中山道歩き35の2(2017/10/26) 11月2日(水) [中山道を行く]
朝晩は寒く感じますが、昼間は暖かい日が続いてます。
今日も昼間は20度くらいで秋の服装で丁度よい気温です。
この先も概ね良い天気が続きそうです。
明日から三連休の方も多いでしょう。
ニュースで見ましたが、日光の紅葉は本番らしいです。
・
中山道の続きです
垂井宿がある垂井町の隣は関ケ原町です。
この案内板は赤坂宿以降、見ていませんでしたが久しぶりに登場です。
「ここは関ケ原宿」となっていますが、関ケ原町に入ったばかりです。
相変わらず人の姿が見えない道を進んでいきます。
野上と言う集落に入りました。
中山道まつりと言うイベントがあるようです。
この日は10月26日です。
3日後にあります。
道端にはツワブキが沢山咲いていました。
旧街道に神社やお寺は沢山あります。
この神社は何処にお社があるんでしょう。
踏切を越えてその先にあるんでしょうね。
休憩所みたいなところに来ましたが、ここには井戸があり、「野上の七つ井戸」と言います。
防火用水、生活用水、農業用水として使われ、旅人の喉も潤したそうです。
近くには史跡があるようです。
この辺りはかなり昔から人が住んでいたようですね。
立派な家並みが続きます。
朝、家を出る時は気温が低くもう一枚着ていましたが、昼間は暖かくてこんな格好で歩いています。
大きな屋敷は立派な瓦ぶきです。
屋根には鯱が付いています。
松並木が見えてきました。
電柱には東軍の武士の説明板が付いています。
この辺りに山内一豊の陣がありました。
いよいよ関ケ原の合戦の雰囲気が高まってきます。
消火栓には石田三成の旗印「だいいちだいまんだいきち」と徳川家康の家紋三つ葉葵が描いてあります。
松並木が続きます。
中山道の松並木は、立科町の笠取峠の松並木以来、久しぶりです。
関ケ原町では天然記念物に指定し、防虫、補植により保護しているようです。
途中に広場があり、ベンチがあったので座ってお握りを頬張ります。
(丁度12時頃です)
公園の真ん中に小さな祠があり、お地蔵さんがいます。
六部地蔵と言います。
横にはこんな説明がありました。
松並木の道は続きます。
徳川家康は、赤坂宿から夜中に移動し、この辺りに陣を構えたと言われています。
関ケ原の合戦中は他の場所にも移動しています。
下図の右下がこの場所ですが、左中央に移動し、石田三成軍との決戦になりました。
杉並木の道は一旦途切れ、広い道に出ました。
しかし右に見える道路が旧中山道です。
再び静かな道になります。
また松並木がありまたが、ここは数本の松の木があるだけでした。
静かな道も終わりです。
関ケ原宿の中心地に近づいていきます。
関ケ原町は宿場町ではなく、古戦場を売り物にしているようです。
関ケ原の町の中山道は国道21号線と同じ道です。
(旧中山道がそのまま拡幅して国道になった)
街の至る所に旗が立っています。
左から石田三成、島津義弘、蒲生郷舎、徳川家康
宿場の中心地ですが、本陣跡とか他の宿場町である案内はありません。
関ケ原の合戦に関する場所の案内は沢山あります。
中山道は大型トラックが次々に通ります。
このまま帰るならば買って帰りますが、通過です。
道の向こうに見える建物は、永長元年創業(1096)の桝屋旅館です。
(関ケ原の合戦が1600年ですがその600年近く前に創業??)
建物は作り変えられていますが、今でも営業中です。
路地の奥にJR関ヶ原駅が見えました。
次回に続きます。
・
本日もご訪問ありがとうございました。
・
D7500
AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
今日も昼間は20度くらいで秋の服装で丁度よい気温です。
この先も概ね良い天気が続きそうです。
明日から三連休の方も多いでしょう。
ニュースで見ましたが、日光の紅葉は本番らしいです。
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中山道の続きです
垂井宿がある垂井町の隣は関ケ原町です。
この案内板は赤坂宿以降、見ていませんでしたが久しぶりに登場です。
「ここは関ケ原宿」となっていますが、関ケ原町に入ったばかりです。
相変わらず人の姿が見えない道を進んでいきます。
野上と言う集落に入りました。
中山道まつりと言うイベントがあるようです。
この日は10月26日です。
3日後にあります。
道端にはツワブキが沢山咲いていました。
旧街道に神社やお寺は沢山あります。
この神社は何処にお社があるんでしょう。
踏切を越えてその先にあるんでしょうね。
休憩所みたいなところに来ましたが、ここには井戸があり、「野上の七つ井戸」と言います。
防火用水、生活用水、農業用水として使われ、旅人の喉も潤したそうです。
近くには史跡があるようです。
この辺りはかなり昔から人が住んでいたようですね。
立派な家並みが続きます。
朝、家を出る時は気温が低くもう一枚着ていましたが、昼間は暖かくてこんな格好で歩いています。
大きな屋敷は立派な瓦ぶきです。
屋根には鯱が付いています。
松並木が見えてきました。
電柱には東軍の武士の説明板が付いています。
この辺りに山内一豊の陣がありました。
いよいよ関ケ原の合戦の雰囲気が高まってきます。
消火栓には石田三成の旗印「だいいちだいまんだいきち」と徳川家康の家紋三つ葉葵が描いてあります。
松並木が続きます。
中山道の松並木は、立科町の笠取峠の松並木以来、久しぶりです。
関ケ原町では天然記念物に指定し、防虫、補植により保護しているようです。
途中に広場があり、ベンチがあったので座ってお握りを頬張ります。
(丁度12時頃です)
公園の真ん中に小さな祠があり、お地蔵さんがいます。
六部地蔵と言います。
横にはこんな説明がありました。
松並木の道は続きます。
徳川家康は、赤坂宿から夜中に移動し、この辺りに陣を構えたと言われています。
関ケ原の合戦中は他の場所にも移動しています。
下図の右下がこの場所ですが、左中央に移動し、石田三成軍との決戦になりました。
杉並木の道は一旦途切れ、広い道に出ました。
しかし右に見える道路が旧中山道です。
再び静かな道になります。
また松並木がありまたが、ここは数本の松の木があるだけでした。
静かな道も終わりです。
関ケ原宿の中心地に近づいていきます。
関ケ原町は宿場町ではなく、古戦場を売り物にしているようです。
関ケ原の町の中山道は国道21号線と同じ道です。
(旧中山道がそのまま拡幅して国道になった)
街の至る所に旗が立っています。
左から石田三成、島津義弘、蒲生郷舎、徳川家康
宿場の中心地ですが、本陣跡とか他の宿場町である案内はありません。
関ケ原の合戦に関する場所の案内は沢山あります。
中山道は大型トラックが次々に通ります。
このまま帰るならば買って帰りますが、通過です。
道の向こうに見える建物は、永長元年創業(1096)の桝屋旅館です。
(関ケ原の合戦が1600年ですがその600年近く前に創業??)
建物は作り変えられていますが、今でも営業中です。
路地の奥にJR関ヶ原駅が見えました。
次回に続きます。
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本日もご訪問ありがとうございました。
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D7500
AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
タグ:関ケ原宿