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中山道歩き37の1(2017/11/12) 11月25日(土) [中山道を行く]

昨日は天気もよく、気温もまずまずでした。

久しぶりに北鎌倉に行ってきましたが、紅葉も進み多くの人が来ていました。

しばらく混雑するでしょうね。



中山道の記事に戻ります。

37日目になりました。

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11月12日、13日の二日間かけて行ってきました。

今回の予定は鳥居本から武佐までです。

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いつもの通り、小田原から新幹線に乗ります。

天気は良く富士山も綺麗に見えました。

この時はこんな姿でしたが、今はもっと白いでしょう。

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本題から外れますが、昨夕の富士山はこんな姿でした。

頂上付近だけ小さな雲が見え、強い風が吹いているようです。


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この日は米原まで行きます。

9:40頃、伊吹山の姿が見えると米原です。

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米原で近江鉄道に乗り換え、鳥居本駅に着いたのが10時過ぎでした。

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身支度を整えて出発です。

駅前の家は古い家ですが、その先には新しい現代風の家が建っています。

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駅から100m足らずで中山道に戻ります。


鳥居本(とりいもと)宿の脇本陣跡です。

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中山道を歩き始めます。

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このような建物はほとんど二階部分に虫籠窓(むしこまど)がついています。

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前々回の記事にもありましたがまた合羽屋さんがありました。

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昔は合羽を製造販売していたようですが、戦後は縄づくりをしていたようです。

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合羽の形の看板ですが、包紙紐荷造材料となっています。

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玄関にはこれも架かっていました。

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街道にはお地蔵さん等が入った小さな祠がよくあります。

これは檜皮葺きの屋根です。

とても珍しいです。

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こんな道を進みますが、鳥居本宿までの道と違い、車が多く思うように歩けません。
(車が切れた時に撮っています)

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また合羽屋さんがありました。

最盛期には18軒あったそうです。

合羽は、和紙に柿渋を塗って、さらにその上に油を塗った紙からできています。

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これはただの飾りでしょう。

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この建物は国有形文化財のプレートが貼ってありますが、特に説明はありませんでした。

立派な家です。

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専宗寺と言うお寺がありました。

聖徳太子開祖と言われてます。(?)

元々、佐和山(彦根駅付近)の下にあったようですが移転されました。

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このような建物が幾つも続きます。

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石の道標がありました。

彦根道の分岐です。

昔、朝鮮通信使が何度も通ったので朝鮮人街道とも呼ばれていたそうです。

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家並みが途切れ眺めの良い街道歩きになります。

ただし、先には集落が見えます。

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直ぐ傍には東海道新幹線が通っています。

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反対側には名神高速道路があります。

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秋らしい景色です。

ここで新幹線が来るといいですが。

頻繁に通りますが、待っていると来ません。

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しばらく進むと、小野と言う集落に入っていきます。

中山道以前の東山道の宿駅だったそうです。

ここには江戸時代から伝わる太鼓踊りがあり、5年前に76年ぶりに復活しました。

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進んでいくと、一軒の家からお婆さんが出てきました。

玄関の前にお地蔵さんがあり、線香を持って出てきたところでした。

これから出かけるのか、お化粧もされていました。

ちょっと立ち話、「このお地蔵さんのおかげで元気です」等・・

90歳だそうです。

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進みます。

大きな灯篭がありました。

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八幡神社です。

太鼓踊りはこの神社に奉納されるそうです。

社殿は新幹線の奥の方にあるようです。

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小さな地蔵堂がありました。

小野小町はこの地で生まれたとのことですが、全国各地に誕生の地、お墓があるので・・・?

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昔はここにお茶屋があったとか

お多賀さんというのは多賀大社の事です。

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中山道が続きます。

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次回に続きます。

明日から出かけますので、次回更新は28日の予定です。



本日もご訪問ありがとうございました。




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中山道歩き37の2(2017/11/12) 11月28日(火) [中山道を行く]

昨日まで出かけていました。

昨日は暖かい日で気持ちよく歩けました。

中山道も残り3%位になりました。

記事のアップが遅れ気味です。
(今日の記事は11月12日です)

前回記事の続きです。


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鳥居本宿を出て、紅葉の中山道を続けます。

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東海道新幹線のガード下を通ります。

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しばらく新幹線沿いに進むと集落に入り、家並みが続きます。

ある民家の軒下に彫刻のような物が見えました。

この家だけでしたので、ちょっと珍しい感じがしました。

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神社の前を通りました。

通り過ぎてから撮った写真です。

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鳥居の下に、こんな石碑が建っています。

神社の中に句碑があるそうです。

中までは入りませんでした。

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名神高速道路の彦根インターチェンジの近くまで来ました。

五百らかんの石柱が立っています。

どこかにあるかと思って周りを見ましたがありません。
(後で調べたら、ここから1kmも離れていました)

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名神高速道路の本線から料金所に向かう道路の下を通ります。

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大きな常夜灯が立っています。

多賀大社のものです。

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交差点を横切ります。

この日は日曜日混雑していました。

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交差点の先にコンビニがありました。

飲み物を補給です。

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細い道が続きます。

車が近づくと写真は撮りませんが、結構通ります。

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所々で綺麗な紅葉が見られます。

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この辺りは「地蔵」と言うようです。

特に有名な地蔵とかはありません。

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芹川と言う川を渡ります。

向こう側が琵琶湖です。

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川を渡ったところに小さな公園があり、休憩です。

綺麗な紅葉の下で昼食を食べます。

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こんな所ではゆっくり休みたいですがそうも言っておられません。

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ここの傍らに地蔵堂があり、横にはお地蔵さんが勢ぞろいです。

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休憩を終わり出発しました。

是より多賀みちと読めますがこの方向には行きません。

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石清水神社の入り口がありました。

綺麗な紅葉です。

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唯称寺と言うお寺がありました。

室町時代から続く、由緒あるお寺のようです。

立派な山門です。

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家の途切れたところからきれいな景色が見えます。

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近江鉄道の踏切を渡ります。

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しばらく行くと広い通りを横断し、渡ったところに地蔵堂が立っています。

木之本分身地蔵といい、木之本の浄信寺にある眼病の御利益のあるお地蔵様の分身と言われています。
(木之本とは湖北にある地名です)

中には木で作られたお地蔵様があるようです。

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ここにも石のお地蔵様が並んでいました。

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民家の玄関にパンフレットが置いてありました。

いよいよ高宮宿に入ったようです。

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うだつのある家が並びます。

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中に灯りが点くのかどうかわかりませんが、あちこちに付いています。

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地元の神社、高宮神社です。

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ここでは春の大祭には太鼓祭りと言う賑やかなお祭りがあるようです。

17町より太鼓や鉦が集まります。


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高宮は室町時代から有名になっていた高宮上布の集散地として有名です。

高宮上布の問屋だった建物を利用した、コミュニティスペースです。

休憩所のようですが、臨時休業の札が出ていました。

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街角にちょうちん屋さんがありました。

ガラスのショーウィンドウの中に入っているので写り込みで写真が撮れません。

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ここから多賀大社の参道があり、大きな鳥居が立っています。

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多賀大社は、ここから約3km先にあります。

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次回に続きます。

本日もご訪問ありがとうございました。



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中山道歩き37の3(2017/11/12) 11月30日(木) [中山道を行く]

昨日は暖かく天気も良くお出かけ日和でした。

こういう日に限って、病院の通院と重なります。

明日から12月、今年も残り1ヵ月になりました。

健康に注意し、元気に新年を迎えましょう。

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多賀大社の大鳥居の前を通ると高宮宿の中心部に入ります。

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(前記事最後の写真です)

中山道を歩いていると、芭蕉の句碑があちこちに見られます。

芭蕉にちなんだ場所の一つ、紙子塚です。

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説明板の拡大です。

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同じような建物ですが、脇本陣跡に建っている建物です。

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高宮宿は江戸から64番目の宿場町です。

本陣1、脇本陣2、旅籠数23の大きな宿場町だったようです。

多賀神社の門前町でもありずいぶんにぎわったそうです。

又、特産物の高宮上布の集散地として経済力豊かな宿場町だったとの事。

こちらは本陣跡で、門だけ残っています。

本陣の建坪は約百坪だったそうです。

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本陣跡の向かいに立派なお寺がありました。

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中に入って見ました。

浄土真宗の円照寺と言うお寺です。

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宿場町を進みます。

和菓子屋さんが目につきます。
(この他にもありました)

翌日も歩くので、ここで土産を買うわけにはいきません。

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宿場町の町並みは終わり、犬上川と言う川に来ました。

案内板がありました。

天保のはじめ、彦根藩はこの地の富豪達に呼びかけ、橋をかけることを命じた。
当時、川渡しや仮橋が有料であったが、この橋は渡り賃をとらなかった。
そのため「無賃橋(むちんばし)」とよばれた。

橋のたもとに小さな地蔵堂と石柱が立っていました。

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橋を渡ります。

こちらは下流側の光景です。

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上流側は鈴鹿山脈の山が見えます。

丁度新幹線が通って行きました。

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この辺りの光景を広重は描いています。

背負っている籠のような物は、この地の特産の高宮上布です。

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橋を渡ると、少し広い道になり、旧街道の雰囲気とは異なります。
(恐らく、旧街道を拡張して作られた道だと思います)

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やがて家並みは途切れ、視界が広がりました。

左側には、刈り取りの終った田んぼが広がっています。

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漫画のような街道案内図がありました。

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進んでいくとお寺がありました。

地福寺地蔵堂(月通寺)と言うそうです。

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門の前にはこういう石柱が立っています。

酒、肉、五辛の臭いが付いた者入るべからずという意味でしょうか。

五辛とは、大蒜(にんにく)、韮(にら)、葱(ねぎ)、辣韭(らっきょう)、野蒜(のびる)です。

仏教ではこれらの物を食べるのは避けるようです。

この石柱は他のお寺の前でも見ました。

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街道を進んでいくとこんな建物があります。

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説明書きによれば、この奥に小さな祠があるようです。

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お寺が並びます。

還相寺と言うお寺です。

街道の前面に鐘楼があるのも珍しいです。

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道は松並木になります。

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彦根市はこの辺りで終りみたいです。

彦根市の入り口にも同じようなものが立っていました。

左の石柱には、「またおいでやす」と彫ってあります。

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休憩所のような物がありましたが、何も説明がありませんでした。

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街の中に入っていきます。

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このような塀の家が沢山あります。

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この塀はどうやって固定しているのでしょう。

乗せてあるだけのような気がします。

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家並みが途切れ、白いきれいな建物が現れました。

昭和12年、ヴォーリス設計の豊郷小学校が建てられました。
平成11年頃、建て替え問題で当時の町長リコール問題まで起きた校舎です。
現在は、改修されて、教育委員会や図書館になっています。

中も入れるそうですが、電車の時間の問題で正面からの写真だけです。
(校内の様子は、私の記事にいつもコメントいただいているkuwachanさんの記事にあります)

kuwachanさんの記事はこちらです。

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すぐ横に一里塚がありました。

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この日の予定は愛知川宿まで行く予定でしたが、電車の都合でここで打ち切りました。

中山道から離れ、5分位で豊郷駅に着きました。

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この時午後3時20分です。

こんなダイヤなので15時26分の電車に乗らないと1時間後になります。

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高架の線路は東海道新幹線です。

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電車は定刻に来ました。

また「お~い茶」の電車です。

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約20分程で彦根駅に着きました。

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今回は10月に泊まったホテルとは違い駅の反対側のホテルに泊まります。

駅を出ると近江鉄道の古い電車などが並んでいます。

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こんな電気機関車も並んでいました。

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そしてこんな電車も

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ホテルはすぐ近くです。

秋の日暮れは早いです。

直ぐに暗くなりました。



本日もご訪問ありがとうございました。

次回の記事は、11月24日に行った北鎌倉の記事です。
(12月2日更新予定)

中山道の続きは12月4日になります。



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中山道歩き38の1(2017/11/13) 12月4日(月) [中山道を行く]

昨日と一昨日、孫に会いに、関西の方に出かけていました。

昨日の帰りおおきな満月が新幹線から見えていました。



中山道11月12日、13日の中山道二日目の記事になります。

今日現在、まだゴールしてませんが、ゴール近くまで来ています。

記事更新が間に合っていませんので、記事更新途中にゴールをしても、そのまま続けます。
(ゴールの記事は最後にしたいので)

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11月12日の夜は彦根駅近くのホテル泊まり、朝を迎えました。

この日も良い天気でした。

彦根駅から見る佐和山。
(石田三成の居城があったところです)

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彦根駅から近江鉄道に乗り、前日乗車した豊郷駅で下りました。

こんな黄色い電車でした。

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前日急いでいたので、よく見なかった豊郷駅です。

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数分歩いて中山道に戻りました。

9:00頃スタートしました。

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大きな屋敷があります。

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伊藤忠商事の創業者伊藤忠兵衛の生家です。

麻の卸業を滋賀県で創業しました。

その後大阪で、紅忠(べんちゅう)を創立し大阪が本拠地になりました。

今の丸紅も元は同じ会社でした。

この建物は今は記念館にされています。

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記念館も興味がありますが、前へ進みます。

神社の石柱があったので横を見ると、通りの向こうに鳥居が見えました。

左の建物は酒蔵でした。(造り酒屋)

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賑やかな幟が立っています。

近州音頭発祥の地とありますが、正式にはここではありません。

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小さな公園になっていました。

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進んでいくと、「又十屋敷」と言う看板が立っていました。

江戸時代後期、「又十」と言う商号で呉服屋を始めた藤野喜兵衛嘉昌の旧宅です。

その後北海道に渡り、廻船業を始め、後には缶詰などの製造を始めたと言われます。

後の「あけぼの缶詰」です。

中は資料館になっていますが定休日でした。

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こちらの門が屋敷の門です。

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横には一里塚跡の石柱が立っていました。

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進んでいくと、江州音頭発祥の地はこちらでした。

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道の両側は農地になります。

こういう道は気持ちがいいですね。


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やがて、宇曽川という川に来ました。

歌詰橋という橋で、昔は丸太を並べて土を塗った土橋だったそうです。

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こちらは下流方向で琵琶湖に向かって流れています。

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石部神社という神社がありました。

20kmぐらい離れた所に石部宿という東海道の宿場町がありますが関係あるのか??

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沓掛と言う地名は今までも沢山ありました。

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道は町中に入って行きました。

中山道は右です。

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カバーをしてありますが、茅葺屋根の家も残っています。

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住宅街が続きます。

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町中に入ると神社かお寺があるのが普通ですが、と思いながら進んでいくと神社がありました。

河脇神社と言う神社でした。

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そのまま進むと愛知川(えちがわ)宿の入り口に来ました。

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まだ宿場の中心地ではありません。

大きな屋敷があります。

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門の横にこんな表示がありました。

この屋敷は昔、麻織物商を営んでいた田中家の別邸だそうです。

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街灯のデザインも変わってきました。

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和菓子屋さんがありました。

しろ平老舗という店で、1865年創業のお店です。

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少し買って帰りました。

「きんかん大福」と「湖穀大福」(?)


黄色くみえるのはきんかんの甘露煮です。

美味しいお菓子でした。

柔らかいのできれいに切れませんでした

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少し進むと休憩所がありました。

ボランティアのスタッフの人に暖かいお茶入れていただき、しばらくお話ししました。

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この先、愛知川宿の中心地に進みます。

次回に続きます。



本日もご訪問ありがとうございました。



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タグ:愛知川宿
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中山道歩き38の2(2017/11/13) 12月6日(水) [中山道を行く]

昨日は暖かい日でしたが、西日本では雪のところもありましたね。

関東地方も今日から寒くなるようです。

冬対策が必要です。



中山道の続きです。

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愛知川宿の休憩所で休んだ後、旅を続けます。

駅からの道の交差点に広重の絵のモニュメントがありました。

写真を撮った時には気が付きませんでしたが、左端に写っている黒い箱のような物。

明治時代のポストを模して作られた、ポストです。

今でも利用可能です。

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本陣とか脇本陣は表示してあるだけで何も残っていないようです。

本陣跡の表示がありました。

実際の場所は写っている建物の場所ではなく手前の場所です。

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勉強する場所と言う意味では間違っていませんが・・

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「伊吹正」と言う看板を掛けた建物がありました。

調べてみたら、主に列車のトイレに使う脱臭消毒剤のメーカーでした。

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細い道が続きます。

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板壁の屋敷がありました。

竹平楼と言う料亭のようです。

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宝暦八年(1758)創業の料理旅館で、今でも日本料理の店として営業中です。

創業時は「竹の子屋」という屋号でした。
< 私とは何の関係もありません(笑)>

明治天皇が行幸の時に泊まったという部屋があります。

その時には岩倉具視、大隈重信、なども一緒だったそうです。

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こういうところで昼食を食べるわけにはいきません。

先に進みます。

街灯のデザインが少し違う物がある事に気づきました。

前記事、この記事の二つ目の写真とも違います。

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先に進むと小さな川がありました。

「不飲川」(のまずがわ)と言う川です。

この川の上流で平将門の首を洗い、川が血に染まって飲まなくなったという事です。

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愛知川宿の町並みも終わりになりました。

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ここで国道8号線に入り、歩道のない国道歩きになります。

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交通量は多い道です。

この先に橋がありますが歩道があるかどうか心配です。

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橋のたもとに大きな常夜灯が立っています。

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幸い橋には歩道がありました。

御幸橋と言います。

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橋を渡る時は左右を見たくなります。

琵琶湖方面に流れる下流側です。

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上流側は近江鉄道の鉄橋があり、ちょうど、電車が、通過しました。

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道路の案内に大津の文字が出てきました。
(近江八幡は近いですが、大津はまだ遠いです)

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この辺りを描いた広重の絵です。

今は愛知川ですが、昔は恵知川だったようですね。

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橋を渡り左に曲がります。

交通量が多いです。

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直ぐに右に入る道がありました。

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静かな道に入りホッとします。

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東嶺禅師とは臨済宗の高僧です。

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茅葺屋根の家も残っており、近江鉄道の踏切を渡ります。

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小幡神社の御旅所がありました。

どんな神輿があるのでしょう。

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向かいには久しぶりに杉玉を見ました。

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中澤酒造と言う酒屋さんですが、2000年に一度休業したけれど2015年再興した蔵元です。

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石の道標がありました。

よく読めませんが、右は京都、左は伊勢ですね。

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進んでいくと少し古い家がありました。

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なんと!!

時代劇で見るような玄関でした。

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この辺りは五個荘という地区です。

このような大きな家が沢山あります。

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いかにも旧街道を思わせるような松ですね。

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この地域のまちづくり協議会が「六心の訓」の推進をしているそうです。

「六心の訓」は近江商人発祥の地と言われる五個荘地区で「三方良し」と共に継がれてきたそうです。

六心の訓(おしえ)
   はい      素直な心
 すみません    反省の心
 ありがとう    感謝の心
 わたしがします  奉仕の心
どうぞ       互譲の心
おかげさまで    謙虚な心

言葉をかみしめながら休憩をしました。

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次回に続きます。

本日もご訪問ありがとうございました。



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タグ:六心の訓
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中山道歩き38の3(2017/11/13) 12月8日(金) [中山道を行く]

今週は、昨日、一昨日病院通いが続きました。

天気もよく出かけるには問題ないのですが、風が吹くと寒いです。

今日は冷たい雨になるようです。

着るものがだんだんと真冬になってきました。



中山道続きます

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六心の訓の横でしばらく休憩してから、歩き始めした。

最近できたばかりのような茅葺屋根の家に遭遇しました。

Googleのストリートビューで見ると同じ場所に古い茅葺屋根の家がありました。
(2013年の撮影でしたが、トタンでカバーをしてありました)

新築かどうかわかりませんが、今の時代に茅葺屋根の家を作るとずいぶん高価でしょうね。


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進んでいくと小さな広場がありました。

江戸幕府が文化三年(1806)に作った街道絵図を拡大したものが掲示されていました。

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この場所はこの辺りのようです。

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この辺りだけ歩道がありました。

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上の写真で洋風の建物がありますが、旧松居家住宅洋館です。(大正14年築)
(登録有形文化財)

昭和39年まで五個荘郵便局として使われていたそうです。

コンクリート造りの建物の様に見えますが、木造で外壁はモルタルを塗っています。
(モルタルの下には鉄網が貼ってあります)

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向かいには大きな屋敷があります。

門の前には大きな鐘があります。

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しばらく進むと静かな道になり、大きな常夜灯が立っていました。

左 いせと言う文字が見えます。

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所々に新しい家も見られます。

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上の写真の道を直進し、しばらく歩くと「北町屋の郷」という標柱が立っていました。

北町屋はこの辺りの地名です。

後ろの建物は公民館みたいな感じです。

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すぐ隣はこんな建物がありました。

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この建物は時々公開されるそうです。

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12時半頃です、先に進みましょう。

少し広い道を横切ります。

交差点の向こうに茅葺屋根の絵が見えます。

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直進し、しばらく歩くと、また茅葺屋根の家がありました。

トタンのカバーはありません。

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一里塚跡の石柱がありました。

今日のゴールは武佐です。

あと一里です。

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静かな道は国道と合流します。

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国道を約100m歩き横断して小路に入りました。

清水鼻の名水に着きました。

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綺麗な水でした。

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湖東三名水の一つだそうです。

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小さな集落の静かな道を進みます。

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さて、どちらに行くべきか??

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よく見たら、色あせた案内がありました。

左折です。

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家並みが途切れ、見通しが良くなりました。

正面は国道八号線と新幹線です。

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右側の景色が良かったので、何枚も撮りました。

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山の紅葉も始まっています。

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空も青空が広がっていました。

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やがて国道に合流し新幹線の下を通ります。

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100mぐらい歩くと、国道を渡る地下道がありました。

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地下道を出ると石柱の案内がありました。

あれ? 武佐まで一里?

さっきの一里は??
(この間、1.5km位あります)

この日は近江鉄道武佐駅まで行くつもりでした。

頑張って進みましょう。

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次回に続きます。



本日もご訪問ありがとうございました。



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中山道歩き38の4(2017/11/13) 12月10日(日) [中山道を行く]

寒い日が続きます。

昨日は気持ちの良い晴天でしたが、空気が冷たくて外に出ると体が冷えてしまいました。

昨日は都内に住んでいる息子達が来て、孫と楽しい時間を過ごしました。

1歳半ですが、会うたびに成長しています。

今週は寒波がやって来るとか。

気をつけねばなりませんね。

中山道歩きの続きです。

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国道8号線の地下道を通って静かな道になりました。

奥石(おいそ)神社の入り口に来ました。

奥の森は、老蘇(おいそ)の森といわれ、万葉の昔から、歌に詠まれた名高い森です。

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200mほどこの様な道をすすむと、正式な参道がありました。

中までは入りませんでしたが、立派な社殿があるようです。

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道路には所々にこのような石柱が立っています。

ここは「陣屋小路」ですが、この他にXX小路が沢山ありました。

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陣屋小路を覗くとこんな道でした。

昔はこの奥に陣屋があったのでしょうが、今は普通の住宅があるだけでした。

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また大きな屋敷がありました。

この屋敷は杉原氏というお医者さんの家で、緑苔園と言う庭園があるそうです。(非公開)

この屋敷の他に500平米の緑苔園があります。

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家並みが途切れ広い道になりました。

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鎌若宮神社という神社がありました。

元は若宮神社と言われ、奥石神社から分かれた神社だそうです。

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普通の家より大きいぐらいの長屋門などが見られます。

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東光寺と言うお寺がありました。

この場所より三重県寄りに同じ名前の紅葉がきれいなお寺があるそうです。

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今回の旅の自撮り写真です。

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明るい道路になりました。

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この辺りは西生来(にしょうらい)と言う地名です。

手作り感のある案内です。

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道の両側には家が並んできました。

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一里塚跡の石柱が立っています。

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近江八幡市になったようです。

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小さな川を渡ります。

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武佐宿の氏神様である牟佐(むさ)神社があり、この辺りから武佐宿が始まります。

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この辺りに高札場があったようです。
(今はゴミ集積場)

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脇本陣跡には集会場がありました。
(集会場と言っても、和風建築です)

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向かいには洋風な建物があります。

旧八幡警察署武佐分署庁舎で登録有形文化財です。

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休憩所もありましたがお休みでした

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武佐宿は江戸から66番目の宿場で、本陣、脇本陣各1軒、旅籠3軒でした。

京都から11里、健脚の旅人の1泊目の宿場だったそうです。

本陣跡の建物です。
(本陣を務めた石橋家)

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所々に、小学生の描いた案内板があります。

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結構長い宿場町です。

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こんな所でカラオケ??

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喫茶もあるようですが通過します。

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高札場跡の案内があり、宿場町の終わりです。

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直進すると道は桝形になっていて、曲ったところに近江鉄道の武佐駅がありました。

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丁度電車が来る頃でした。

来た電車に飛び乗り、近江八幡へ出て、米原経由で帰りました。

11月12日、13日はこんなところを歩きました。

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本日もご訪問ありがとうございました。



次回(12月12日)は先日行った神戸、大阪の景色です。


12月14日から中山道歩きの記事になります。



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中山道歩き39の1(2017/11/26) 12月14日(木) [中山道を行く]

先週末から始まって寒い日は少し治まってきたような感じがします。

全般的には今年の冬は寒いようですね。



11月26日、27日に中山道武佐宿の続きに行ってきました。

< 12月14日夕方までの記事に、文字が消えている部分がありました修正し、お詫びいたします >


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いつものように家を朝6時過ぎに出て、小田原からひかり503号で米原まで行きました。

途中まで良い天気で富士山も見えていました。

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米原から東海道線で近江八幡まで行き、近江鉄道に乗り換えます。

武佐駅に着いたのは11時頃でした。

ここでは曇り空でした。

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武佐駅にこんな案内がありました。

あまり聞いたことが無かった「八風街道」という街道があるようです。

ここから四日市まで続いているようです。

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準備をして、武佐駅を出発します。

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駅の横の踏切を渡ります。

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静かな道を進みます。

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正面に大きな木が見えてきました。

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ここは公園になっていました。

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この場所は伊庭貞剛(いばていごう)の生誕の地でした。

伊庭貞剛は近江出身の明治時代の実業家で第二代住友総領事でした。
(元は裁判官でした)

「別紙銅山中興の祖」と言われ、住友新居浜精錬所の煙害問題の解決に当たりました。

植林など環境復元にも心血を注ぎ、企業の社会的責任の先駆者ともいわれています。
近江源氏佐々木氏支流伊庭氏の一族です。
(ウィキペディアより)

幾つかの名言があります。

友とは憎しみ合ったときのことを考えて付き合え。
敵とは愛し合ったっ時のことを考えて付き合え。



事業の進歩発達に最も害するものは、青年の過失ではなく、
老人の跋扈(ばっこ)である。(跋扈・・・のさばる事)
<自身は58歳ですべての職を辞し、引退しました>

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先へ進むと旧街道は終わり、国道8号線に合流します。

ところが歩道がありません。

後ろから次々に車が来るので怖いです。

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畑の向こうは新幹線の線路があり、頻繁に通過します。

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反対側に歩道がありましたので、自動車の切れ目を見て横断しました。

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この先で左に曲がらないといけないので渡りなおします。
(信号で渡りました)

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通ってきた道は赤い線ですが、旧街道はこの赤戦ではなさそうです。


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この工場敷地の中に旧中山道の部分があると思います。

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旧道に入り、静かになりました。
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旧街道らしい大きな家があります。

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小さな児童公園に案内板が立っていました。


「住蓮坊首洗い池」という池です。

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案内板によれば

住蓮坊は鎌倉時代の僧侶です。

六時礼賛を広め、後鳥羽上皇の女官が帰依したため、後鳥羽上皇の怒りにふれ処刑さました。

その首を洗った池とされています。

しかし、中を見ると水はありませんでした。

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再び国道と合流しました。

ここには歩道がありました。

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所々に茅葺屋根の家がみえます。

一部が瓦葺になっています。

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宿場町ではないのに、高札所跡の表示が見えます。
(高札場と言うのが普通ですがなぜかここは高札所となっています)

神社の入り口です。

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この先に進む道は、正面の細い道です。

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この道は交通量が多いです。

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静かな道に入りました。

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古い家があります。

空き家なのか、ほとんど手入れしてないようです。

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商店街ではありませんが肉屋さんの看板が立っています。

ここのコロッケが人気があるそうです。

買いに来た人の車が2,3台店頭に止まっていました。

食べ歩きもいいですが、このところ腹の調子がよくありません。

横目で見ながら通過します。

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肉屋さんの前は刈り取りの終った田んぼが広がっています。

右端の赤い建物が近江八幡の駅周辺です。

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こんな道です。

旧街道歩きと言う目的が無ければ通ることはないですね。

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後ろから来た人に抜かれてしまいました。

この人は豊郷から歩いてきて、今日は行けるところまで行って東京に帰ると言ってました。

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遠くに新幹線が走っています。

全長400mの新幹線が1枚に収まる写真を撮れる場所はそれほどないでしょうね。

しかも間に障害物はありません。

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道は小さな集落に入りました。

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そのまま進むと堤防に上がる坂道になりました。

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堤防に上がると案内板がありました。

日野川の渡し跡で通常は船の渡しだったが水量が減ると船を橋にして渡ったそうです。

広重もこの様子を描いています。

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ここで少し休憩しました。

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次回に続きます。



本日もご訪問ありがとうございました。



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中山道歩き39の2(2017/11/26) 12月16日(土) [中山道を行く]

12月はもう半分すぎました。

今年も後2週間余りになりました。

相変わらず寒い日が続きます。

あまり出かけないので、少し運動不足です。



<お断り>

前回の記事前半の一部で文字が見えなくなっているところがありました。

14日の夕方に気づき修正しました。

それまでにご欄になった方は不手際の記事になりました事お詫びいたします。

前記事の続きです。

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遊佐の駅を出て約2時間、日野川の堤防で休憩しました。

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ここには橋が架かっていないので、回り道になります。

川の土手を歩きます。

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しばらく進むと橋が見えました。

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振り向いて見ます。

川の狭くなった辺りが渡しのあった部分かな~~?

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橋を渡ります。

橋が架け替えられたのでしょう。

この道はそれまでの道路だと思います。

広い歩道です。

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橋を渡り終えると右の細い道に入ります。

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少しの間ですが、誰も通る事のない道です。

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これがあるとホッとします。

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土手を下ると集落に入りました。

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この集落も長くはなく、国道8号線に合流しました。

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しばらく進むと道は分かれます。

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古い街並みになりました。

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この集落は、鏡の宿といい、武佐宿と守山宿の間が長いので「間の宿」として設けられました。

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また国道に戻りますが、ここも鏡の宿の一部だったようです。

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旅籠屋の跡です。

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鏡の宿は平安時代の東山道の時にも宿駅でした。

源義経の元服の地と言われています。

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歴史の好きな方は→こちら

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間の宿は、本陣、脇本陣、旅籠は無いところが普通ですが、ここではあったようです。

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義経が元服のお参りをしたとされる鏡神社があります。

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この神社の前には義経が元服の時に自分の烏帽子を掛けた松の木があります。

明治時代に台風で折れて、根元だけ残っています。

「源義経 烏帽子掛の松」と言います。

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神社の向いには道の駅がありました。

トイレ休憩です。

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休憩の後、歩きだしてすぐに、義経が元服の時に水を汲んだ「元服之池」がありました。

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国道から離れて細い道に入ります。

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バス停がありましたが、この本数ではどれだけ利用するのでしょう。

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お地蔵様は丁寧に維持されています。

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再び国道に出ます。

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平宗盛(平清盛の嫡男)の胴塚の案内がありました。

義経はこの地で平宗盛を殺害したとか。(詳しくは義経元服のリンクの説明を見てください)

平家終焉の地と言われています。

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そのまま進みます。

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左に池がありました。

平宗盛の首を洗った池があるそうですがこの池かどうかわかりません。

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国道を横断して細い道に入ります。

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ちいさな集落でした。

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また国道に合流します。

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今日の記事は江戸時代の中山道と言うよりさらに昔の東山道の道中記になりました。

次回に続きます。

本日もご訪問ありがとうございました。



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中山道歩き39の3(2017/11/26) 12月18日(月) [中山道を行く]

昨日は晴天の一日でしたが冷たい風が吹きとても寒い一日でした。

風が強く晴天の日は富士山がよく見えます。

昨日の朝7時頃の富士山です。

夜明けの太陽の光を受けて頂上の方だけが明るくなっています。

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丹沢の山々も綺麗に見えていました。

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しかし昼間は富士山の姿は雲の中に消えてしまいました。



中山道の記事が続きます。


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国道に合流すると、少し開けた道になります。

左側は土手になっていて、ため池のような池があります。

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道路の向かい側に道祖神のような物が見えます。

道祖神は木曽路を歩いていた時には沢山ありました。

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国道から離れて狭い道に入ります。

ここから先はうるさい国道歩きは恐らくないでしょう。

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緩い上り坂になりました。

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真新しい小さな広場に出ました。

常夜灯のような物が立っていますが新しく作られたものでしょう。

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この辺りは天井川がいくつかあります。

ここは川床を10m切り下げた工事をしたところと言う説明板がありました。

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すぐ横には篠原神社があります。

明治三年には横の川が氾濫し社殿等は全て流されたそうです。
(今は修復されています)

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集落の中の狭い道が続きます。

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子安地蔵堂というお堂が建っていました。

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中に入って見ました。

境内には沢山の地蔵様が並んでいます。

右下の黒い石に彫ってある言葉

哀れ愛しと抱きたまう
大慈大悲の地蔵尊
あみだ如来のすがたかえ
育て導く 最尊(ほとけ)なり
南無や幼子(わらべ)の地蔵尊
南無阿弥陀仏 阿弥陀仏

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子安地蔵を後に先に進みます。

公園のようなところがありました。

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ここには古墳があるようです。

前記事では平安時代の東山道の事が出てきましたが、さらに古い事です。

ここには古墳が3つあります。

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Googlemapの航空写真です

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紅葉したモミジが綺麗でした。

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進んでいくと入り口が別にあり、石柱が立ってました。

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静かな道が続きます。

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カーブしたところにおおきな屋敷があります。

近江には沢山の大きな屋敷がありますね。

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駐車場になっているところにこんな!

いままで〇〇跡の石碑とは違いなんと立派な物でしょう。

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茅葺屋根の造り酒屋「暁酒造」です。

自販機が風情をなくします。

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静かな住宅街を進んでいきます。

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学校の横に道案内当たっています。

この日は守山宿まで行く予定で守山駅前のホテルを予約していました。

11月の末、この日は曇天で途中で暗くなりそうです。

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ここでこの日は終了することにしました。右の道を歩いてきました。

朝鮮人街道はここから近江八幡、安土、彦根を通り鳥居本でまた中山道に合流します。

この道を通って野洲駅に向かいます。

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この日の大津の日没は16:47です。

野洲駅前に着いたのは16:40ごろでした。

駅前のイルミネーションが点いていました。

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野洲駅から守山駅まで一駅です。

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この日歩いたのはこの辺りです。

翌日は続きを歩きます。

京都までは近いですが私の足では一日では行けません。

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次回に続きます。

本日もご訪問ありがとうございました。



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タグ:中山道
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中山道歩き40の1(2017/11/27) 12月20日(水) [中山道を行く]

晴天が続きます。

昨日は少し気温が上がりましたが、それほど上がったとは感じませんでした。

午後は風が強かったので体感温度は「寒い!」でした。
(年齢のせい?)

いつもは道中記の日の変わり目には違う記事を入れますが、今回は続きます。

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前日は武佐駅を出発したのが11時頃でしたので、予定した守山まで行けませんでした。

前日の曇天とは違い、晴れ渡った日でした。

守山駅前のホテルを出たのは8時過ぎでした。

左の建物が泊ったホテルです。

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守山駅から電車に乗り、隣の野洲駅で下車しました。

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野洲駅を8:20頃出発です。

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前日、終了した場所まで戻ります。

左の林の中は小さな神社があります。

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旅館のようですが、現在旅館業をしているかわかりません。

左の林は紅葉する木が混ざっています。

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昨日の遅れを取り戻さなければなりません。

先へ進みます。

これは?   酒屋かな

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宇野勝酒造と言う酒屋でした。

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中山道はJRのガード下を通ります。

守山から来るときにこの上を通ったはずです。

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しばらく進むと野洲川の手前にお堂がありました。

黄檗宗百足宗十輪院と言います。

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そして、野洲川を渡ります。

普段は仮橋、増水時は渡しだったようです。

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振返ると近江富士と言われる三上山が見えます。

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渡り終わると守山市に入ります。

狭い道が始まります。

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歩道もなく車の多い道です。

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幾つか車の多い道を横断すると静かな道になりました。

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この辺りは吉身と言うところで、守山宿の加宿として栄えた所です。

加宿とは


宿場に隣接する村などで宿場業務を担っていた村落です。

この川から先が守山宿本宿になります。

ここは蛍が生息しているとか。

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ところどころにベンガラ格子の家があります。

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お寺が多い所でした。

最澄が唐から帰る時に使った船の帆柱で作った十一面観世音菩薩があるそうです。


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こちらは願立寺と言うお寺です。

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緩やかな曲がり路が続きます。

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街灯も変わってきました。

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今でもこういうお店があるんですね。

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道が広くなりました。

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「うの家」と言うところがありました。

この家は、わずか69日、間総理大臣を務めた宇野宗佑の生家です。

今では守山市が管理しているようです。

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トイレを借りるため中に入りました。

中には守山宿のジオラマなどが展示されています。

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土産物コーナーがあり、こんなものを売っていました。

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滋賀県を歩くとあちこちで見かけます。

「子供飛び出し注意」の意味でしょう。

モデルはこの子です。

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お寺が多かった町ですが神社もありまあした。

守山天満宮です。

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向かいには本陣跡の案内がありました。

皇女和宮の降嫁の時にはここに宿泊したそうです。

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ここは明治時代からの油屋「筆忠」の建物で、いまは町屋ふれあい館と言う施設になっています。

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先に進むと古い道標がありました。

「右 中山道 并(ならびに) 美濃路」
「左 錦織寺四十五丁 こ乃者満ミち」と彫られています。

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しばらく行くと大きな提灯のお寺の山門がありました。

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東門院という天台宗のお寺です。
(正式には比叡山東門院守山寺といいます)

比叡山が近づいたので天台宗のお寺が増えてきました。

山門に境内撮影禁止と張り紙があったので。

山門の外から撮りました。

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赤に入ると、夜はライトアップするようで、照明器具が付いていました。

前日泊ったホテルは遠くないのでここまで来てみたらよかったです。

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進みます。

この端を渡ると守山宿の本宿は終わり、西の加宿である今宿地域に入ります。

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進むと江戸から128番目の「今宿一里塚」がありました。

一対の一里塚のうちこちらの南側だけが残っています。

昭和の中頃一度枯れたものの、脇芽がおおきくなってこのような大きな木になったそうです。

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小さな交差点を渡ります。

焔魔堂町というところだそうです。

近くに焔魔堂のある「十王寺」と言うお寺がありました。

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先に進むと栗東市に入りました。

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歩道がありませんので、道路沿いの公園を歩きます。

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ここには神社(大宝神社)がありました。

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珍しい地名がありました。

この周辺は昔から麻糸の産地でした。

機織り機に装着する麻糸の事を「綣」と呼んだことに由来するそうです。

綣は糸を丸めるという意味があるそうです。

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このマスコット、かわいいですね。

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中山道が通っている栗東市の部分ははわずか1kmしかありませんでした。

草津市に入ります。

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次回に続きます。



本日もご訪問ありがとうございました。



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中山道歩き40の2(2017/11/27) 12月22日(金) [中山道を行く]

このところ雨が降りませんね。

空気が乾燥して、風が吹くとほこりが舞い、車もすぐ汚れてしまいます。

乾燥していると「火の用心」ですね。

気を付けましょう。

年賀状昨日投函しました。

孫のクリスマスプレゼントは終わっているし、後は正月だけです。


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草津市に入りました。

滋賀県草津市です。
(温泉はありません)

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草津市に入ったらこんな道になりました。

高架はJR草津線の線路です。

よく見ると草津宿の案内がありました。

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こちらです。

上は東海道本線の線路です。

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反対側に抜けると線路に沿ってこんな道を進みます。

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先に進むとこんな道に変ります。

草津は大阪から新快速で約50分。

通勤圏なので大きなマンションが建っています。

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伊佐佐(いささ)神社と言う神社がありました。

重要文化財指定です。

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昔ながらの道になりました。

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が、

直ぐに、ここに来ました。

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中山道は商店街です。

巣鴨の地蔵通り商店街も中山道ですよ。

商店街の中のうどん屋さんで昼食にしました。

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この先は旧草津川のトンネルになりますが、今は廃川になっています。

2002年に放水路(新草津川)が作られ天井川には水はなく公園になっていました。

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トンネルを通ります。

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出た所にはこんな常夜灯が立っています。

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東海道と中山道が合流します。

奥から来る道が東海道です。

東海道を歩いた時は2012年4月23日にここから京都まで歩きました。

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中山道は終了しても良いですが、ここまで来たので京都まで行きましょう。

すぐ近くに本陣跡がありますが、休館日でした。

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ベーカリーカフェ脇本陣とあるので脇本陣跡なのでしょう。

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食後のコーヒータイムにしました。

この先は一度歩いていますので、様子はわかっています。

ゆっくりと休憩しました。

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ゆっくり休んだ後、出発します。

造り酒屋の太田酒造の前を通ります。

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東海道、中山道を行く参勤交代の無事を祈る立木神社に来ました。

11月27日で平日でしたのでお参りの人は少なかったです。

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この神社の中門は小さなお寺の山門みたいでした。

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立木神社を過ぎ、進みます。

矢倉立場に来ました。

ここは琵琶湖経由で大津に船で渡るか、陸路を行くかの分岐点です。

また、ここの茶屋では名物「うばが餅」がありました。

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この先はを細い住宅街を進みます。

南草津駅に近い国道1号線を横切ります。

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横切ったところに一里塚跡がありますが、これは東海道の一里塚(119番目)です。

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20分ほど進むと名勝弁天池に着きました。

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こんな道が続きます。

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気付きませんでしたがいつの間にか大津市に入っていました。

月輪寺というお寺がありました。

曹洞宗ですから禅宗ですね。

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中山道歩きと言う事を忘れそうです。

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この二人は、神奈川県から来た夫婦で4年越しで東海道を歩いているとの事。

やっとここまで来ましたと言ってました。

この日は瀬田駅までにするとのことで、この先で別れました。

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住宅街が続きます。

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正面に比叡山の山並みが見えてきました。

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細い住宅街の道を何回か曲がり、広い道に出ました。

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瀬田の唐橋方面に曲がる角に瀬田名物「たにし飴」の店がありました。

東海道歩きで通った時にも閉まっていましたが、店が綺麗になっています。

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たにしが原料ではなくて、たにしの形をした飴だそうです。

写真はネットより借用しました。

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いよいよ瀬田の唐橋に差し掛かりました。

トイレついでに河川敷に下りてみました。

琵琶湖方面です。

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橋に戻って渡りましょう。

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琵琶湖の水はここから宇治を通り最終的には淀川となり大阪につながります。
この写真は琵琶湖方面を見ています。
宇治は反対方面です。

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午後3時半頃です。

日が傾いてきました。

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京阪電車の「唐橋前」駅横の踏切を渡ります。

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その先を右折してJR石山駅方面に向かいます。

この道も東海道です。

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石山駅に15:55頃着きました。

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ここから京都まで行き、新幹線で新横浜に向かいました。

11月26日と27日の道中記でした。

26日は武佐駅から野洲駅まで、歩数約28,500歩
27日は野洲駅から石山駅まで、歩数約33,800歩

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次回も続きます。

本日もご訪問ありがとうございました。



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中山道歩き41、42(2017/12/1,12) 12月24日(日) [中山道を行く]

今日はクリスマスイブ、小さな子供がいる家庭は賑やかな事でしょう。

我が家はいつもと何ら変わらない日になるでしょう。

中山道歩きの続きです。



12月1日から孫に会うため関西方面に出かけました。
(12月12日の記事で紹介済みです。)

12月1日に京都で途中下車して、石山駅に向かいます。

石山寺にお参りしたことが無かったので、行って見ました。

石山寺の記事は後日。

石山寺のお参りを済ませてからは、石山駅から街道歩きを続けます。

この時は家内と一緒でしたので、タイトルの絵は変えました。

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石山駅からの続きです。

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昔ながらの建物も並びます。

玄関の横には折り畳みの縁台が付いています。

この辺りの家にはよく見かけます。

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時々京阪電車石山線の踏切があります。

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こんな曲がり角もあります。

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綺麗なイチョウの木が見えたので入って見ました。

和田神社といいます。

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周辺の道路は狭いのですが、境内は比較的広い神社でした。

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今年はこんなきれいなイチョウの黄葉は見ることは出来ませんでした。

ここで満足です。

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細い道を右に曲がったり左に曲がったりしますが、2度目ですので迷いません。

義仲寺と言うお寺に来ました。

ここは木曽義仲のお墓があるお寺です。

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木曽義仲と言えば宮ノ越宿に「義仲館」という展示館がありました。
(昨年の10月31日に通りました)


また、ここには松尾芭蕉のお墓もあります。
(ここにお墓を作る様にと言う遺言が残されていたそうです)

中には入りませんでしたが、門から写しました。

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大津宿に入っていると思われますが、特に案内はありません。

細い道が続きます。

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この日は風が強く寒い日でした。

しばらくすると交差点があり、左には滋賀県庁の庁舎が見えました。

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さらに進んで、大津駅に着きました。

この日は夜に用事があったので、大津駅から大阪駅まで移動しました。

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しばらく日が過ぎて、12月12日に最後の旅に出ました。

今回は一人です。

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この日は午後から行動開始です。

大津駅を午後1時に出発しました。

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駅から数分、旧街道に戻ります。

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すだれ屋さんがありました。

こんな所で買うと高いでしょうね。

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曲がり角にこんな石碑が立っています。

1891年、大津を訪れたロシアの皇太子に日本の巡査が切りつけた事件(大津事件)の現場です。

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いかにも宿場町らしい町並みが続きます。

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提灯屋さんもありました。

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広い交差点に出ました。

ここでは左に曲がります。

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この道は京阪電車の京津線が路上を通ります。

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線路は右側の住宅の裏に入り、普通の道になります。

緩い上り坂が続きます。

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右側の奥を見るとお寺の前を電車が走っています。

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しばらく行くと蝉丸神社の案内があったので、入って見たら社殿は朽ち果てていました。

屋根には白いシートが掛けてあります。

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右側の歩道が無くなります。

奥のアーチ橋は名神高速道路です。

道路に自動車が走り、横には電車、上には高速道路、江戸時代の人が見たらびっくりするでしょう。

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道路を横断し、反対側の歩道を歩きます。

小さな庵のようなお寺の前を線路が通っています。

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道路の反対側に蝉丸神社上社がありました。

下社と違い手入れされているようです。

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更に、弘法大師堂があります。

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坂道は頂点に近づきました。

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上りきったところの信号で横断しました。

逢坂山の関跡の石碑があります。

東海道、中山道より古い平安時代の関所です。

百人一首には逢坂の関にかかわる歌が三首あります。

第62首/清少納言
 夜をこめて 鳥の空音は はかるとも
  よに逢坂の 関はゆるさじ

第10首/蝉丸
 これやこの 行くも帰るも 別れては

  知るも知らぬも 逢坂の関


第25首/三条右大臣
名にし負はば 逢坂山の さねかづら

  人に知られで くるよしもがな

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関所跡を過ぎると国道とは別れ、坂道を下ります。

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日本一のうなぎとありますが何が日本一かわかりません。

うなぎの匂いに引き込まれそうになりますが通過します。

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やがて道は行き止まりになり、歩道橋を渡ることになります。

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歩道橋を下りるとまた国道歩きになります。

名神高速道路の案内には「京都東」の文字が見えます。

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約10分程で国道から離れます。

左に行きます。

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こんな道になりますが、ここで嬉しいハプニング。

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この写真は2012年の写真ですがこの方に会いました。


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この方はここで組紐を作っていらっしゃいます。

2度目の出会いです。

前回も頂きましたが今回もこれを頂きリュックにつけていただきました。

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右が2012年の物、左が今回の物です。

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このリュックを背負って先へ進みます。

伏見街道との分岐点に来ました。

この辺りは道の右側が大津市で、左側が京都市です。

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ベンガラを塗った家もこの家で最後でした。

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やがて、国道に出ますが渡らなければいけません。

また歩道橋を渡ります。

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歩道橋の上から見ると旧街道歩きの風情とは程遠い光景です。

でも下の道路は国道1号線(東海道)です。

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この辺りで完全に京都市に入りました。

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山科地蔵徳輪庵の建物です。

六角形です。

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この日は12月12日でしたが、翌々日にはお祭りが開催されるようです。

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友人と会う約束があるのでこの日はここでで終了です。

次回はいよいよゴールです。

本日もご訪問ありがとうございました。



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タグ:大津宿
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中山道歩き43(2017/12/13) 12月26日(火) [中山道を行く]

一昨日の夜かなり雨が降ったので昨日の朝はしっとりとした朝でした。

しかし昼間は晴れて比較的暖かな日でした。

中山道歩き最終になります。

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前日山科まで行き、京都に泊まりました。

この日はゆっくりとホテルを出ました。

山科駅前のスターバックスで朝食を摂り、9:30頃スタートしました。

良い天気ですが、寒い日でした。

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日陰の道は寒そうです。

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前日から京都市に入っています。

格子戸もベンガラ塗はなくなりました。

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狭い旧街道は終わり三条通りに合流します。

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JRの高架下を通ります。

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しばらく行くと道の反対側に立派な松の木があります。

この奥には天智天皇山科陵(てんぢてんのうやましなのみささぎ)があります。

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車の多い三条通りから離れます。

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のどかな道になりましたが、この先に小さな峠(日岡峠)があります。

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緩い上り坂が急な坂に変ります。

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上がりきって平坦な道のところに、大乗寺と言うお寺がありました。

境内には酔芙蓉が1500本あるそうです。

残念ながら、今は開花の時期ではありません。

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細い道で車はすれ違うことが出来ません。

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お地蔵さんは丁寧にお祀りしてあります。

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頻繁に車が来るので、その都度立ち止まり、車を避けねばなりません。

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旧東海道とはありますが、下には通行量が多い三条通りが通っています。

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150 years house という看板が立っていました。

250年前の建物と言う意味でしょうか?

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古そうな家ですね。

民泊でもしているのかな~?

それよりもこんなものが掛けてありました。

この辺りに牧場があったのでしょうか。

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細い道は終わり、三条通りに合流します。

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国道の側壁に「石車」という表示がしてあります。
(古い表記なので、車石が正しい)

昔、京都から大津までは人の往来が多くさらに貨物の運搬も盛んだったそうです。

そのためこの区間は人馬用の道と、牛車用の道が分かれていました。

牛車用の道には石が敷かれ、車のわだちが付いてしまったようです。

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街路樹の花水木(?)の美が綺麗でした。

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道路の案内に「三条大橋」の文字が見えます。

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道は下り坂になり、京都の市街地が見えてきます。

左には蹴上浄水場が見えてきました。

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地下鉄の蹴上駅を過ぎて、ちょっと寄り道

ここで右に曲がります。

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南禅寺にお参りしてきました。

紅葉は終わっていました。

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お参りを済ませ、元の道に戻ります。

朝は晴れていた空も雲が多くなってきました。

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明治24年に送電を始めた蹴上発電所の建物があります。
(この建物は二期工事の建物で明治45年竣工です。)

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今は「ウェスティン都ホテル京都」と言うそうですね。

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後はまっすぐ進むだけです。

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途中の交差点から平安神宮の鳥居がチラッと見えました。

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柳がある川を渡ります。

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お昼になったので、ここで蕎麦を食べました。

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蕎麦を食べてから三条大橋を目指します。

右や左を見ながら進みます。

紙屋さん(江戸時代創業)

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酢の醸造元、村山造酢。

こんな所に酢を作っているところがあるとは思いませんでした。

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竹細工のお店。

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到着です!!

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今年の夏を過ぎた頃、特に問題なければ今年中にゴール出来ると判断しました

その時に、ゴールはこの日(12月13日)に決めました。

この日は私の70歳の誕生日です。

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2014年5月19日に日本橋をスタートし3年半かかりましたがゴールを迎えました。

途中、何度か入院治療で中断しましたが、無事にゴールを迎えることが出来ました。

皆様のご声援、励ましの言葉に支えられ目標達成できました。

厚くお礼申し上げます。


又この日は応援団(?)の出迎えも受けました。

昨年の春、長久保宿で私が写真を撮ってあげたことで知り合いになりました。

大阪の(元)乙女(大阪のオバチャンとも言う)の皆さんです。→妙齢のご婦人です。

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この日は雪がちらつく鴨川でした。

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延べ日数  43日(半日しか歩いていない日も含みます)
総歩数  約120万歩(移動時歩数も含みます)
総距離 約530km

長い旅も終わり、京都駅から帰ります。

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10月に歩いた関ケ原周辺は銀世界に変っていました。

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ブログ記事数  148記事(takenokoフォト散歩Ⅰも含む)

長い間ありがとうございました。



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