績は6勝9敗でした。
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今まで通った道とは違う道を通ります。
お昼に定休日で食べられなかった蕎麦屋さんの本店があります。(右側)
くるまや本店です。
本日終了の札が出ていました。
調べてみると、16時(又は蕎麦が無くなり次第)閉店です。
そのまま進み、木曽川にかかる行人橋を渡ります。
向こうに架かる橋も同じ行人橋で歩行者専用です。
崖屋造りと言われています。
表は2階建て、裏から見ると3階建てですね。
川の辺は静かな道でした。
綺麗な建物がありました。
木曽群民会館と表示されていました。
市民会館みたいなものでしょう。
隣に大きな屋敷があります。
木曽代官山村氏は元々木曽氏の重臣でした。
1600年(慶長5年)の関ヶ原の合戦での功労に寄り木曽地方の代官職に任命されました。
山村氏は、木曽代官職と福島関所を兼任で勤め、その財政力はとても豊かで大名に匹敵する程でした。
明治2年まで274年間木曽谷を支配していました。
中に入るとすぐに神社の祠があります。
代々山村家の守り神として奉られていました。
中に入ります。
資料館になっています。
山村家の経歴、屋敷の図面などが展示されています。
この庭は古くからある庭です。
昔の消防服もありました。
お客様をもてなす料理の見本が展示してあります。
(記録による再現メニューです)
この地までどのようにして運んだのか伊勢海老もあります。
木曽地方は徳川幕府の直轄領であったため、代官は旗本並みの待遇のようです。
この地の他に、江戸にも屋敷があったと言われています。
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屋内に祠がありました。
この屋敷の修理の際、屋敷跡からキツネのミイラが発見されました。
そのミイラをこの神社の御神体として入り口にある神社の末社として作られたようです。
説明員の方が扉を開けて見せてくれましたが、確かに動物のミイラでした。
弘化四年と書かれた箱に入っていたひな人形も展示されていました。
弘化四年とは1847年です。
立派な鐙(あぶみ)も展示してあります。
その他にも同じような立派な鞍も展示されていました。
代官屋敷を出ます。
敷地はとても広く、隣にある現在の福島小学校の敷地まで山村家の敷地だったと言われてます。
Googleの航空写真・・
この日はすぐ近くの三河屋を予約していました。
木曽福島でビジネスホテルを探しましたがありません。
結局、比較的安く泊まれるところはここしかありませんでした。
自由旅クラブ木曽三河屋と言うのが現在の正式名称です。
私の推測ですが、従来通りの旅館が成り立たなくなって、リニューアルしたものと思います。
ほとんど客によるセルフサービスで余計な人はいませんでした。
この日はもう歩くことはありません。
この日の歩数は
着替えてまずお風呂です。
お風呂は20kmぐらい離れた〇〇温泉(忘れました)の源泉から運んできているとの事でした。
夕食はこう言う夕食でした。
前日の夕食はコンビニ弁当でしたので、今日はごちそうです。
天婦羅は席に着いてから揚げてくれるので、揚げたてでした。
ご飯、御汁はセルフで自分で入れます。(おつゆのおかわりが出来るのはいいですね)
地元の「七笑」の熱燗を頂きました。
朝から、パン1個、おにぎり1個しか食べていなかったのでお酒が腹に沁みます。
食べきれないような旅館の食事ではなく、私にとっては程よい量でした。
部屋はこんな感じで、一人でしたので広々と寝ることが出来ました。
(1泊2食付で約9000円)
窓の外はすぐ目の下に木曽川が流れており、流れの音が聞こえていました。
翌日は行きたいところがあるので、中山道歩きはしません。
これで今年の中山道歩きは終了することになりました。
スタートからの記録です。
これから木曽路は寒くなります。
来年は桜が咲くころ、木曽福島駅からスタートの予定です。
上松宿までウォーミングアップしてその先にある、名勝「寝覚ノ床」で目を覚まします。
来年中に関ケ原を越えて滋賀県に入ることが出来ればいいなと考えています。
今まで歩いた結果、ここまで来ています。
本日もご訪問ありがとうございました。
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リベンジ下諏訪(1) 12月21日(月) [中山道を行く]
昨日朝の天気予報では11月中旬並みの気温になるとか言ってました。
しかしそれほどの気温だったとは思わない日でした。
我が家の前にあるケヤキの木は先日からの強風で葉が全部落ちてしまいました。
11月15日にはこんなに葉がありました。
今はこんな風になってしまいました。
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+++++++++++++++++++++++++++
12月7日の記事で今年の中山道歩きを終了することを掲載しました。
木曽福島からの帰りの記事になります。
10月31日の夜は、木曽福島の旅館に泊まりました。
翌朝は少し雨が降っていましたが、木曽福島の駅まで歩きました。
この電車は名古屋行き「特急しなの」です。
この電車に乗るわけでなく、塩尻方面に向かう普通列車(7:45発)に乗りました。
旅館を出る時には小雨が降っていましたが、宮ノ越駅を通る時には雨も上がりました。
電車は8:30に塩尻駅に着きました。
今年の5月13日に長和町の男女倉から和田峠を越えて下諏訪宿に下りてきました。
15kmの峠越えだったので、遅くなり、急いで下諏訪の町を回り、帰宅しました。
機会があれば、もう一度訪れたいと思っていましたので、この日は下諏訪に寄り道です。
下諏訪方面の電車は9:10発(甲府行き)なので塩尻駅で40分の待ち時間です。
甲府行きの電車に乗り下諏訪に9時27分に着きました。
駅からタクシーに乗り、着いたところはここです。
下諏訪は良い天気でした。
5月に訪れた後、下諏訪では春宮、秋宮など、再度見たいと思っていました。
もう一つ大きな忘れ物がありました。
10月7日に中山道歩きを再開した時、大失敗をしていました。
その時の記事は → こちらです
私のブログにいつも来ていただいている方はご覧になったと思います。
下の図の青いところを行かねばならないのに赤いところを行き、大回りをしてしまいました。
と言うわけで再びローソンのところまで来ました。
今でもなぜ間違ったかわかりません。
今度は正しい道を歩きます。
間違いの道を歩きながら、見落としたと思っていた一里塚跡がすぐにありました。
地図に記されていた自動車学校の横を通ります。
旧街道らしい静かな道を進みます。
よし!間違いない。
なんと、10分ほどで前回戻ってきたところに来ました。
前回は、川沿いの道の奥から来ました。
この先の中山道は見覚えがありました。
引き返して、諏訪大社下社春宮に向かいます。
大門通りと言われる道を通り春宮に向かって歩きます。
春宮の手前に、下馬橋(げばばし)と言われる太鼓橋があります。
昔は神輿の貴人も馬上の貴人もここで降りて身を清めて神社を参拝したと言われています。
5月に来た時は裏の中山道から寄ったため、この道は通りませんでした。
昔はこの下に川が流れていたようです。
私も手水舎で清め、拝殿に向かいました。
立派な注連縄ですね。
前回来た時には、御柱祭りの前日で、柱を立てる穴が掘ってあるだけでした。
この日は立てられた御柱を見る事が出来ました。
「春宮一之御柱」です。
5月に撮った立てられる前の御柱です。
木落としが終わると御柱祭りまでここに置かれます。(2016/05/13撮影)
左が「春宮一之御柱」です。(2016/05/13撮影)
こちらは「二之御柱」です。
宝殿(本殿)にお参りします。
宝殿(本殿)は立派な建物でした。
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この後、慈雲寺と言うお寺などを見て秋宮に向かいました。
次回に続きます。
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本日もご訪問ありがとうございました。
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リベンジ下諏訪(2)12月21日(水) [中山道を行く]
昨日、一昨日は暖かい日でした。
出かけて、帰りの先道を上がってくると汗をかいてしまいました。
今年は残すところ10日になりました。
また、今日は冬至です。
冬至の日は昼間の時間が最も短い日と言われています。
日の出が遅く、日の入りが早いと思いますが、そうでもないようです。
横浜では冬至の今日
日の出 6:45:14
日の入り 16:33:43
ですが、
日の出が一番遅いのは来年の1月7日 6:49:44です。
日の入りが一番早い日は12月5日 16:29:43です。
(こちらで調べた結果です)
場所によっても違います。
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リベンジ下諏訪の続きです。
諏訪大社下社春宮の後はすぐ近くにある慈雲寺に行きました。
慈雲寺は諏訪大社春宮の東北にあり、鬼門封じとして作られたお寺です。
この道が何とも言えない神秘的な感じがしました。
両側の杉の木の根元は綺麗な苔で覆われています。
このような石仏が所々に立っています。
立派な山門です。
山門のすぐ横にも石仏が、
山門をくぐって中に入るときれいな庭が広がり、大きな本堂がありました。
慈雲寺は臨済宗妙心寺派のお寺です。
その他の建物も立派ですが、庭も綺麗でした。
白い砂も綺麗に熊手の跡が残っています。
しばらく見とれてしまいました。
武田信玄の時代に住職を務めていた天桂玄長禅師が植えたもので、天桂松と呼ばれています。
このまま帰るのがもったいないようなお寺でした。
慈雲寺を出てから秋宮の方に向かいます。
道は、5月に歩いた中山道です。
所々に湧き水があります。
ではなく、左から出ているのは温泉のお湯です。
水は中央下から出ています。
下諏訪は中山道の宿場で、唯一温泉が出る宿場町でした。
歩いて行くとまたお寺がありました。
この寺は前回は気づきませんでした。
こんな書体の扁額は初めて見ました。
浄土宗のお寺です。
ちょうど紅葉の真っ盛りでした。(11月1日です)
再び中山道に戻って進むと、本陣跡に着きました。
ここも前回は入ってなく、後回しにしたところです。
中は広い部屋がありました。
この部屋は明治になってから明治天皇が休憩されたとか、
そしてこの庭はとてもきれいでした。
本陣跡から出て、秋宮に向かいます。
こちらも立派な神社です。
宝殿(本殿)の前では、ちょうど菊花展をしていました。
秋宮の一之御柱はこちらです。
この日は11月1日です。
七五三の女の子がお参りに来ていました。
下諏訪リベンジも終わりました。
温泉に浸かってゆっくりしたいですが帰る事にしました。
その前にこちらで塩羊羹を買ってお土産にします。
下諏訪駅に向かいます。
これで今年の中山道関連記事は完全に終了です。
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本日もご訪問ありがとうございました。
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中山道歩き23の1(2017/4/19) 4月28日(金) [中山道を行く]
昨日は一日中曇り空でした。
太陽が出ないと寒く感じ、本格的な春を感じることが出来ません。
今日からは晴れるそうです。
2014年5月19日に、日本橋をスタートしました。
その間数回の入院などを経て、今回で延べ23日目になります。
昨年10月末に木曽福島まで行きましたので今回は木曽福島からスタートします。
今回は1泊2日で南木曽まで歩く予定でした。
下の図の鉄道に沿って南下します。
横浜の我が家から木曽福島まで行くのが大変です。
朝6時過ぎのバスに乗り、最寄駅から電車で東神奈川経由八王子に着いたのは8時10分頃でした。
8:33発のスーパーあずさ5号に乗ります。
列車はほぼ満員で、通路側だったので外の景色は見えません。
甲府駅で半数ぐらいの人が降りたので、窓側に変りました。
9時30分頃から南アルプスの山が見えてきました。
右のとがった山はおそらく地蔵岳だと思います。
しばらく山を見ながら電車は進んでいきます。
電車は進んでいますので、山の見え方が変ってきました。
10時20分頃下諏訪を通過しました。
横浜の桜は終わっていましたが、こちらは満開です。
塩尻に10時30分頃着いて、中央本線中津川行きに乗り換えします。
途中駅で特急に抜かされます。
(塩尻からこの電車に乗れば早く着きますが、10分ほどなので各駅停車に乗っています)
11:43に木曽福島駅に着きました。
家から5時間半かかりました。
駅前で軽く食事をして、出発です。(12:10)
いきなりこんな道に入ります。
(右の細い道です)
木曽町役場の裏に出ました。
役場の建物に沿って進みます。
細い坂道を下ります。
(この辺りでは桜の咲き始めでした)
坂を下りると、旧街道らしい集落(塩渕集落)になりました。
民家の軒先に一里塚跡の石碑が立っています。
江戸へ七十里、京へ六十七里となっています。
中山道中間点は、昨年の10月31日に通過しました。
しばらく歩くと広い道に出て、向かいのスーパーで水、お茶、パンを購入しました。
広い道(恐らく昔の国道19号線)を少し進み、直ぐ左に分かれます。
木曽川の堰から水しぶきが上がっています。
しばらく進むと昔の中央本線のトンネル(明治46年)に通じています。
いろんな方の中山道歩き記録によれば、このトンネルを通った人もいるようです。
通行止めでしたので、右にトンネル手前で右に曲がります。
交通量は多いですが、広い歩道があるので安心です。
御嶽山方面に曲がる元橋に近づきました。
この日は良い天気で雨の心配はいりません。
しかし全国的に強風で帽子が飛ばされそうになる天気でした。
再び左に曲がり中央本線の下を通ります。
鯉のぼりが泳ぎ、のどかな風景に出会いました。
この時期で、梅がまだ咲いていました。
突然、暗い寂しそうなところに来ました。
ここには御嶽遙拝所があります。
中山道木曽路で御嶽山が見えるのは、ここと鳥居峠しかないそうです。
(この日は見えませんでした)
すぐに明るい道に変ります。
国道、木曽川の向こうに何か見えます。
御嶽山木曽本宮という建物でした。
道は下っていきます。
坂を下って一度国道へ出て、少し進んでまた左に入っていきます。
国道より左に入ると上り坂になることが多いです。
まだまだ道は続きます。
次回に続きます。
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本日もご訪問ありがとうございました。
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中山道歩き23の2(2017/4/19) 4月30日(日) [中山道を行く]
昨日から長い休みが始まった人も多いでしょう。
引退した身では、混雑するところにわざわざこの時期に行かなくてもいいです。
こういう時しか休めない人に遠慮して、近所の散歩程度でどこにも出かける予定はありません。
(人混みが嫌いなだけです)
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前回の最後の写真です。
国道19号線から離れ、横の道に入ります。
こんな地図を持って歩いています。
中央部分の看板会社と書いてあるところです。
地図の通り、赤い消火栓がありました。
黄色いラッパ水仙の咲いている静かな道を進みます。
突然舗装した道路が無くなり、畑道のような所に入りました。
しかし、この道で間違いはありません。(上の地図参照)
そして、中央線のトンネルの近くで、右に下りて行きます。
(赤い杭の細い道です)
観音堂が立っていました。
沓掛の馬頭観音堂です。
木曽義仲の名馬が、木曽の桟(かけはし)で川に落ちて死んだため、供養のため建てたと言われてます。
古い石仏があります。
(かなり古そうです)
頭のない石像も残っています。
観音堂からしばらく進むと、一里塚跡の石碑が立っていました。
一里塚を過ぎると国道に出ました。
この辺りから上松町に入ります。
歩道が狭くなります。
この辺りから、木曽路の難所である、木曽の桟と言われるところです。
ここに赤いアーチ橋がありますが工事中でした。
(この写真は振返って見た写真です。右奥から歩いてきました。)
木曽の桟とは断崖に沿って橋のような道を作ったところです。
昔の絵です。
(ネットより)
国道の右側に渡り進みます。
今は歩道があり、安心して歩けます。
しかし、この先に平成の難所と言われる場所があるようです。
ガイドブックの一部です。
私は出かける前に、グーグルのストリートビューで確かめます。
この地点から、歩道はなく、大型トラックが走っています。
(2012年6月の画像で、現在の画像ではありません)
現在の地図で確認すると、オレンジ色の部分は歩道が無さそうです。
但し、新しい国道が出来ています。
(ほとんどの車はこちらを行くのではないかと予測していました)
上から下に歩きます。
心配しながら進みます。
すぐ横には、木曽川の流れが見えています。
道は川に沿って続いています。
とうとう歩道のないところまで来ました。
ところが、ガードレールがコンクリートの塊に刺さったものが置いてありました。
センターラインをずらして書き直した跡、コンクリートの色から判断すると最近直したようです。
予測通り、横の道を通る大型トラックもいません。
これで安心して歩けますが、こういうところもありました。
以前より車道が狭くなったので曲がり切れない車がぶつかった跡でしょう。
仮設歩道(?)が終わり、横に入ります。
立派な橋が架かっていました。
この橋の下を回り込んで、出たらまた歩道がなくなりました。
右側を歩いてきましたが、反対に渡ってガード下を急いで通ります。
ガードを抜けると歩道があり、信号もついている交差点に来ました。
笹沢の交差点です。
トンネルには入らずに、右に曲がり、坂を下ると十王橋の交差点に到着です。
上松宿の始まりです。
中山道歩き23の3(20174/19) 5月2日(火) [中山道を行く]
私の近所は雨はそれほどではなく、強風、雷がひどい天気になりました。
・
前記事の続きです。
(下の写真は昨年の秋に通った和田宿周辺の国道です。)
これに比べると問題のない道でした。
+++++++++++++++++
14時40分頃に上松(あげまつ)宿の入り口に着きました。
ここは高札場があったところだそうです。
地蔵尊など石像が並んでいます。
地域の人たちが花を捧げ、清掃などの世話をしています。
ここから旧宿場町に入っていきます。
上松宿は本陣、脇本陣、各1軒旅籠35軒の比較的小さい宿場でした。
いきなり目に入ってきた御嶽海の応援ポスター。
昨年10月30日、木曽福島に着いた日にこんな号外が街の彼方此方に貼ってありました。
九州場所の番付が発表され小結になったという記事でした。
古い街並みを進んでいきます。
こういうものが所々に立っていますが、宿場の保全をしているようには見えません。
表札の他に屋号をつけている家もありました。
静かな道を進んでいきます。
一里塚跡の石碑が立っています。
京へ六十五里、江戸より七十二里です。
この前の沓掛一里塚を13:48に通過し、この時、14:55です。
写真を撮りながら約1時間で来ました。
現在の町の中心地に出て、しばらく進んだ後、再び左手の細い道に入ります。
福祉施設の玄関にも御嶽海応援の看板が立っています。
バイパスの上を通ります。
寝覚ノ床はもうすぐです。
(中央右寄りの大きな屋根が寝覚めの床近くの臨川寺です)
上の写真は丸印から撮ったものです。
この日の宿泊は寝覚めホテルです。
あと少しと自分自身に言い聞かせて先に進みます。
常夜灯や石仏、石塔が並んでいました。
下校途中の中学生とすれ違いました。
みんな同じランドセルみたいなリュックを背負っていました。
古い建物が見えてきました。
枝垂れ桜も綺麗に咲いていました。
角にある、寛永元年(1624)創業の蕎麦屋の「越前屋」です。
(この建物は大正元年の旅館として建てられた建物です)
向かいにある「たせや」も昔、立場の茶店だったそうです。
旧型の郵便ポストがあったので、しだれ桜と一緒にパチリ。
ホテルも近いので、チェックインする前に寝覚めの床を見に行きました。
境内の桜はほぼ満開でした。
寝覚めの床は中央本線の特急に乗ると車内アナウンスで案内があります。
お寺の横から見ると電線やら、電車の架線があり、あまりきれいな写真になりません。
下の方へ降りる階段があったので下りてみました。
こんなところに出ます。
ここからは綺麗に見えます。
寝覚めの床についてはこちら
奥の岩の上には浦島堂と言われる祠が建っています。
再び急な坂道、階段を上がります。
お昼前から歩き続けた体にはきついです。
やっと上がったところにきれいな桜が咲いていました。
道路の向かいには、越前屋さんのお店がこちらで営業していました。
ここからまた坂道を上がってホテルに向かう途中、足の痙攣が起こりました。
ゆっくりと這うようにしてホテルに着きました。
昨年リニューアルしたばかりの町営のホテルです。
都会のホテル並みのきれいなホテルでした。
空いていたので、ツインのシングルユースでした。
この日はゆっくりと休むことが出来ました。
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次回は他の記事を挟みます。
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本日もご訪問ありがとうございました。
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中山道歩き24の1(2017/4/20) 5月6日 [中山道を行く]
でも、今日、明日も休みですので近場の行楽地は込み合うでしょう。
ジジイの私は皆さんの邪魔にならないよう、一昨日の朝、横浜に行きました。
昼間は人が多く、こんな写真は撮れないでしょうが、朝7時前ならば余裕です。
+++++++++++++++++
中山道の続きです。
延べ24日目に入りました。
4月20日の朝はさわやかな天気でした。
寝覚めの床近くにある、「寝覚めホテル」の朝はすっきりです。
用意して、8時過ぎに出発しました。
まず、昨日の道に戻らなければなりません。
正面に雪が残った山が見えました。
恐らく、
地図上の位置はこうなります。
中山道の旧道に戻りました。
しばらく行くと石畳の道になりました。
新しい石なので、敷きなおしたのでしょう。
カーブミラーに自分の姿が映っていたのでパチリ。
こんな格好で歩いています。
(この日の朝は冷えて気温は8度くらいでした。)
木曽川の支流にかかる橋を渡ります。
所々に古い石仏があります。
眺めの良いところに出ました。
この先の坂を下ります。
下ったところに、大きな枝垂れ桜が上から覆いかぶさるように咲いています。
突き当りを曲がると中央本線のガード下になります。
国道19号線に出ました。
しばらく進むと、左側に滝が現れました。
小野の滝と言います。
歌川広重と渓斎英泉合作の中山道69次の版画にもこの場所があります。
(この版画は歌川広重作です)
鉄道が出来てこの景色はなくなってしまったと案内板に記述してありました。
マイナスイオンを十分吸って進みます。
しばらくすると萩原集落に入っていきます。
すぐに一里塚跡の石碑がありました。
静かな集落を進みます。
恐らく二十三夜搭だと思います。
大きなレンギョウの花が咲いていました。
中央本線と並行して歩いていますので時々特急列車が通ります。
この辺りは普通列車より特急列車が多いです。
国道を少し歩きます。
桜が満開でした。
上の地点から左に入っていきます。
国道から左に入る道はほとんど上り坂です。
進んでいくと、民家の軒先を通るところがあります。
道はだんだん狭くなり、事前に調べて行かないと不安になるところです。
とても眺めの良い場所に来ました。
ベンチでもあれば一息入れたいところです。
上ったら下りです。
下ったところにまた階段がありました。
階段を上がらないで右に曲がります。(上の写真の左の柱に案内があります)
鉄道のガード下を通ります。
中央本線と国道19号線は旧中山道の宿場、集落に沿って作られたことがよくわかります。
国道に出ました。
そこには神社がありました。
先ほどの階段はこの神社につながっているようです。
こちらから行くと警報機もない踏切のようです。
ちょうど10時ごろでしたので、2時間歩いた事になります。
次に続きます。
・
本日もご訪問ありがとうございました。
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中山道歩き24の2(2017/4/20) 5月10日 [中山道を行く]
5月7日、8日に行きましたが天気は良く気持ちの良い街道歩きになりました。
7日は大桑から歩き、妻籠宿に泊まりました。
8日、馬籠峠を越えて岐阜県に入りました。
その後、馬籠宿を通り、
中津川まで歩きました。
上り下りも多く、二日共3万歩近く歩き、太ももの辺りが悲鳴を上げています。
道中記は現在掲載中の4月の記事が終わってから掲載します。
+++++++++++++++++++++++++++++++++++++
5月6日の記事の続きです。
道とはいえないような所を下って出てきたのはここでした。
(前回記事と同じ写真です)
国道を進むと、横道に入り、小さな集落を通ります。
花が沢山咲いています。
(ヒマラヤユキノシタ?・・・?)
この辺りは至る所にきれいな水があります。
再び国道に出て、横断します。
横断すると小さな集落に入りそのまま進むと右手に吊り橋がありました。
中山道とは違いますが、橋の真ん中あたりまで行ってみました。
これは上流方面。
こちらは下流方面です。
桜は満開でした。
この後右下の小屋の辺りで左に曲がります。
線路のガード下を通って反対側に出ました。
見えてる駅は倉本駅です。
のどかな風景です。
ハナモモの花でしょうか(?)勢い良く咲いています。
倉本の集落に入っていきます。
土蔵の白壁がほとんどはがれています。
人に会うことはほとんどありません。
道はカーブして左側にお地蔵様(?)などが並んでいます。
頭の部分が無くなったでしょうか、違う石で補修してありました。
常夜灯があり、後ろに庚申塔などが並んでいます。
上松町にある庚申塔の中では一番古い物だと言う案内板がありました。
突然、犬が吠えました。
繋いであるから安心ですが、繋いでなかったら飛び掛かってきそうな雰囲気でした。
また古い土蔵があります。
中に何があるか見たいですね。
本来の道は土蔵の左でしょうが、この先は現在通れないので、こちらへ行きます。
道は下っていきます。
こんなところに下りてきました。
こういうところは間違えやすい場所です。
(ガードレールの外は小さな川で、現在は渡る手段がありません)
よく見るときちんと案内がありました。
案内に沿って進むと国道19号線に出ました。
しばらく国道歩きが続きます。
反対側の駐車スペースに、一里塚跡があるはずですが・・・・
この先でおそらくスピード違反の測定ポイントがあると思われます。
右手のキャリアカーが捕まっていました。
上の写真に見える信号機で横断し、国道の右側に入ります。
国道より、低い所へ降りて行きます。
向こうに見える国道で、スピード違反の測定をしているでしょう。
川の向こうには水力発電所の姿が見えます。
この辺りは池の尻という地区ですが、「池の尻の大屋」という表札が付いています。
このような歩きやすい道ばかりだといいですがここだけです。
やがて国道に合流します。
次回に続きます。
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本日もご訪問ありがとうございました。
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中山道歩き24の3(2017/4/20) 5月12日(金) [中山道を行く]
しかし日差しが強く、外に出ていた方はかなり日焼けをしたのではないでしょうか。
せっかくの晴天の日も病院通いで半日つぶれてしまいました。
7日、8日の中山道歩きの筋肉痛も殆ど気にならなくなりました。
但し足にまめができていました。
中山道の続きです。
4月20日の事です。
国道から離れ、のんびりと歩いていましたがすぐ横は国道です。
(前記事最後の写真です)
国道に合流しました。
ここは標高588mです。
(この日の出発点である寝覚めホテルは標高730mでした)
古い石塔が並んでいます。
まさに花盛りでした。
道路の右側を歩いていましたが、反対側に大きな枝垂れ桜が咲いていました。
空が白いのが残念です。
前を見たら、歩道がなくななるので枝垂れ桜の方に横断しました。
(横断歩道はありますが、信号はありません)
左側の歩道を歩きます。
横を大きなトラックが走っていきます。
歩道はあっても車道側には何にもありません。
ちょっとふら付いたら大変ですので、出来るだけ遠い方を歩きます。
ストックをつきながら用心して進みました。
歩道が狭くなりました。
安心して歩ける歩道になりました。
日本禁煙友愛会とは?
調べてみたら長野県伊那市に事務局があるそうです。
さらに進んでいくと、歩道はなくなりますが、歩道の代わりの道案内があります。
中山道の案内も立っていました。
(歩道の代わりでなく、旧中山道でした)
ちょっと車道から離れただけでかなり静かな道になります。
但し、すれちがう人はいません。
右手の下に国道19号線が走っています。
桜、川のきれいな景色が見えます。
更に国道から離れ、竹藪の横を通ります。
国道と合流したところが須原宿の入り口です。
ここには一里塚跡がありました。
江戸へ75里、京へ57里
須原駅前の大和屋さんの前に来ました。
小さなタバコ屋さんですが、須原の名産品を売っています。
お店の方とお話ししたところ、今年の花は2週間位後に収穫するという事でした。
ここから離れた山の中腹に木を植えていて、収穫は総出で行うとの事でした。
一箱買いましたがこれは去年の花です。(帰宅してから撮った写真です)
結婚式などで出てくる「桜茶」です。
須原宿は、江戸から39番目の宿場町です。
こういう物も並んでいますが、建物はほとんど現代の建物でした。
水舟の里と言われ、このような水舟が街道に沿っていくつかあります。
道路を独占して歩けるほど静かな街です。
本陣跡は普通の民家で、木の看板が立っているだけでした。
向かいには脇本陣があったようで、その跡は酒屋さんです。
元々、酒屋が脇本陣を務めていたようです。
今でも酒屋さんのようです。
宿場のほぼ中心に水舟と正岡子規の歌碑がありました。
「寝ぬ夜半を いかにあかさん山里は 月いつるほとの 空たにもなし」
小休止して、先へ急ぎます。
次回へ続きます。
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本日もご訪問ありがとうございました。
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中山道歩き24の4(2017/4/20) 5月14日(日) [中山道を行く]
気温が下がり、着る物の調整が大変です。
今日は良い天気になるといいですね。
そして今日は母の日です。
・
4月20日の中山道歩きの続きです。
4月19日、20日に出かけたこの旅は当初南木曽まで歩く予定でした。
ここまでのペースで行くと、家に着くのは遅くなりそうで、次の大桑駅で止めることにしました。
・
須原宿の中心地から離れます。
(前記事の最後の写真です)
どこを歩いても人の姿は見えません。
まるでゴーストタウンのようです。
こんな物がありました。
「須原ばねそ」とは須原宿に伝わる盆踊りで無形文化財に指定されています。
「よいこれ」はそのうちの一つでこの他に二つあります。
ボタンを押したら聞こえるらしいのですが、そこまで目が行かず聞き忘れました。
この辺りは昔風の建物が残っています。
つばめが飛び交っていて軒先に止まっています。
柏屋の看板がありましたので元は旅籠だったのではないかと思います。
二階の軒先に「三都講」の看板がついています。
「三都講」とは大阪に講元があり、江戸と京都に世話役がいた旅館組合のようなものです。
(賭博禁止、飯盛り女などを置かない、などの規則を守る事を義務付けされた)
こんなことを調べながら記事づくりをすると勉強になります。
宿場の外れに定勝寺というお寺がありました。
定勝寺は臨済宗妙心寺派のお寺です。
ちょっと立ち寄ってみました。
立派な庫裏がありましたが庭に見とれて写真を撮るのを忘れました。
このようなきれいな庭でした。
お寺を出て、外から見たらこんな立派なお寺でした。
宿場町の外れです。
(宿場の入り口、出口の道を間違えていたことが帰ってから判明しました)
家並みは無くなりました。
踏切を渡って左の坂を上ります
ここは単線区間です。
中央本線は所々に単線区間があります。
坂を上ると、木曽川の向こうに須原発電所が見えます。
(ちなみにこの発電所は関西電力の発電所です)
しばらく進むと小さな集落がありました。
川を渡ります。
枝垂れ桜の右はIHIターボという会社の工場です。
こんな山奥でターボチャージャーなんか作っているのは驚きです。
この桜も橋の横に咲いていました。
上の写真後方に見える道を進むとまた小さな集落がありました。
突き当りに案内があり、野尻宿方面に左折します。
のどかな田舎道を進みます。
「念三夜」と彫ってあります。
今にも壊れそうな土蔵です。
のんびりした街道歩きです。
左の方に大きなお寺が見えてきました。
天長院という臨済宗のお寺です。
(境内には入りませんでした)
人家の間を通り抜けるような道になりました。
ツツジが綺麗に咲いています。
小さな集落に来ました。
角を曲がると、
14時過ぎにJR大桑駅に着きました。
大桑駅の時刻表です。
(一日に20本の電車しか止まりませんが、特急列車は26本通過します)
14時27分に中津川行きの電車があります。
しばらく待つと電車が来ました。
4月19日と20日に歩いたのはこの辺りです。
4月19日 6:00自宅出発
八王子からスーパーあずさで塩尻まで行き、各駅停車に乗り換え木曽福島に11:43に到着
昼食後、12時過ぎから歩き、上松宿経由寝覚めの床(ねざめホテル)に宿泊
4月20日、8時過ぎに出発
須原宿経由大桑駅に14時過ぎ到着
14:27の電車で中津川経由名古屋に16:35到着
16:49発のぞみ号で新横浜に18:11到着
19:30頃自宅に帰着
本日もご訪問ありがとうございました。
・
次回は横浜の記事を挟みます。
5月7日、8日の道中記はその後掲載します。
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中山道歩き25の1 (2017/5/7) 5月18日(木) [中山道を行く]
しかし、夕方になると気温は下がりました。
太陽が出ていないと気温が上がりませんね。
先週末からほとんど太陽の光が消えています。
良い天気でないと気分も晴れません。
・
4月19日、20日に行った中山道歩きの続きをGW最終日に行きました。
今回で通算25日目になります。
今回からは名古屋経由で目的地中央本線大桑駅に向かいます。
5月7日早朝、バスがないのでタクシーを予約して大船駅まで行きました。
大船駅から東海道線で小田原へ
小田原から乗るのは理由があります。
我が家からだと、新横浜へ行くのと小田原に行くのとあまり時間は変わりません。
小田原発7:04のひかり号に乗りました。
GWの最終日、日曜日の朝と言っても下り列車です。
車内はこんな状況です。
名古屋までの間は一駅しか止まりません。
豊橋駅で「のぞみ」の通過待ちです。
8:18に名古屋に到着しました。
中央本線のホームに行きこの電車に乗ります。
8:28に発車しました。
約1時間後、中津川に9:24到着しました。
特急とはお別れです。
中津川から塩尻方面への各駅停車は、1時間に1本程度しかありません。
乗る予定の電車はまだここにいます。
中津川の駅って広いですね。
待ち時間を利用して、駅前の観光案内所に行き、これを入手しました。
今回の旅で長野県から岐阜県に入る予定です。
下の地図がこれまで使っていた長野県の地図です。
上の地図が岐阜県です。
(但し、馬籠宿から御嵩宿までしかありません。続きがあるかどうか不明です)
10:00中津川発松本行きの電車に乗りました。
ガラガラです。
10:35に大桑駅に到着しました。
大船駅から4時間半です。
(前回、スタート地点の木曽福島までは5時間半かかっています。)
この日はここからスタートです。
今回はこんな予定です。
7日は妻籠まで約19km、8日は馬籠峠を越えて16km歩かなければなりません。
しかもアップダウンの繰り返しは続くと思われます。
身支度を整えて出発です。
駅から旧中山道に戻ります。
角に商店があります。
看板を見ると、たばこ、地下足袋、文房具、化粧品などよろず屋ですね。
普段営業しているかどうか知りません。
歩き出すと、周囲は開け、明るい光景になりました。
上の写真の踏切を渡り国道歩きから始まります。
田んぼに水を入れる準備をしているのでしょう。
山は木が芽を吹き、まだら模様になっています。
遠くから菅笠をかぶった二人が近づいてきます。
すれちがう時に聞いてみたら今日はこの先の十二兼駅から来て須原まで行くとの事。
どうも休みごとに少しずつ歩いて日帰りの旅で、3~40代の夫婦のような感じでした。
道の横には八重桜が咲いていましたが、散り始めていました。
「道の駅大桑」が見えてきました。
道の駅に行くには横断しなければなりませんが、信号も横断歩道もありません。
車の切れ目に急いで渡りました。
これから先、昼食を食べるところはありません。
少し早いようですが、11時過ぎに昼食にしました。
昼食を済ませて出発です。
また、国道を注意して横断しました。
来た道を振り返ると雪の残った山が見えていました。
国道を100mぐらい歩くと横に外れます。
静かな道が始まります。
大桑駅から1km余りしか歩いていません。
頑張って進みましょう。
次回に続きます。
<その1>
今週の月曜日、久しぶりに東京に行きました。
小さなコンデジの調子が悪いのでこちらに行くためです。
修理するのと、新しく買うのと同じぐらいの値段なので修理は止めました。
ここの隣には先日オープンしたGINZASIXがあります。
中に入って見ましたが、ジジイには場違いな店ばかりでした。
銀座通りは、以前日本語よりC国語が多かったですが、ピーク時の半分ぐらいです。
それでも何台かバスは止まっていましたが、少なくなりました。
この免税店はガラガラで、有楽町のマツモトキヨシの方が混雑していました。
<その2>
14日(母の日)の記事に、この写真を掲載しました。
高原に咲くカーネーションみたいに見えます。
実際にはこういう風にして撮っています。
(カレンダーの写真を背景にしています)
本日もご訪問ありがとうございました。
中山道の記事
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中山道歩き25の2(2017/5/7) 5月20日(土) [中山道を行く]
一日中外出していましたが、顔が火照っています。
今日はさらに暑くなるとか、熱中症の心配が必要になりました。
・
前記事の続きです。
前記事のコメントで一部誤解されていらっしゃる方もいますので補足します。
スタート地点の大桑駅までの4時間半は4月19日の木曽福島のスタートの時より1時間近くなりました。
次に中山道歩きに行くときは中津川からスタートしますので更に近くなります。
この先しばらく名古屋から名鉄を使うか、JRを使うかの違いになります。
「道の駅大桑」を後にして100mほどで静かな道になりました。
右には線路があります。
先にある踏切を渡ります。
案内に従い左の方に行きます。
野尻宿に向かって進みます。
案内があるので迷うことはありません。
野尻宿に入っていきました。
今は単なる集落です。
常夜燈があると宿場町の雰囲気がでます。
本陣の跡地には案内板があるだけで庭のようになっていました。
野尻宿は40番目の宿場町で宿場の長さは奈良井宿に次いで2番目の長さの町です。
向かいには廃屋になった建物があります。
脇本陣跡には普通の家が建っていました。
警察の駐在所ですが、立派な建物の一部でした。
後ろの家には誰が住んでいるでしょうか。
昔は旅籠屋だったであろう庭田屋の建物。
旅館という看板が出ていますが今は旅館業はしていないと思います。
この建物は「フーテンの寅さん」22作目に出てくるらしいです。
(5月14日の記事に掲載した定勝寺でもロケをしたそうです)
こんな家です。
一里塚跡の石碑がありました。
このまま真っすぐ行くのではなく、右に曲がります。
珍しく人の姿が見えました。
緩い下り坂を降りて行くと、見晴らしの良い場所に来ました。
右には中央本線があります。
先に進んで線路の下を通ります。
この日はこんな格好で歩いています。
先月と違って軽装になりました。
進んでいくと馬頭観音等の石仏が並んでいます。
斜めに傾いたものがある事が歴史を感じさせてくれます。
民家の庭の中を通る様な感じがします。
白い藤が綺麗でした。
周りの風景も綺麗です。
歩いて行くと、急に牛糞の匂いがしてきました。
それもそのはず、牛小屋がありました。
この牛の他に、もう一頭中にいました。
野尻の集落を出ると静かな道になります。
左側は国道19号線です。
スミレの一種でしょうが、とても濃い色でした。
本来の中山道は左の道のようですが落石のため通行禁止です。
その為先に見える踏切を渡ります。
踏切を渡ると線路に沿って道は続きます。
(本来の中山道は左の山の中を通ります)
家もなく人もいません。
時折、車が来ますが、怖いような道です。(夜だったら怖いです)
右側は木曽川です。
その後踏切を渡り、進んだところに本来の旧街道(右側)がありました。(・・だと思います)
寂しい道も終わり、ここに出てきました。
この場所はGoogle地図で見るとこういう場所です。
黄色い矢印から来て、青い矢印に進みます。
信号も、横断歩道もないので注意して渡ると、ここから南木曽町に入りました。
後ろから三番目の写真のガードレールの道に入ります。
次回に続きます。
・
本日もご訪問ありがとうございました。
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中山道歩き25の3(2017/5/7) 5月22日(月) [中山道を行く]
昨日は舘林で35度を超えたとか、真夏ですね。
二日間、用事があり神戸に行ってました。
皆様への訪問が十分できていませんがご容赦願います。
前記事に続きます。
5月7日の中山道歩きです。
前記事の最後の写真です。
黄色の方から来ました。
(googleMapより)
車の切れ目のタイミングをみて横断します。
横断してから坂を上ります。
上から見た写真です。
右奥の道から来ました。
この辺りの標高は489mです。
アップダウンの繰り返しですが徐々に標高は下がっています。
緩い坂道と言えども息が切れます。
上った所に集落が現れ、人の姿も見えます。
(十二兼・・じゅうにかね、という集落です)
旧街道には、全くと言っていいほど自動販売機はありませんが、ここにはありました。
(でも此の先にもほとんどありませんでした)
そして、地図が置いてあります。
ここには英語バージョンの地図が置いてありました。
(上のものは私が持ち歩いている地図です。)
地図を開くと、和文、英文併記でした。
農村では軽トラックは必需品ですね。
旧街道ならではの光景です。
坂道を下って行くとこんなところに出ました。
国道と鉄道の向こうに旧街道があります。
私が持っている地図の元になった手書きの地図にはこう記述してあります。
(この地図は木曽福島の観光案内所の方が作ったそうです)
但し、今は線路には入れません。
私が持っている現在の地図ではこうなっています。
入り口はこちらです。
(よく見たら手書きの案内がありました)
こんなところで怪我をしたら洒落になりません、注意して階段を下ります。
線路の下です。
出た所はこんなところでした。
正面はJR十二兼駅です。
この辺りの民家では玄関にほとんど注連縄とお札(立春大吉、鎮防火燭)が貼ってあります。
木曽川の向こうに見える林の新緑が綺麗でした。
常緑樹の濃い緑と、新緑の色が作る山肌も綺麗です。
国道に出てきました。
交通量は多いです。
ここから国道歩きが始まります。
この写真に写ってるところはずっと歩きます。
でも横は木曽川で広々して、景色もきれいです。
(後ろを向くとこんな景色になります)
国道の向こうには中央本線の線路があります。
(十二兼を過ぎると複線になります)
もう一度後ろを見ます。
綺麗な景色です。
まだ続きます。
国道に出てから約50分歩きました。
左に分かれ道があり、こちらに行かなければなりせん。
横断歩道はありません。
タイミングを見て小走りに横断します。
静かな道になりました。
国道の車の音も聞こえなくなりました。
(ちょっと撮り鉄になりました。)
JRの線路の下をくぐります。
今までの経験則ですが、国道、鉄道より左に入ると上り坂になります。
坂を上ると、集落になりました。
三留野宿の始まりです。
屋号の付いた家が出始めました。
静かな街です。
本陣跡の案内板がありました。
建物はありません。
三留野(みどの)宿は41番目の宿場町です。
この後はいよいよこの日の最後になる妻籠宿へ向かいます。
あと約6kmあります。
次に続きます。
本日もご訪問ありがとうございました。
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中山道歩き25の4(2017/5/7) 5月24日(水) [中山道を行く]
昨日は、程よい気温で過ごしやすい日でしたが午後からは風が強くなり困りました。
・
前記事の続きです。
5月7日(日)中央本線の大桑駅を11時頃スタートし、15時頃、三留野宿本陣跡に着きました。
この案内板によれば、本陣の建物は明治14年7月の火災により焼けてしまった。
その時の火災で家屋74軒、土蔵7軒も焼失したとの事です。
この日は17時頃に妻籠に到着の予定です。
先に進みます。
三留野宿は高い場所にありました。
左の道を行くのではなく、右下に下りて行きます。
常夜灯があったので、宿場の出口に近い場所かと思います。
細い道を進んでいくと、建物はともかく場違いな看板が!
どこからお客さんが来るのでしょう。
先に進むと急に周りの様相が変わりました。
ここは2014年7月9日に発生した土石流の被害があった場所です。
ここから上流の方まで被害があったようです。
すっかりきれいになっています。
茶色い橋が見えますが、JR中央本線が通ってます。
約1か月不通だったそうです。
進みます。ここで少し道を間違えてショートカットで歩いてしまいました。
ここでも外国人向け案内です。
南木曽駅の材木積み出し基地でしょうか。
古い街並みが続きます。
南木曽駅から普通列車が出て行きます。
家並みも無くなり、静かな道になりました。
とうとう家が無くなりました。
妻籠まで3.1kmとなりました。
(1時間と案内されていますが・・・平地だったら、なんてことはありません)
徐々に上り坂になります。
坂の途中でこの人とすれ違いました。
大阪の人で、この日は野尻宿まで歩くと言ってました。
坂を上ったところに神戸という集落がありました。
このような祠を見ながら、
ここでも白い藤の花を見ることが出来ました。
しばらくすると石畳の道を下ります。
途中から上り坂になり、上りきると家が見えてきました。
ここが宿場かと思ったらまだです。
一里塚がありました。
これは原型に近いです。
宿場はまだ先です。
妻籠城址の案内があります。
妻籠城は室町時代にはあったと言われています。
妻籠宿が近づいてきました。
右の道を下りて行きます。
いよいよ妻籠宿に近づきました。
これは民宿です。
道沿いの建物にはこんな演出が見られます。
建物の間からは大きな山藤が見えます。
宿場の入り口です。
高札場が復元されています。
宿場の中に入っていきます。
GWの最終日の夕方なので静かです。
16時50分頃、この日の宿、藤乙(ふじおと)に着きました。
山道だったので3.1kmを1時間15分かかりました。
倒れ込むように旅館に入りました。
・
旅館と言っても、建物は民宿風です。
バストイレ付の部屋などはありません。
但し、夕ご飯は美味しかったです。
一品ずつ持ってきてくれるので写真はありません。
泊り客は日本人と外国人が半々でした。
食事を運んでくれるのは20代半ばのお嬢さん二人で、いずれも流暢な英語を話します。
平日は外国人(主にアメリカ、オーストラリア人など)が多いそうです。
食事の前に写真を撮って、翌朝の朝食時に置いてありました。
5月7日、8日の中山道歩きの前半でした。
次回は横浜の記事になります。
その後、5月8日の道中記になります。
・
本日もご訪問ありがとうございました。
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中山道歩き26の1(2017/5/8) 5月30日(火) [中山道を行く]
26日(金)、27日(土)に中山道を歩いてきました。
しかし当初の計画通りには進まず、途中で止めました。
道中記は後日になります。
まだ前回の道中記が残っています。
・
中山道歩きの通算26日目になりました。
5月8日、妻籠宿の旅館でさわやかな朝を迎えました。
朝食前にカメラを持って散歩をしました。
妻籠宿の中心地はの略図です。
朝6時過ぎです。
すぐに脇本陣奥谷(おくや)の建物がありました。
今は博物館として利用されています。
立派な建物です。
朝日が当たってきました。
稲わらを編んで花が飾ってあります。
本陣跡ですが、まだ門が閉まっています。
立派な建物が並んでいます。
屋号がついていますが旅館ではなさそうです。
このまま進むと突き当りになります。
どこの宿場にもある桝形と言われる曲がり角です。
(ここは角だけでなく、階段があり、先は下がっています)
ツツジも咲き始めています。
(5月8日です)
松代屋さんは旅館です。
此の先は階段で高くなっています。
パンフレットなどでよく見る写真です。
階段の下から地面すれすれに撮っています。
人の姿はほとんど見えません。
この辺りは日本で初めて宿場保存地域に指定された寺下地区です。
暖簾に格子、いい風景ですね。
よく見ると小さな花瓶が藁で巻いてあります。
建物が途切れる辺りの建物の屋根です。
昔はこういう屋根だったようです。
(今まで通ってきた宿場でもいくつか見ました)
引き返します。
途中、光徳寺(1500年開山)というお寺に立ち寄りました。
臨済宗のお寺で立派なお寺でした。
旅館に帰る途中で見かけた、大きな釜、鍋です。
何時頃使われていたものかわかりません。
昼間は人がたくさん来るでしょうが、とても静かな宿場町をカメラに納めることが出来ました。
そろそろ朝食の時間です。
旅館に戻りました。
・
朝食後、支度を整えて8時半頃出発しました。
この方とお話しすると、「今日は花まつりなので花を活けている」との事。
ここでは花まつりも月遅れだそうです。
朝、散歩した道を進みます。
本陣の門は開いていました。
復元された本陣は島崎家が務めました。(島崎藤村の母の生家)
先へ進みます。
家並みが切れました。
しばらく行くと、関西電力の発電所がありました。
木曽川水系の発電所は関西電力の発電所で関西地方に送電されているそうです。
先に進むともう宿場町ではなく、山道に入ります。
この日の予定は馬籠峠を越えて、落合宿、中津川宿に向かいます。
次回に続きます。
本日もご訪問ありがとうございました。
・
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中山道歩き26の2(2017/5/8) 6月1日(木) [中山道を行く]
アジサイの季節にもなります。
と言えば北鎌倉が混雑する月でもあります。
近所の紫陽花が色づいてきました。
+++++++++++++++++++++++++++++
5月24日の記事の続きです。
妻籠宿の町を過ぎると、広い道を横断します。
(前記事の最後の写真と同じです)
未舗装の道に変りました。
のどかな風景を楽しみながら歩きます。
途中から舗装道路に変りました。
緩い坂道です。
神明という集落に入り、神明茶屋という店があります。
数軒の家が並んでいました。
何の木でしょう、新芽がまさに出た所です。
集落を抜けて進むと大妻籠の地区に入ります。
ここには数件の旅籠があり、まるやは今でも泊まることが出来ます。
袖うだつ、出梁作りの建物です。
集落を外れるとのんびりした道になります。
妻籠 馬籠までは5.5kmあります。
この日は中津川まで行かねばなりません。
山越えの杖の返却場所です。
こんな曲った木で杖になるのか?
私は登山用のストックを持っていますので大丈夫です。
いよいよ山道に入ります。
最初は石畳の急な坂道です。
左の崖に石像がありました。
中山道で唯一の牛頭観音です。
(馬頭観音は数え切れないほどあります)
こんなに上がってきました。
こういう道は足に優しいです。
下り谷という集落を通ります。
しばらく進むと二手に分かれます。
どちらを行っても同じようで、滝の方へ行きます。
下へ降りて行くと最初にあったのが男滝です。
次に女滝があります。
涼しい風で汗が引きます。
滝を見てから急な階段を上り、中山道を進みます。
しばらく進み、右の方に入るちいさな橋を渡って山の中に入ります。
森の中を歩き、路面は石畳に変ります。
石畳を進んでいくと大きな木が見えてきました。
サワラの大木です。
樹齢300年胴回り5.5mです。
森の中ですので、こんなものがありました。
時々すれ違う外国人が鳴らしていきます。
森の中から出て明るくなりました。
石垣が見えます。
花が沢山咲いています。
ここは、一石栃の白木改番所跡です。
昔は檜の枝1本でも刻印が押されてるかどうか確かめた関所みたいなところです。
枝垂れ桜など花が咲いて、桃源郷に来たような感じです。
休憩所があり一休みです。
中では外国人のグループが大勢休んでいました。
上から枝垂れ桜の枝がかぶさります。
とてもきれいな所でした。
枝垂れ桜はピークを過ぎて葉桜になっていました。
もう少し早ければ見事な景色になったでしょう。
約15分ほどで山道は終わりです。
馬籠峠に着きました。
妻籠宿の標高は約400mですので、400m上がってきました。
そして、ここから岐阜県に入ります。
2015年10月11日に碓氷峠を越えて長野県に入りました。
日本橋を出てから12日目でした。
長野県内の宿場は25か所、歩いた距離は約180kmでした。
(日本橋から、約320km)
次回に続きます。
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本日もご訪問ありがとうございました。
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中山道歩き26の3(2017/5/8) 6月3日(土) [中山道を行く]
円覚寺は観光バスも2台止まっていて、中学生の団体が来て賑やかでした。
明月院通りは6月に入ったので、警備の人が二人ほど立っていました。
菖蒲庭の公開がこの日から始まってきれいな菖蒲の花を見てきました。
東慶寺では、イワガラミの公開をしていました。
イワタバコは少し早いようでした。
後日アップします。
*************
前記事では、妻籠から馬籠峠まで上り、岐阜県に入りました。
馬籠宿は以前、長野県木曽郡山口村であったけれど、中津川市と合併し岐阜県になりました。
岐阜県には17の宿場町があり、距離は約120kmです。
馬籠峠から少し歩き、右の細い道に入っていきます。
集落の中の坂道を下って行きます。
下り坂が続きます。
後ろから来た、数人のグループに追い抜かれました。
殆ど夏姿です。
私はこんな姿です。
馬籠宿まで1.6kmもうすぐです。
峠の集落を抜けたあたりに、十返舎一九の狂歌碑が目に入りました。
「渋皮の剥(む)けし女は見えねども栗のこはめしここの名物」
突然、きれいな花が現れました。
ここの横に蕎麦屋さんがあり、ちょうどお昼でしたので昼食休憩にしました。
(グーグルのストリートビューより拝借)
昼食休憩の後、12:40頃出発しました。
田んぼには水が入っていました。
馬籠宿の手前に展望が良い所がありました。
休憩所もあります。
ここからは恵那山(標高2191m)の眺めが綺麗でした。
ここを過ぎると馬籠宿に入ります。
ゴールデンウィークが終わった翌日ですので、人は多くありません。
馬籠宿は明治時代と大正時代の火事ですべて焼失し、現在の建物は復元されたものです。
(Wikipediaより)
小ぎれいな店が多く、妻籠宿と対照的な気がします。
かなり急な坂に町並みは続いています。
道の両側は土産物屋さん等が多いですが、史料館なども多いです。
脇本陣史料館です。
本陣跡の横にある土産物屋さん、こんなに店の前が広いと旧宿場町の雰囲気が出ませんね。
本陣跡は藤村記念館になっていました。
宿場町は続いています。
ここに泊まったのでしょうか、大きな荷物を持って観光です。
坂道なので遠景も見ながら下りて行きます。
桝形の横には水車が回っていました。
ここを過ぎると宿場町のはずれになります。
ここを直進すると急に長閑な田園地帯になりました。
恵那山も見ることが出来ます。
前日、出会った人が、「中津川まで道の色が違うので迷うことはない」と言ってました。
馬籠峠を越えてからもこの舗装だったような気がします。
この舗装は中津川を越えて恵那市まで中山道だけこの舗装でした。
長閑な風景を見ながら進んでいきます。
所々に小さな集落があります。
新茶屋というところに着きました。
この建物は民宿です。
ここに泊まるのは街道歩きの人しか泊らないと思います。
(この後すれ違った人はこの日ここに泊まると言ってました)
ここは、木曽と美濃の境です。
「是より北 木曽路」の石碑が立っていました。
この先は下ったり上ったりの道になります。
次回に続きます。
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本日もご訪問ありがとうございました。
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中山道歩き26の4(2017/5/8) 6月5日(月) [中山道を行く]
私も河口湖の方へ行きましたが、あちこちで渋滞していました。
+++++++++ 前記事の続きです ++++++++
木曽路も終わり、いよいよ美濃路に入ります。
前記事の最後の写真ですが、この字は島崎藤村が書いたものです。
すぐ近くに一里塚跡がありました。
江戸から83番目の一里塚です。
ここから、石畳の道になります。
ここの石畳は840mほど続き、その内の3か所が昔のままの石畳です。
写真は撮っていませんが、非常に歩きにくい部分がありました。
(おそらくそこが昔の石畳だと思われます)
途中にお茶屋がありました。
山のうさぎ小屋とあるので昔からの物ではなさそうです。
更に石畳の道を下ります。
石畳の道は足に堪えます。(特に下り坂)
約1km近くの石畳を下りると、医王寺というお寺がありました。
本尊は薬師如来で、山中薬師とも呼ばれています。
しばらく急な下り坂が続きます。
下り坂の途中から見たと思われる歌川広重の版画です。
下り坂が終わり、川を渡ります。
落合宿と反対側の景色です。
ここから上り坂になります。
途中でみた石仏、ほとんど見捨てられたような感じです。
中央高速の赤い橋が見えます。
しばらく進むと、落合宿の常夜燈に着きました。
落合宿には4基の常夜燈があったそうですがこれだけが往時の場所にあるそうです。
落合宿の町並みですが、昔の宿場町を想起させるものではありません。
右側に大きな家が見えています。
落合宿の本陣跡です。
門の扉は昔の物だそうです。
さらに進んでいくと桝形の角に道路に被さる様に松の木が張り出していました。
「門冠の松」というそうです。
角を曲がって進んでいきます。
国道の上を渡ります。
道路を見れば間違っていないかわかります。
この先でこんなところに出ました。
路面は普通の舗装道路です。
しかし、左に曲がるところに案内があります。
今度は国道の下をくぐります。
くぐった後にものすごい急な坂が待っていました。
スキーのジャンプ台を思わせるような坂を上っていくので、上るだけで精一杯です。
(ということで写真はありません)
上りきったところに、与坂の立場跡がありました。
昔はここに越前屋という茶屋があり、賑わったと言われます。
そこを過ぎると、今度は逆に急な下り坂になります。
この下り坂も上って来た時と同じような坂でした。
下り坂が終わったところに、子野の一里塚跡がありました。
下り坂はまだ続いて行きました。
小さな広場があり、鯉のぼりがたくさん泳いでいます。
この日は5月8日です。
しばらく行くと大きな枝垂れ桜が見えます。
これが咲いていたら見事でしょうね。
ここには地蔵堂が立っていたそうですが今はありません。
多くの石仏が立っていました。
その後国道を地下道で渡り、上金という地区に来ました。
ここにも白木改番所があったようです。
木曽の木材は厳しくチェックされていたようです。
中津川に近づきました。
バイパスが出来る前の国道(?)の上を通ります。
高札場が復元されています。
中津川宿の始まりです。
しばらく行くと新町と言う交差点に来ました。
この先が宿場の中心地ですが、この日は右に曲がって駅に向かいます。
駅に着いた時に特急が来ましたが、間に合いませんでした。
17:35の電車で名古屋へ行き、
名古屋から新幹線で新横浜に着いたのは20時半頃でした。
5月7日、8日の中山道の記事は今回で終了します。
・
今までのまとめはこの表のとおりです。
今回は緑の部分です。
5月26日と27日に歩いていますが、後日記事アップします。
(黄色の部分です)
次回は6月1日の北鎌倉周辺です。
本日もご訪問ありがとうございました。
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中山道歩き27の1(2017/5/26) 6月13日(火) [中山道を行く]
9時過ぎると気温も上がり、時には晴れ間が出ます。
今日の最高気温は21度だとか、季節が逆戻りです。
・
(青の部分)
今回は中津川からスタートです。
<今日現在では太田宿まで歩いています>
・
5月26日の朝6時過ぎに家を出て大船から小田原に向かいました。
小田原8:08発のひかり503号に乗ります。
この列車は神奈川西部のビジネスマンがよく利用するので結構混みます。
名古屋までノンストップで9:19着です。
9:24発の中津川行きに乗り10:39に中津川に着きました。
歩く準備をしてから早目の昼食を駅そばで済ましました。
この日は曇り時々雨、午後には雨が上がる予報でした。
駅前から中山道の道まで進みます。
旧街道の交差点まで来ました。
旧街道に入ったところに「やす」の看板を掛けた古い店がありました。
ここは元禄年間、江戸から下ってきた武士が「酢」を売る店を開業したのが始まりです。
今は中津川名物の「栗きんとん」で有名なお菓子屋さんです。
歩き旅ですので、ここではお土産は買いません。
ここは商人町だったところで、今でも商店街です。
こんな彫刻があったので、
takenokoとしては撮りたくなります。
ここは単なる休憩所でした。
四ツ目川橋を渡ります。
ここまでは商人町でここを過ぎると宿場町になります。
渡ったところに昔ながらの駄菓子屋さんがありました。
脇本陣跡に中仙道歴史資料館がありました。
中津川宿は江戸から49番目の宿場町です。
本陣・1、脇本陣・1、旅籠29の宿場町でした。
向かいには本陣跡があったようですが、今は駐車場です。
資料館の隣には大きな屋敷があります。
中津川宿庄屋肥田家の屋敷です。
明治時代に曽我家の手に渡り受け継がれているといわれています。
(案内板説明より)
元は道路の中心に用水路があったそうですが今は側溝です。
古い街並みが続きますが、反対側は新しい家もあります。
この正面が突き当りで、桝形と言われるところです。
こんなものあったりして見ながら歩くのも楽しいです。
桝形を曲がります。
このお店もお菓子屋さんです。
元治元年というのは1864年です。
再び突き当たります。
酒屋さんです。
立派な卯建(うだつ)ですね。
重いので買って帰るわけにはいきません。
古い町並みは無くなり、中津川橋で宿場町は終わります。
晴れていたら恵那山が見えるでしょうがこの天気ではダメです。
(正面の山が恵那山かどうかわかりません)
こんな看板が?
また庄屋(しょうや)さん?
床屋(とこや)さんでした。
しばらく行くと、突き当りになり、石仏などが並んでいます。
ここから少し高台に上ります。
歌川広重の描いた中津川宿です。
中津川橋の向こうに宿場が見える絵です。
中津川を出て大井宿に向かいます。
次に続きます。
本日もご訪問ありがとうございました。
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中山道歩き27の2(2017/5/26) 6月15日(木) [中山道を行く]
昨日の朝は室内で21度でした。
外は20度以下だったかもしれません。
今年は変な天気が多いですね。
・
前回の続きです。
この日は小雨が降ったりやんだりの天気でした。
雨が降り出すと、傘を使うので、カメラは小さなコンデジに替えます。
買ったばかりなので設定を確認するのを忘れて、画質が変ります。
・
中津川の宿場町を出たら普通の家並みになります。
駒場村の高札場跡という表示がありますが、この柱だけです。
こんな建物があり、何かの資料館かと思いましたが、建具屋の看板が立っていました。
しばらく進むと案内板があります。
ここは「こでの木坂」という坂で、今はゆるかな坂ですが、昔は急な坂だったようです。
左の細い道を進みます。
坂を上がると、この地の俳人設楽牧童の句碑が立っていました。
「水車まで 簑をかむり行く 春の雨」と刻まれています。
横には石仏、石塔が並んでいました。
「双頭一身道祖神」の説明がありました。
珍しい物だそうです。
こんな姿をしています。
この近くに一里塚跡がありました。
江戸から85番目の一里塚です。
こんな道が続きます。
歩きだして約2時間、休憩しようと思った所が立場跡です。
そこにはコンビニがありました。
少し休憩して進みます。
この辺りは旧街道はほとんど残っていません。
案内図の通りに進みます。
中央本線の線路の横を通ります。
特急列車が通り、単線の様に見えますが、
かなり離れた所に反対行きの線路があります。
旧街道に戻りました。
空は曇り空です。
この辺りは坂本地区という集落です。
六地蔵石憧がありました。
この部分にお地蔵様が彫ってあります。
道路沿いの家にきれいな芍薬の花(?)が咲いていました。
中山道とは関係ありませんがあまりにもきれいだったので、
食堂がありました。
こんなところで商売になるのか不明ですが、営業中でした。
田んぼは田植えが終わりこれからは大きく伸びていくでしょう。
坂本地区の八幡様でしょう。
道路が二手に分かれました。
左の方へ行きます。
ここはまだ中津川市です。
馬籠峠から続いている、中山道の舗装です。
旧街道に限らず全国あちこちに弘法大師をお祀りしているところはありますがここにも。
奥に見えるのが弘法堂です。
相変わらず小雨が降ったり止んだりの道中です。
緩い上り坂を上ります。
その後には急な下り坂があったりします。
このような石仏があちこちに見られます。
86番目の「三ツ家の一里塚」跡まで来ました。
次回に続きます。
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本日もご訪問ありがとうございました。
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中山道歩き27の3(2017/5/26) 6月17日(土) [中山道を行く]
せっかく咲いた紫陽花の花も瑞々しさが足りません。
肌寒い日が続きましたが、昨日は晴れ間も出て暑い日になりました。
・
前記事の最後、三ツ家の一里塚の横には栗畑が広がっています。
この時にはまだ花は咲いていませんでしたのであの独特な臭いはしませんでした。
空は少し明るくなり始め、雨も上がるかなと思っていました。
それ程車の多い交差点ではないですが、中山道は地下道になります。
地下道を出ようとすると、また雨が降り出しました。
傘を出したりしていると止みました。
歩くペースが乱れます。
案内図には三面道祖神という説明となっていましたが、道祖神のイメージとは違いますね。
ゆるかな峠を上ると、頂上に坂本立場跡の案内があります。
ここは千旦林村と次の茄子川村の境界だったところです。
下って行きます。
いくつかの石碑が並んでいます。
緩やかなアップダウンが続きます。
ここにも尾州白木改番所があったようです。
まだ宿場町に入ってませんが、大きな屋敷がありました。
篠原家のお屋敷で、この地域の庄屋を務めていました。
本陣、脇本陣に準じ休憩場所としても利用されました。
この建物の横から遠州秋葉道へとつながる道に分かれます。
それを示すため大燈篭が立っています。
空は黒い雲に覆われていますが、雨は降っていません。
何度も坂道になります。
このくらいの坂道は苦になりません。
しばらく進むと、中津川市と恵那市の境に来ました。
同じような道が続きます。
時折車が来る程度でのんびり歩けます。
やがて緩い上り坂の正面に急な坂が現れました。
ここは甚平坂と言い、今は公園になっています。
ここからの景色はいいですが、天気が悪く残念です。
ここは歌川広重の版画の場所と言われています。
この絵です。
この公園で一休みをして先に進むと下り坂になり、恵那市の市街地が見えてきました。
急に現実に戻されたような景色になります。
中央高速道です。
坂道を下って行くと石碑、石塔が並んでいます。
明知鉄道の線路の下をくぐります。
女城主の岩村はこの鉄道の沿線です。
民家の玄関にはこんな暖簾がかかっています。
いよいよ大井宿に入ります。
そして、宿場入り口の高札場です。
この後、大井宿に入っていきます。
続きは次回に、
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本日もご訪問ありがとうございました。
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中山道歩き27の4(2017/5/26) 6月19日(月) [中山道を行く]
週間天気予報では今日午後から明日は晴れあさってから曇りとなっています。
いよいよ梅雨らしい天気になるのでしょうか。
・
前記事の最後、高札場跡を過ぎると、しばらく進んだ後に角を曲がると長い塀が続いています。
大井宿の本陣跡です。
昭和22年に建物が火事で焼けてしまって、門、塀庭屋敷内の樹木などは残りました。
ここで角を曲がり、メインの通りになります。
大井宿は6つの桝形があったと言われ、現在の地図でいうとこうなっていた様です。
今は他の道が沢山ありますが、赤く線を引いた道しかなかったと思います。
このような通りです。
せっかく古い町並みを残しているのに、せめて電柱電線はなくして欲しいものです。
大井村庄屋古山家の屋敷です。(今は資料館になっています。)
酒造業をしていたそうです。
昔のイメージと現代が混ざり合っていますね。
中山道を歩いていると各所にある明治天皇行在所。
行在所の読み方は・・・? 「あんざいしょ」と読みます。
天皇の行幸の時の仮宮の事です。
ざっくばらんに言えば泊ったところです。
離れて写すとこんな建物です。
その先には今では廃屋になった建物もありました。
しばらく行くと角に「いち川」という旅館がありました。
ここは今でも営業しており泊ることが出来ます。
角にあるため「角屋」でしたが、明治元年に「いち川」となりました。
元は正面の道路はなく、その時にあった旅館の建物は道路建設のために壊されました。
(昭和10年)
建物の保存のためでしょうか、これは非常出口(?)でしょうね。
角を曲がった隣は庄屋古屋家の建物です。
門の扉も立派な物でした。
その後、2回角を曲がると川にかかる橋に出ました。
橋には中山道69次の版画がついています。
橋を渡ると、商人町だったでしょうか、商店が多くなります。
この交差点を右に曲がると恵那駅です。
右を見ると駅はすぐそばでした。
恵那駅は昭和38年まで大井駅という駅名でした。
駅の方には行かず街道を進みます。
この辺りは銀座という町名でした。
ここもお菓子屋さんで栗きんとんが名物です。
(創業は大正時代です)
町のはずれに近づきました。
翌日は、中山道の難所、十三峠を越えなければいけません。
この時16時半頃です。
少し早いですが、ルートイン恵那に向かいました。
5月26日の中津川~恵那の街道歩きでした。
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最近の写真より
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毎年ベランダで作っているミニトマト、今年も作っています。
今は花が沢山咲いています。
小さな実も出来てきました。
・
我が家から1kmぐらいのところにある六地蔵。
レインコートを着て傘を持っています。
1体だけレインコートがありませんが無くなったのでしょうか??
「笠地蔵」でなく「傘地蔵」ですね。
一応、雨の日に撮りました。
一昨日の夕方はこんな夕焼けが見られました。
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次回は最近の散歩写真です。
本日もご訪問ありがとうございました。
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AF-S Mirco NIKKOR 60mmf2.8G ED(ミニトマト)
中山道歩き28の1(2017/5/27) 6月23日(金) [中山道を行く]
一日中家の中にいました。
先日記事に掲載したミニトマト、枝が折れ、なりかけの実は落ちて今年の収穫は??
例年の半分ぐらいかもしれません。
大雨の事は天気予報で言ってましたが、あれほどの強風になるとは思いませんでした。
中山道歩きの記事再開です。
6月19日の記事の通り、この日はルートイン恵那に泊まりました。
もう一か月近く前の5月27日、中山道歩き28日目です。
前日、中津川宿から大井宿(恵那)まで歩きましたが、小雨が降ったり止んだりの天気でした。
5月27日は快晴になりました。
この日は長い道のりなので、朝7:00に出発しました。
この日の予定は下図の通りです。(約30kmあります)
御嶽宿まで歩き、その日に家に帰るつもりでした。
途中、バス路線は無く、上図の通り中山道は鉄道(中央本線)から離れていきます。
ホテルから前日の最終地点まで戻りスタートです。
大井宿のはずれです。
この日は坂が多そうなので、コンデジだけで歩くことにしました。
(買ったばかりで設定を確かめずに写してしまったので画像品質は落ちます)
街から出るとしばらくこんな道を進みます。
この道を離れ、十三峠の入り口に向かいました。
十三峠は中山道の難所の一つと言われています。
大井宿と大湫宿の間は13の峠におまけが7つと言われたアップダウンの繰り返しが続きます。
最初は石畳から始まります。
なんと!!!
蛇が迎えてくれました。
後で調べてみたら、「ヤマカガシ」ではないかと・・
マムシよりは強い毒ですが、噛みつこうとするような蛇ではないとの事。
・
とりあえず写真を撮って先に進みます。
大湫宿までの間は店は一軒もありません。
飲み物の自販機もあるかどうか?
事前に分かっていたので水分、食べ物は大目に持っているの荷物が重いです。
西行塚の近くの休憩所で一休み。
ここからも急な石畳が続きます。
石畳は無くなり、こんな道に変ります。
平坦に見えますが上り坂です。
ずっと林の中を進みますがこういう開けた所に来るとホッとします。
槙ヶ根一里塚に来ました。
西行はこの地で亡くなったという説があり、長国寺というお寺の長国寺縁起に記されているそうです。
この時は桜は咲いていませんでしたが、桜百選の園という石碑が立っています。
こんな道が続きますがすれ違う人は誰もいません。
車の通る道はあまり好きでありませんが、こんな時にはホッとします。
しばらくこの道を進みます。
お茶屋跡という柱が立っていますが、休憩所はありません。
大きなダンプカーが出入りするような所で草道に入ります。
また茶屋の跡がありました。
山道に入ります。
この道は東海自然歩道と同じ道です。
こんな案内板が立っていました。
ここから伊勢神宮が見えるはずはないと思いながら読むとそうではありませんでした。
右西京大坂 左伊勢名古屋と彫ってあります。
写真はありませんが、左には細い下り坂の道がありました。
しばらく歩いているとチェーンソーの音が聞こえてきました。
木の伐採をしていました。
しばらく進むと「姫御殿跡」と彫られた石柱が立っていました。
十二代将軍家慶の元へ下向した楽宮、皇女和宮の通行の際に作られた仮御殿があったところです。
ここの辺りが頂上かな?
と言ってもこの先アップダウンは続きます。
こんな所に来ました。
説明版の内容
二人の武家の召使が昼寝をしていたら、一人が首を刎ねられていた。
辺りには誰もいない。
「黙っているのは何ごとか」とお地蔵さんの首を切り落とし。
という話が伝わっている。
左のお地蔵さんには首から上がありません。
ここから急な下り坂を下りて行きます。
あまりにも急な坂で裾が乱れたところで「乱れ坂」と呼ばれているところです。
坂を下りると視界が開けました。
これで終わりではありません。
小さな集落に入り、四ツ谷集会所に着きました。
十三峠はまだ途中です。
・
中山道の記録は記事アップが滞っていますが、本日また出かけています。
今年前半の最後になります。
明日帰宅します。
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中山道歩き28の2(2017/5/27) 6月25日(日) [中山道を行く]
行きはこんな切符です。
帰りはこの切符です。
太田宿から加納宿(岐阜)まで歩きました。
二日間共、良い天気で腕は真っ黒になりました。
京都まで約120kmです。
今日から梅雨らしい天気となるようです。
梅雨明けすると暑い夏が来るのでは中山道歩きは休止します。
(道中記はしばらく続きます)
・
秋にゴールを目指す予定です。
・
前記事の続きです。
・
前回の記事はここで終了しました。
これから小さな集落が続きます。
四ッ谷集会所です。
学童横断注意の看板がありますが、子供どころか大人の姿も見えません。
この先に初めて自動販売機がありました。
高札場があったということは、昔も集落があったと思われます。
ここは田んぼもあり、民家もあり里山の雰囲気です。
平六坂という坂があり、茶店もあったようです。
こんなのどかな所も通ります。
江戸から89番目の一里塚、紅坂一里塚です。
ここの茶屋の名前はユニークです。
道はきちんと整備されていますが、一人で歩いていると寂しくなります。
空き家ではなさそうですが、生活の匂いがしません。
林がないところに出ると、こんな山が見えました。
天気もよく、街道歩きも気持ちよく感じます。
藤村高札場跡(復元された物)
30代くらいの女性に追い抜かれました。
とても足が速く、あっという間に離れていきます。
深萱立場の説明です。
ここらあたりは、いくつかの茶屋があったようです。
こんな道になりますが、先ほどの女性、一人で寂しくないでしょうかね。
先ほどは「うばが出茶屋」でしたが、今度は「ばばが茶屋」です。
また寂しい道になりました。
段差があったのでしょうか、ところどころに石段のような道になっていました。
十三峠では、坂にには名前がついています。
名前が付いている坂は20ぐらいあります。
11時半頃です。
ここで昼食休憩しようと思いましたが、「熊目撃情報あり」の表示がありましたのでやめました。
先に進みます。
この日初めてのすれ違いです。
数人の外人で、日本人のガイドが一人ついていました。
作り直したのでしょう。
大久後の観音堂です。
しばらく行くと、これも新しいトイレ。
林の中を進んでいきます。
所々に石畳が出てきます。
これが立っていました。
一里塚を見て樫の木坂を下り俗に炭焼きの吾郎坂を下れば炭焼きの立場あり・・・
今日の記事で二つ目の一里塚ですが、権現山の一里塚です。
この間2時間もかかっています。
ここは開発されていない山の中ですので、一里塚の形がそのまま残っています。
しばらく進むと足元に、
次回に続きます。
・
・
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中山道歩き28の3(2017/5/27) 6月27日(火) [中山道を行く]
今週は同じような天気が続くようです。
(但し週末は気温が上がるようです)
・
一昨日朝の木曽地方の地震はかなり強かったようですね。
NHKのニュースに出ていたAコープきそ、日産自動車のディーラーは今年の春に通ったところです。
今年の4月19日に通りました。
日産のディーラーの裏の道が旧中山道です。
Aコープは飲み物などを買ったところです。
山の中の中山道を歩いていると、ゴルフボールが落ちていました。
なぜここにゴルフボールが落ちていたか・・・・???
理由はこれです。
ゴルフ場のコースの間を通っている細い線が中山道です。
ゴルフ場の名前は「中仙道ゴルフ倶楽部」、そのものずばりの名前です。
この先がカート道です。
通る時に右を見ました。
左側です。
この日は土曜日でしたのでプレーする人がいました。
プレーする人達も、この道が400年も前からある中山道とは思っていないでしょう。
右手のゴルフコースの境には馬頭観音があり、この近くにもゴルフボールが落ちていました。
毎日、OBボールの危険にさらされていますが、石だから大丈夫でしょう。
しばらくゴルフコースの横を進みますが、ここで最後でしょう。
ここから下り坂になり、途中こんなところに来ました。
道中安全を祈って天保十一年(1840年)に建立された観音石窟で三十三所観音です。
昔はこの檻のようなものは無かったでしょう。
三十三体の観音は、大湫宿内の馬持ち連中と助郷に関わる近隣の村々からの寄進とのことです。
さらに進むと、左側になにか・・
昔、ここに清水が出ており、感謝の気持ちでお地蔵様が建てられた。
清水で尻を冷やしているように見えたので、尻冷やし地蔵と呼ばれている。
案内板にはそう書いてありますが、わかったような解らないような・・・
何個目の坂かは知りませんが、しゃれこ坂という坂を下ります。
しばらく下り坂を進むと、行く手に人家が見えてきました。
ここで長かった十三峠も終わりです。
ここから大湫宿に入ります。
大きな、なんじゃもんじゃの木が迎えてくれました。
家並みが続いています。
宿場町に入りました。
観光案内所になっている旧森川家(通称丸森)の住宅に立ち寄りました。
この時、途中で追い越された女性(前記事に掲載)が出て行くところでした。
13時頃になりました。
これから先へ行くかどうか迷います。
案内の人に聞くと、ここは交通機関はないとの事。
JR釜戸駅までは約4km(徒歩1時間)(下図の青い線)
これから先16kmもありバスなどの交通機関はない。
すでに山道を15kmぐらい歩いている。
御嵩駅に着くのは19時頃になる。
家へ着くのは夜遅くなると判断し、釜戸駅まで歩くことにしました。
< 6月7日にこの続きを歩きましたが、この判断は正解でした >
少し休憩して出発します。
大湫宿は47番目の宿場町で本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠30軒の宿場でした。
何回も火事があったそうです。
脇本陣跡はこの案内板だけです。
残っている建物はこの奥にあり、見えません。
静かなところです。
この宿場のシンボルである高さが50mぐらいの大杉です。
宿場の出口に高札場がありました。
ここで、中山道とは別れ、釜戸駅に向かって歩きました。
殆ど下り坂で、約1時間で駅に着きました。
この時、14時半、14:41の電車で名古屋まで行き、新幹線で帰りました。
5月26日、27日の道中記でした。
5月26日(中津川宿~大井宿)の歩数・・21,329歩
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次回は6月3日に行ったすずらんの里の記事になります。
中山道歩き29の1(2017/6/9) 7月1日(土) [中山道を行く]
今日は富士山の山開き、江の島では海開きだそうです。
しかし、今日の天気予報は曇りです。
昨夕、富士山の姿が見えていました。
明日からは気温が上がるようですね。
熱中症に注意です。
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5月26日、27日に中山道を歩きました。
(道中記はすでに記事アップしています)
6月9日(金)、10日(土)に続きを歩くために出かけました。
今年になってから4回目です。
前回の二日目(5月27日)は、当初下図の赤い線を歩き、御嵩から電車で帰るつもりでした。
遅くなりそうだったため、大湫宿から青い線の道を歩いて、中央本線の釜戸駅から電車で帰りました。
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今回は釜戸駅からスタートです。
いつものように大船~小田原~名古屋まで行きます。
名古屋で中央本線に乗り換えて釜戸駅に着いたのは10:17でした。
上図の青い道は釜戸から歩くと急な上り坂ですので、今回はタクシーを利用しました。
前回1時間かけて歩いたところはタクシーでわずか10分余りでした。
タクシー代は3000円位はかかるかと思っていましたが、1500円でした。
前回の最終地点大湫宿の高札場の前です。
(この時10:38)
そばにお婆さんが日向ぼっこをしていました。
「どこから来たの?」、「今日は何処まで」などの会話をしました。
生まれてからずっとこの地に住んで、今93歳と言ってました。
とても93歳には見えない方でした。
出発です。
天気も良いし足も進みます。
道のそばに馬頭観音が石の上に立っています。
(よく見ると二体立ってます)
小坂の馬頭様と表示されています。
しばらく進むと右手に休憩所がありますが歩き出したところで休憩はしません。
横に大きな石碑があり、大洞小坂と彫ってあります。
ここの奥に馬頭観音があるそうですが行きませんでした。
広重がここから東方を描いたと彫ってあります。
この絵です。
しばらく行くと、大きな石がありました。
この先にもう一つあるはずです。
最初の岩「母衣(ほろ)岩」です。
(母衣とは鎧や甲冑の背に着ける幅広の布で槍などの被害を防ぐ武具の一つです)
関係ありませんが、私が通った小学校は母衣(ほろ)小学校と言いました。
次の岩との間に立っているのは案内の石碑です。
二ツ岩と呼ばれています。
次が烏帽子岩です。
先に進みます。
左側に大湫病院を見ながら進みます。
後ろから来た人に追い越されました。
足が速く、すぐ見えなくなりました。
ここは琵琶峠の入り口です。
大田南畝(おおたなんぽ)の「壬戌紀行」(じんじゅつきこう)が彫ってあります。
「これより坂を下ること十町ばかり
山には大岩幾つとなく 長櫃の如きもの 俵の如きもの数を知らず」
大田南畝は1800年頃の勘定所勤務として幕府の官僚でした。
狂歌師でもあり文人としても高い名声を持っていました。
享和元年(1801)2月から一年間、支配勘定として大阪銅座に出張勤務していた。
「壬戌紀行」はその任を終えて、江戸へ帰る旅路の記録です。
私と歩いている方向が反対ですので、ここから上り坂になります。
石畳の坂を上っていきます。
恵那からの十三峠に続きこの辺りは中仙道の中でも最も昔の状態に近いところです。
この石畳も平成9年から12年まで昔の形に戻す整備が行われました。
でも石畳は歩きにくいです。
注意しないと躓いて転びます。
やっと上りは終わり、下り坂に差し掛かりました。
この辺りに一里塚がありますが、写真を撮るのを忘れました。
かなり下りてきました。
林道のような道に出ました。
これで終わりかと思いましたが、ここだけ石畳が続いています。
この先も石畳が続いていました。
約700m続いた石畳も終わりました。
出てきたところは道路とは思えないような所でした。
無事に琵琶峠も通過しました。
この先はこのような道に出ました。
田植えが終わった田んぼが綺麗です。
緩い坂道を上っていきます。
突然、右手に犬霊塔 ??
犬の鳴き声も聞こえてきました。
少し進むとログハウスのような建物がありました。
犬の訓練所でした。
でも株式会社で民間の施設のようです。
ラブラドールを中心に訓練、繁殖をしているようです。
十三峠には茶屋跡の柱が沢山ありましたがここでは初めてです。
大湫宿から次の細久手宿までは短いのでここだけだったのかもしれません。
このような道が続きます。
人も車も殆ど来ません。
この辺りはバス路線はないと聞いていましたが、停留所がありました。
一日2便でなく、行き帰り各1便です。
バス停の近くにお地蔵さんが立っていました。
このお地蔵さんは誰かが世話をしているようです。
なぜか紐のような物で囲ってありました。
次回に続きます。
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1 NIKKOR 10-30mm f3.5-5.6
中山道歩き29の2(2017/6/9) 7月3日(月) [中山道を行く]
昨日は窓を開けても湿度が高くなるだけで、エアコンを使いました。
横浜の今日の最高気温は33度だそうです。
しかも湿度は70%以上、要注意ですね。
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前記事の続きです。
紐で囲ったお地蔵さんを過ぎます。
(前記事最後の写真)
後日調べたらここから1kmぐらい離れた所に北野神社という神社がありました。
道なりに進みます。
動物の糞の臭いがしてくるので養豚場でもあるかと思って思っていたら養鶏場でした。
この辺りには何体の馬頭観音があるのかわからないほど次々に出てきます。
木の葉に隠れてよく見えません。
平坦な道に出て進むと「弁財天の池」という池に来ました。
案内板によれば、
「左の方に小さき池あり、杜若(かきつばた)生いしげれり、池の中に弁財天の宮あり」
大田南畝、「壬戌紀行」(じんじゅつきこう)より
かきつばたやジュンサイの自生地になっています。
これが弁財天です。
池の表面は植物で覆われています。
白い花が咲いています。
後日調べてみると、ジュンサイの花は紫褐色という事ですのでジュンサイではないかもしれません。
足を勧めます。
空が広がり、気持ちの良いところを通りました。
所々に新しく出来た分かれ道があるので確かめながら歩きます。
この辺りの中山道は一里塚も昔のままに残っています。
奥之田一里塚です。
道の両側に一対で残っています。
こういう光景を見ると、1600年代から存在する道を歩いている実感がわきます。
しばらく進んでいくと自動車の甲高いエンジン音聞こええてきました。
近くに小さなサーキット場があるようでした。
通りすぎ、離れていくと静かになります。
道は緩やかな下り坂になりました。
また馬頭観音です。
三国見晴し台との表示もありますが、何処かわからないので行きませんでした。
ここらあたりで描いたと思われる広重の版画です。
舗装道路ではありますが、静かな山道が続きます。
右手の木の間から木曽御嶽山の姿が見られました。
木曽路の旅の中でも御嶽山遙拝所がいくつかありましたが、御嶽山の姿が見えたのは初めてです。
(遠くの雲と一緒に見える山です)
この先で急に視界は開け、何かの工場があり集落が見えてきます。
自販機があったので飲み物の補充とおにぎりを食べました。
ここから集落の中に入っていきます。
細久手宿の説明板がありましたが手書きで、字がかすれて読めませんでした。
この奥に庚申堂がありますが行きませんでした。
この横に高札場跡の案内がありましたので、ここから宿場町でしょう。
宿場町を進んでいきます。
案内板のある休憩所がありました。
細久手宿は大湫宿と御嵩宿の間が長く、1606年に仮宿として設けられました。
(1610年に正式な宿場となりました)
駐車場の横に大きなタイル画があります。
皇女和宮の行列を描いたものだと思われます。
大きな公民館もあります。
向かいには大井宿から御嵩宿の間にある、ただ一つの旅館大黒屋旅館です。
現在も営業しています。
泊ることのできる部屋は6部屋で街道歩きの人にとっては人気が高い旅館です。
気候の良い時はいつも満室です。
細久手宿は尾張藩が作った宿場で、大黒屋は尾張藩指定の旅籠でした。
実際の本陣、脇本陣もそれぞれ1軒ずつありましたが、今はこの石柱だけです。
足を進めます。
この建物は1854年に作られた商家「日吉屋」です。
宿場も出口に近づいたところの家の塀に、昔の宿場図が掛けてありました。
細かく書いてあります。
宿場町を出ると、村社「日吉愛宕神社」という神社がありました。
先に行くと道路端に観音様があります。
細久手の穴観音です。
99,000日って約270年ですが、言い伝えはオーバーですね。
広い道ですが、ほとんど車は来なく、静かな道が続きます。
津島神社という小さな祠がありました。
道路は狭くなり、「旧中山道くじ場跡」と彫った石柱がありました。
駕籠かきや人足が順番を決めるためくじ引きをしたところとか・・・
ツツジの花も咲き、静かな道が続きます。
やがて広い道路と合流し、平岩辻という交差点に下って行きます。
この先には上り坂、山道が待っています。
次回に続きます。
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本日もご訪問ありがとうございました。
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中山道歩き29の3(2017/6/9) 7月5日(水) [中山道を行く]
夜9時ごろ、雨が沢山降っていましたが、その後静かな夜になりました。
現在4時過ぎで、風もなく道路も乾いています。
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前記事の続きです。
細久手宿を通り過ぎ、平岩辻という交差点に近づきました。
前記事最後の写真です。
「細久手宿を過ぎると小さな食品店があるよ」とタクシーの運転手さんが言ってました。
進む方向は直進ですが上り坂になりそうです。
立ち寄るかどうか迷います。
リュックの中には飲み物、食べ物がありましたので立ち寄らずに進みます。
急な坂を上ります。
久しぶりにカーブミラーの自撮りです。
急な上り坂はすぐ終わり、舗装道路から脇道に入ります。
道路は整備されており歩きやすいです。
秋葉坂三尊石窟という案内板がありました。
道路から背丈位上の方に石窟の中の石仏が並んでいます。
林道のような道が続きます。
誰もいないので心細くなります。
この案内があるとホッとします。
救急の場合のこの地点の説明まであります。
こういう案内もあるので道に迷うことはありませんが熊はお断りです。
この日は朝、お婆さんと立ち話をしただけで誰とも会っていません。
右側に土を積んだようなところがありました。
先の方に何か案内が見えます。
鴨ノ巣一里塚です。
この一里塚は道の両側にあるのではなく、地形の関係で少しずれています。
上の写真は手前にある一里塚です。
そして、ここは瑞浪市と御嵩町の境でこれから先、御嵩町に入ります。
いきなりガレ場のような道になりました。
とても歩きにくいです。
この道が続くかと思いましたが、小石に変りました。
竹藪の横を通って道は下って行きます。
14時半頃です。
やっと人家が見えてきました。
草原みたいな道を下りて行きます。
舗装道路になりました。
広い道を横切り、直進します。
交通量は少ないので安心して渡れます。
ここは津橋という集落です。
右の建物は廃屋で倒れ掛かっています。
また細い道に入っていきます。
緩やかな上りです。
静かな道です。
竹藪の中を通って行く感じです。
突然、正面から6~7人の外人の一行が来てすれ違いました。
この時間ここを歩いているとは、大黒屋に泊まる予定でしょう。
ここまで街道歩きをしている最中に見かけた人は
大湫のお婆さん、大湫で追い抜かれた人、このグループしかいません。
竹の葉に敷き詰められた道を下って行きます。
御殿場という案内がありました。
皇女和宮の行列は4,5千人だったようです。
ここに休憩所として仮の御殿が作られたそうです。
静岡県にも御殿場という街があります。
元は御厨と言っていたそうです。
徳川家康の遺体を久能山から日光に移すときに仮御殿が作られて御殿場と言うようになったそうです。
(Wikipediaより)
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そういうわけか、「中山道 御殿場」と表されています。
ここに御殿場という場所があったっとはびっくりです。
ほどなく中山道は広い道と合流します。
合流地点に 清水が沸いているところがありました。
「一呑みの清水」と言い、岐阜県の名水の一つです。
ところが、この水は飲めませんと表示してありました。(????)
この日のゴールは御嶽宿です。
まだ先があります。
次回に続きます。
本日もご訪問ありがとうございました。
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