中山道歩き26の4(2017/5/8) 6月5日(月) [中山道を行く]
昨日までの週末(3日、4日)は晴天に恵まれ、観光スポットは賑わったようです。
私も河口湖の方へ行きましたが、あちこちで渋滞していました。
+++++++++ 前記事の続きです ++++++++
木曽路も終わり、いよいよ美濃路に入ります。
前記事の最後の写真ですが、この字は島崎藤村が書いたものです。
すぐ近くに一里塚跡がありました。
江戸から83番目の一里塚です。
ここから、石畳の道になります。
ここの石畳は840mほど続き、その内の3か所が昔のままの石畳です。
写真は撮っていませんが、非常に歩きにくい部分がありました。
(おそらくそこが昔の石畳だと思われます)
途中にお茶屋がありました。
山のうさぎ小屋とあるので昔からの物ではなさそうです。
更に石畳の道を下ります。
石畳の道は足に堪えます。(特に下り坂)
約1km近くの石畳を下りると、医王寺というお寺がありました。
本尊は薬師如来で、山中薬師とも呼ばれています。
しばらく急な下り坂が続きます。
下り坂の途中から見たと思われる歌川広重の版画です。
下り坂が終わり、川を渡ります。
落合宿と反対側の景色です。
ここから上り坂になります。
途中でみた石仏、ほとんど見捨てられたような感じです。
中央高速の赤い橋が見えます。
しばらく進むと、落合宿の常夜燈に着きました。
落合宿には4基の常夜燈があったそうですがこれだけが往時の場所にあるそうです。
落合宿の町並みですが、昔の宿場町を想起させるものではありません。
右側に大きな家が見えています。
落合宿の本陣跡です。
門の扉は昔の物だそうです。
さらに進んでいくと桝形の角に道路に被さる様に松の木が張り出していました。
「門冠の松」というそうです。
角を曲がって進んでいきます。
国道の上を渡ります。
道路を見れば間違っていないかわかります。
この先でこんなところに出ました。
路面は普通の舗装道路です。
しかし、左に曲がるところに案内があります。
今度は国道の下をくぐります。
くぐった後にものすごい急な坂が待っていました。
スキーのジャンプ台を思わせるような坂を上っていくので、上るだけで精一杯です。
(ということで写真はありません)
上りきったところに、与坂の立場跡がありました。
昔はここに越前屋という茶屋があり、賑わったと言われます。
そこを過ぎると、今度は逆に急な下り坂になります。
この下り坂も上って来た時と同じような坂でした。
下り坂が終わったところに、子野の一里塚跡がありました。
下り坂はまだ続いて行きました。
小さな広場があり、鯉のぼりがたくさん泳いでいます。
この日は5月8日です。
しばらく行くと大きな枝垂れ桜が見えます。
これが咲いていたら見事でしょうね。
ここには地蔵堂が立っていたそうですが今はありません。
多くの石仏が立っていました。
その後国道を地下道で渡り、上金という地区に来ました。
ここにも白木改番所があったようです。
木曽の木材は厳しくチェックされていたようです。
中津川に近づきました。
バイパスが出来る前の国道(?)の上を通ります。
高札場が復元されています。
中津川宿の始まりです。
しばらく行くと新町と言う交差点に来ました。
この先が宿場の中心地ですが、この日は右に曲がって駅に向かいます。
駅に着いた時に特急が来ましたが、間に合いませんでした。
17:35の電車で名古屋へ行き、
名古屋から新幹線で新横浜に着いたのは20時半頃でした。
5月7日、8日の中山道の記事は今回で終了します。
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私も河口湖の方へ行きましたが、あちこちで渋滞していました。
+++++++++ 前記事の続きです ++++++++
木曽路も終わり、いよいよ美濃路に入ります。
前記事の最後の写真ですが、この字は島崎藤村が書いたものです。
すぐ近くに一里塚跡がありました。
江戸から83番目の一里塚です。
ここから、石畳の道になります。
ここの石畳は840mほど続き、その内の3か所が昔のままの石畳です。
写真は撮っていませんが、非常に歩きにくい部分がありました。
(おそらくそこが昔の石畳だと思われます)
途中にお茶屋がありました。
山のうさぎ小屋とあるので昔からの物ではなさそうです。
更に石畳の道を下ります。
石畳の道は足に堪えます。(特に下り坂)
約1km近くの石畳を下りると、医王寺というお寺がありました。
本尊は薬師如来で、山中薬師とも呼ばれています。
しばらく急な下り坂が続きます。
下り坂の途中から見たと思われる歌川広重の版画です。
下り坂が終わり、川を渡ります。
落合宿と反対側の景色です。
ここから上り坂になります。
途中でみた石仏、ほとんど見捨てられたような感じです。
中央高速の赤い橋が見えます。
しばらく進むと、落合宿の常夜燈に着きました。
落合宿には4基の常夜燈があったそうですがこれだけが往時の場所にあるそうです。
落合宿の町並みですが、昔の宿場町を想起させるものではありません。
右側に大きな家が見えています。
落合宿の本陣跡です。
門の扉は昔の物だそうです。
さらに進んでいくと桝形の角に道路に被さる様に松の木が張り出していました。
「門冠の松」というそうです。
角を曲がって進んでいきます。
国道の上を渡ります。
道路を見れば間違っていないかわかります。
この先でこんなところに出ました。
路面は普通の舗装道路です。
しかし、左に曲がるところに案内があります。
今度は国道の下をくぐります。
くぐった後にものすごい急な坂が待っていました。
スキーのジャンプ台を思わせるような坂を上っていくので、上るだけで精一杯です。
(ということで写真はありません)
上りきったところに、与坂の立場跡がありました。
昔はここに越前屋という茶屋があり、賑わったと言われます。
そこを過ぎると、今度は逆に急な下り坂になります。
この下り坂も上って来た時と同じような坂でした。
下り坂が終わったところに、子野の一里塚跡がありました。
下り坂はまだ続いて行きました。
小さな広場があり、鯉のぼりがたくさん泳いでいます。
この日は5月8日です。
しばらく行くと大きな枝垂れ桜が見えます。
これが咲いていたら見事でしょうね。
ここには地蔵堂が立っていたそうですが今はありません。
多くの石仏が立っていました。
その後国道を地下道で渡り、上金という地区に来ました。
ここにも白木改番所があったようです。
木曽の木材は厳しくチェックされていたようです。
中津川に近づきました。
バイパスが出来る前の国道(?)の上を通ります。
高札場が復元されています。
中津川宿の始まりです。
しばらく行くと新町と言う交差点に来ました。
この先が宿場の中心地ですが、この日は右に曲がって駅に向かいます。
駅に着いた時に特急が来ましたが、間に合いませんでした。
17:35の電車で名古屋へ行き、
名古屋から新幹線で新横浜に着いたのは20時半頃でした。
5月7日、8日の中山道の記事は今回で終了します。
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今までのまとめはこの表のとおりです。
今回は緑の部分です。
5月26日と27日に歩いていますが、後日記事アップします。
(黄色の部分です)
次回は6月1日の北鎌倉周辺です。
本日もご訪問ありがとうございました。
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Nikon 1 V2
1 NIKKOR 10-30mm f3.5-5.6