甲州道中歩き旅11の4(2018/11/29) 12月10日(月) [甲州道中を行く]
北海道、本州日本海側は雪になりましたね。
横浜では天気はまずまずでしたが寒い日になりました。
12月10日、仕事をしていた時はボーナス日でした。
予想通り、がっかり、様々な思い出があります。
・
甲州道中11日目の続きです。
座頭ころがし等の難路を越えて出た所が民家の庭先みたいなところでした。
10軒ぐらいの家が建っている小さな集落でした。
武甕槌神社(たけみかづちじんじゃ)と言う神社がありました。
「軍神」をまつる神社だそうです。
はっきりした道に沿って下りて行きます。
(実はこの道は間違いです)
下り坂を下りると、県道に出ました。
そのまま進むと、左の下り坂が正しい道でした。
矢坪坂の古戦場跡の案内がありました。
1530年北条氏の軍勢を甲斐の小山田軍勢が迎え撃ち激しい戦いがあったとの事。
道は中央高速の上を通ります。
ネット越しで失礼します。
高速道路の上を渡り切ったところにこんな桜が咲いていました。
この木の他にもう1本ありました。
道は高層道路に沿って進みます。
旧道は高速道によって消滅したのでしょうね。
この辺りからおそらく旧道でしょう。
道路沿いの家に咲いていた山茶花、見事な花です。
下に何かの花を藁で囲っているのもかわいいです。
モミジと小さな鳥居が色を添えます。
道路沿いに石碑が立っています。
嶽大先達白倉宝行碑だそうです。
富士講の修験者を統率する行者をたたえたものだそうです。
なぜここにあるか不明です。
萩野一里塚跡に来ました。
(江戸より20番目)
上の写真の案内板の手前から左に曲がります。
また山の中に入るかと思いましたが、すぐに終わりました。
再び中央高速の上を通ります。
フェンスの切れ間から撮ったのでネットは写りません。
談合坂サービスエリアから出て本線に合流する辺りです
高速道路の上を通り、道は下り坂になりました。
お地蔵様、庚申塔、馬頭観音などが並んでいます。
おそらく高速道路の工事中に移設されたものでしょう。
大きなお寺が見えました。
お寺のすぐ前から中央高速の下を通る道があります。
これを通って左に曲がれば、談合坂サービスエリア(下り線)に入ることが出来ます。
(歩行者でも入れます)
事前に調べていたのでここで休憩しようと思っていました。
この時午後2時頃です。
この後上野原までは7km位あります。
歩くだけでも2時間近くかかかります。
ここで時間をつぶすと途中で暗くなります。
温かいうどん、蕎麦でも食べようと思っていましたがあきらめました。
(この判断は正解でした)
このお寺は禅宗のお寺で臨済宗建長寺派のお寺でした。
立派なお寺でした。
前へ進みます。
野田尻が宿場として栄えていた昔、長峰の池という池があり、風趣に満ちていた。
その頃、野田尻宿のえびす屋という宿屋にお玉という美しい女中がいた。
近在の若者たちのあこがれの的だったおかげでえびす屋は大賑わいだった。
ひときわ目立つ美しい若者が夜ごと通うようになった。
お玉と若者は恋に落ち、夜な夜な逢瀬を重ねた。
帰ってくるお玉がいつも全身びっしょりなのをいぶかしく思い、主人が訳を訊いた。
すると、お玉は恋人は長峰の池の主であるのだという。
そして、もう屋敷に仕えるわけにはいかなくなった、お暇をいただきたい、という。
わが娘のように可愛がっていたお玉であったので主人も悩んだが、涙ながらに暇を出した。
野田尻は水が足りなくて困る土地なので、望む場所にきれいな水を出しましょう、といって去った。
こうしてできた井戸がお玉井戸と呼ばれた。
お玉自身が池の主の竜神だった、という話もある。
こういう話は各地にあるようです。
中山道のどこか、甲州道中の富士見町の辺りでもありました。
現在はこの井戸は枯れており、長峰の池は高速道路工事で無くなったとの事。
横浜では天気はまずまずでしたが寒い日になりました。
12月10日、仕事をしていた時はボーナス日でした。
予想通り、がっかり、様々な思い出があります。
・
甲州道中11日目の続きです。
座頭ころがし等の難路を越えて出た所が民家の庭先みたいなところでした。
10軒ぐらいの家が建っている小さな集落でした。
武甕槌神社(たけみかづちじんじゃ)と言う神社がありました。
「軍神」をまつる神社だそうです。
はっきりした道に沿って下りて行きます。
(実はこの道は間違いです)
下り坂を下りると、県道に出ました。
そのまま進むと、左の下り坂が正しい道でした。
矢坪坂の古戦場跡の案内がありました。
1530年北条氏の軍勢を甲斐の小山田軍勢が迎え撃ち激しい戦いがあったとの事。
道は中央高速の上を通ります。
ネット越しで失礼します。
高速道路の上を渡り切ったところにこんな桜が咲いていました。
この木の他にもう1本ありました。
道は高層道路に沿って進みます。
旧道は高速道によって消滅したのでしょうね。
この辺りからおそらく旧道でしょう。
道路沿いの家に咲いていた山茶花、見事な花です。
下に何かの花を藁で囲っているのもかわいいです。
モミジと小さな鳥居が色を添えます。
道路沿いに石碑が立っています。
嶽大先達白倉宝行碑だそうです。
富士講の修験者を統率する行者をたたえたものだそうです。
なぜここにあるか不明です。
萩野一里塚跡に来ました。
(江戸より20番目)
上の写真の案内板の手前から左に曲がります。
また山の中に入るかと思いましたが、すぐに終わりました。
再び中央高速の上を通ります。
フェンスの切れ間から撮ったのでネットは写りません。
談合坂サービスエリアから出て本線に合流する辺りです
高速道路の上を通り、道は下り坂になりました。
お地蔵様、庚申塔、馬頭観音などが並んでいます。
おそらく高速道路の工事中に移設されたものでしょう。
大きなお寺が見えました。
お寺のすぐ前から中央高速の下を通る道があります。
これを通って左に曲がれば、談合坂サービスエリア(下り線)に入ることが出来ます。
(歩行者でも入れます)
事前に調べていたのでここで休憩しようと思っていました。
この時午後2時頃です。
この後上野原までは7km位あります。
歩くだけでも2時間近くかかかります。
ここで時間をつぶすと途中で暗くなります。
温かいうどん、蕎麦でも食べようと思っていましたがあきらめました。
(この判断は正解でした)
このお寺は禅宗のお寺で臨済宗建長寺派のお寺でした。
立派なお寺でした。
前へ進みます。
野田尻が宿場として栄えていた昔、長峰の池という池があり、風趣に満ちていた。
その頃、野田尻宿のえびす屋という宿屋にお玉という美しい女中がいた。
近在の若者たちのあこがれの的だったおかげでえびす屋は大賑わいだった。
ひときわ目立つ美しい若者が夜ごと通うようになった。
お玉と若者は恋に落ち、夜な夜な逢瀬を重ねた。
帰ってくるお玉がいつも全身びっしょりなのをいぶかしく思い、主人が訳を訊いた。
すると、お玉は恋人は長峰の池の主であるのだという。
そして、もう屋敷に仕えるわけにはいかなくなった、お暇をいただきたい、という。
わが娘のように可愛がっていたお玉であったので主人も悩んだが、涙ながらに暇を出した。
野田尻は水が足りなくて困る土地なので、望む場所にきれいな水を出しましょう、といって去った。
こうしてできた井戸がお玉井戸と呼ばれた。
お玉自身が池の主の竜神だった、という話もある。
こういう話は各地にあるようです。
中山道のどこか、甲州道中の富士見町の辺りでもありました。
現在はこの井戸は枯れており、長峰の池は高速道路工事で無くなったとの事。
横の木に赤い葉が巻き付いていました。
この先すぐに野田尻宿に入ります。
次に続きます。
本日もご訪問ありがとうございました。
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D7500
AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
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